「エプソン 挑戦と共生の遺伝子」
加藤 良平 実業之社
8月5日にセイコーエプソンさんに企業調査へ上諏訪へ。
新宿発の特急あずさ15号に乗っている間に同僚のTさんから渡され予習のために読むことに。
土橋 光廣氏の物語が中心だったが、企業調査では社長の名前は出てきたが、土橋氏の名前は出てこなかった。
かなり感動していたので拍子抜けの気もしたが、やはり社長の存在が大きいのだろう。
この本の中では、中村社長の脱フロン宣言が書かれていた。
この挑戦はすごいものだと思う。
また、なんでも公開の精神。
社会に役に立つには技術を公開するという精神がすばらしい。
「技術は独占するよりは、正当な対価をいただきながら公開したほうがよい、というのが私の基本的な考え方」(中村)
気に入ったフレーズを抜き出してみよう。
「いちばん強く感じたのは、現場で働いている一人、ひとりに対して、
時分にはたとえどんな役割であろうとオンリー・ワンのプロとしての存在意義があり、
また信頼もされていると、という信念を持ってもらうことの大切さです。
一社員の給料が役員より低いのは当たり前。
労働時間が長いのもある程度はやむをえない。
だけど時分がたんとうしている部分の仕事に関しては、たとえ社長に対してでも本当に言うべきことは言えるし、
胸を張って自分の働きをアピールできる。
そんな考えを持っている人こそ、さいごには本当によい仕事をしてくれるんですね。
しかも、本人はそれをすごくうれしく思ってくれる。
さまざまな組合員と腹を割って話して、私はそれを確信しました」 (土橋)
ソニー井深大との出会い
「私が井深さんをすごいなあ、と一番思ったのは、とりあえずビジネスになるかどうか、そんなことは関係ない。
明確なポリシーがまずあって、それに合うならばやる、あわないなばやらない。
何よりすごいのは、そんないわば井深イズムの真髄がそにーというそれなりに大きい組織の中で、
一人、ひとりにきっちりと共有されているということです。」
何をなずべきか。何をするべきでないか。
土橋はいままでよりもはるかに高い次元でそれを考えるようになった。
そして、それを、実際のビジネスで実践していった。
いわばエプソンの遺伝子として、井深イズムを受け継いでいったのである
情報機器システム事業統括
違うもの同士をしっかりと分離しておけば、内部は同質になってそれなりに居心地がいいかもしれない。
しかしそれでは、本当の意味でのよい商品やサービスというのは、決して生まれてこないのです。
私は、同質ゆえの居心地のよさよりむしろ、葛藤ある緊張感を作り出したかった。
「ロジスティクスネットワーク」、「効、美、快」 1991年物流への与えたキーワード
簡潔なキーワードで方向づけするのは、エプソンのトップが得意とするところである。
ジュニア・ボードという試み
部課長クラスからなる、より自由な議論の場を設けた
エプサイト(写真ギャラリー) 新宿三井ビル1階
1988年の創設したギャラリー
1989年 中村社長が発表した経営理念
顧客優先・個人尊重・総合力発揮により、
全世界のそれぞれの地域において
しんらいされる「よい会社」であり続ける
「よい会社」とは、
1.適正利潤を確保している
2.社員が自信と誇りを持って常に創造し挑戦している
3.社会と社員にとって夢のある存在である
以上を通じ成長・発展している会社である。
人材の流動性に拒否反応がない
「職場に発想や性格の異なる人が入ってきたと思ってください。
「うわ、やりにくいな」そう考える人の多い組織というのは、まず伸びていかない。
それは、差別というマイナスの遺伝子なんです。
逆に、「これで新しい何かがさらに広がりそうだ」
そういうウェルカムの姿勢を取れる組織は強い。
差別化というプラスの遺伝子です。
…
エプソンといおうのは、異質なものをきちんと受け入れる企業文化がしっかりしていたんだろうと思います」(土橋)
多田 富雄 「免疫の意味論」(青土社) で面白いことを述べている
システムの構成メンバーが十分多様であること
そのメンバーが外部とのあいだで自由にやりとりされること
各メンバーが役割を持ちながら相互調節し合えること
の3つかが、人体の免疫系のなかで、生物学的な個性がきちんと作りだされるために必要である。
免疫というのはいうまでもなく生体を守るものであるが、
ガチガチのよろいを着て自分を石のように不変にするものではない。
むしろ外界にあわせて積極的に変化し、それにより病気を拒むというメカニズムだ。
諏訪大社の御柱