「晏子」
宮城谷昌光 新潮社
会社の上司であるI常務から晏嬰(あんえい)を読めといわれて、アンエイ????誰、それ??
ネットで調べた。
ウィキペディアは便利だ。
晏嬰(? -
紀元前500年)は中国春秋時代の斉国の政治家。
氏は晏、諱は嬰、字は仲。諡は平。父は晏弱(晏桓子)。
霊公、荘公、景公の三代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。
莱(らい)の夷維の人。晏子と尊称される。
晏嬰の身長は「6尺に満たず」と史書にある。「140センチに満たない」ということになる。
しかしその小さな体に大きな勇気を備えており、常に社稷(国家)を第一に考えて諫言を行い、
斉に於いて絶大な人気を誇り、君主もそれを憚ったという。また自身は、倹約を行い、質素な生活を心がけ、肉が食卓に出てくることが稀だったという。
親子の歴史小説があるというのでそれを読むことにした。
晏子 宮城谷昌