「働く過剰」
 大人のための若者読本

 玄田 有史   NTT出版



ニートのことを考える本ということで手にしたが、統計データも駆使しながらの説得力ある
話にうなずくことしかり。
希望格差社会がジワリ拡大しつつあることをしっかり伝えている。
ニートの親は、くよくよ悩まず、自分のやちたいことをしっかりやって輝いていることが
子供を勇気づけるという最後の文章が印象に強く残った。



まずは、その部分から抜き出す。

○ 親本人が充実すること
今でも家に引きこもっている子供を抱えた母親の一言が印象的だった。
「これから先、子供のことを考えると寝られないくらい、苦しい時があります。
でも、私はあるときから決めたんです。私は、この先、子供がどうなったとしても、
自分の人生を幸せに行きようって。それによく考えてみたら、子供が引きこもりだからといって、
私は必ずしも不幸だっていうわけではなかったんです。」

子供が対人関係をうまくいかないのは、自分の育て方に問題がったんではないか。
自分は子供のことがわからない。どうすればいいのか、わからない。
そんな中で、ひとり親は自分を責める。
相談する相手も見つからず過剰に抱え込む
場合によっては、苦しい状況のなかで、親が自分の人生そのものを否定する思いにかられた時、
本当に出口は見えなくなってしまう。
一方で、働けない子供も、親に申し訳ないと、いつも思い続けている。
そんな状況に親が責任を感じ、自分を責めてばかりいるようなら、いっそう子供はあせってから回りする。
冷たい言い方に聞こえるかも知れないが、所詮、子供は子供、親は親なのだ。
それぞれが独立した人生を歩む。お互いに適切な距離を持てないとしても、過剰に関与しすぎたり、
相手のために何かをしなければと、思い込みすぎないようにする。
そのためには、まず自分の人生を充実させることを両者が第一に考えればいい。

(この本を読む親は圧倒的に自分を責める人が多いので、危険を冒して書いていると補足している)




○ 即戦力という幻想

他社にはできない素晴らしいサービスを顧客に提供し、他者との競争に勝ち抜くためにはどうすれば
いいのか。答えはあっけないほど単純である。わが社のことを最も熟知し、会社と個人のあいだで強い
信頼関係を形成している、わが社にしかいないような人材を、自前で育成することでしか、本当の意味での
差別化は不可能なのである。したがって、最終的には、即戦力の調整だけでは限界がり、人材の育成を重視
する企業だけが、ビジネス上、優位にたてるのだという、当たり前の結論に到達することになる。


○ 企業の二極化の原因
「勝ち組」「負け組」のという言葉を安易に使用することに躊躇をおぼえる一人であるが、
同じ業界の中でも大きく、かつ持続的な格差が生まれる傾向が強まったことは、否定できない。
だとすれば、その二極化を生み出した根本的な原因とは何だったのか。
実は、それこそ、企業自身による人材育成への姿勢にあったのだ。


○ 組織の想像力となるダイバーシティの本質
企業として明確に決められた人事観を確立し、社員と共有することが必要になる。
多様性はバラバラとは違う。
社員が組織に対して共感し、個人がその共感を前提としながら状況に応じて、自分を表現し行動する。
本当の多様化は、すべての社員が共有できる価値観を保有する企業にしか生まれない。

○ 長時間労働による学習、成長の阻害
長時間労働には、指導者がいないことよりも、指導者はいるが余裕がないために育成ができないことの
問題が指摘されている。
週60時間(所定勤務時間を含む)を越えて能力開発の困難を指摘する人々からは、
本人のみならず、指導者が忙殺されていることを問題視する意見が急増している。
働く本人とその指導者は、ともに能力開発の重要性を認識しているものの、
時間に追われて、それだけの余裕が持てないという現状が、長時間労働のなかで強まりつつあるのだ。

30代男性ホワイトカラーの長時間労働の普遍化は、企業にとって3つの意味での「喪失」につながる。
@ 能力開発機会の喪失
A 労働者の会社に対する信頼感の喪失
B 企業が事業再構築をしようとしても、労働者に過度の負担を強いることによって、
  結局は業務改革に取り組む意欲が喪失される
長すぎる労働時間は「必要悪」ではない。ただの「悪」なのだ。

長時間労働をしている人は、それだけ高賃金をもらっていて
それなりに満足しているというのは、誤った認識である。
長時間労働者の収入は平均すれば、たしかに高い。
しかしそれも、長く働くことでごく一部が多くの収入を得ることになっているだけだ。
長時間労働者の仕事や会社に対する満足度は、明らかに低い。


○ 小さいときの職業希望
小さいときに何になりたいかという職業希望をもっている人の方が、持っていなかった人に較べて
その希望と違う職業についたとしても、その職業でやりがいを感じることが多い。

どんな仕事であれ、その多くでやりがいを感じることができるという事実は、
働くということに過剰な不安を感じがちな無業者や在学中の若者に積極的に伝えていくべきことではないだろうか。

ニートが社会的に認識され、その増加が懸念されるなかで、若者に対するキャリア教育の充実を求める声も強まっている。
キャリア教育とは、そんな希望を持つことに意味、すなわち希望が産み出すプロセスの重要性を、事実による裏づけを
踏まえながら、丁寧に若者に対して説いていくことなのだ。


○ 希望のパラドックス
希望は求めれば求めるほどに逃げていく。
しかし希望を求めなければ、強い充実も得られない。
その意味で、希望はつねに逆説的(パラドキシカル)なものである。
フランスのカミュは、かつて
「希望は一般に信じられているのとは反対に、あきらめに等しいものである。
しかし人生に必要なものはあきらめないことである。」と言った。
ハンガリーの詩人ペテーフィの言葉を借りて
「絶望は虚妄であるように、希望もまた同じだ」と言った魯迅もまたそうだが、
希望にまつわる言説は、どこか矛盾に満ちて聞こえる
だがそれは矛盾と言うよりも、希望の真実だ。希望がつねに失望を伴いながら、それでも希望が充実の
源泉というのは、希望に関する信念ではなく、希望に関する事実なのだ。



ただ、希望の調整や修正という行為を、本人の努力や頑張りだけで成し遂げるというのは困難なことかも
知れない。



職場にせよ、学校にせよ、人を育てるということは、つきつめれば、本人が働く中で自らの適性と方向性を
見出すために、教師や上司が適度に関与しつづけることである。
そして本人自身がうまく軌道修正するためのサポートを適宜してゆくことでもある。
希望の持つ本当の意味を、大人たちがその経験を踏まえて伝えながら、育成という名の軌道修正によって
若者に適切にかかわっていくこと。
それが希望なき時代である今こそ、求められている。



○ やりがいと希望

希望を頑なに持ち続けた人よりも、修正を施してきた人のほうが、仕事上のやりがいえを感じることが
より多い。
希望は多くが失望につながるが、その挫折経験の中にこそ、自分に適した仕事が発見できるチャンスがある。


○ ニートの子供に価値感を示す

親が子供にかかわるとき、
「やりたいことをやればいい」「好きなように生きればいい」と言うだけでは
むしろ子供を、やりたいことがなければだめなのだ、やりたいことがない自分はダメだという隘路に追い込むことになりやすい。
それよりはむしろ、「これだけはいけない」と、子供が思いを断ち切るための価値感を、はっきりと示していくべきなのだ。

○ 失敗を積ませる
大人の仕事にしても、小さな失敗経験のないままに、成功の経験を積むことはできない。
仕事のなかで若者を育成するとは、個々人の成長段階に応じて適度な失敗をちゃんと積ませるkとに尽きている。
そのなかで本人が、つまらない失敗を繰り返さない感覚を身につけたり、最悪の事態を避けたり、逆に果敢に
チャレンジするタイミングを身につけるようになるのだ。
大人の働く真実を子供に伝えるとすれば、そんな小さな失敗はオーケーだ、特に若いうちは
どんどん失敗しろというメッセージだろう。
それなのに社会ですぐに役立つ人材でなければならないという即戦力の声は、
若者に失敗はできないというプレッシャーを押し付けている。
さらには「早くやりたい仕事を見つけろ」「自分の適性にあった仕事に就くべき」というのも
早いうちに自分にあった仕事が見つけられないと人生は失敗するというメッセージになっている。
そんな風潮によって、若者たちは失敗することを過剰におそれてしまうことになるのだ。


○ わからないことに対するタフネスさが最も必要な能力
働きだすと、ほとんど毎日が「わけのわからないこと」だらけである。
上司からの指示、顧客からのクレーム、会社の方針、商品やサービスの意味、それから自分が働いている意味…。
そんなわけのわからない毎日に対して、「わからないから、やってはいけない」と途中で断念してしまうことが、
個人にとっても、会社にとっても、最も避けたい状況なのだ。
そんな「わからん」経験のなかで、自分なりに工夫し、パニックにならず、良い意味でウロウロできること。
そんな「わからない」ことに対するタフネス(たくましさ)こそ、今も昔も変らない、働くなかで最も必要とされる
能力なのである。

○ ちゃんといいかげんに生きる
生真面目に「ちゃんと」しようと考えすぎれば、途中で息苦しくなって働けなくなってしまう。
反対に、無頓着で「いいかげん」に生きるのが過ぎれば、後々後悔することも出てくる。
ちゃんといいかげんに生きるなどと言えば、若者には矛盾しているように聞こえるかもしれない。
しかし矛盾していようと何であろうと、それこそが働く大人の多くが感じている仕事の核心ではないのか。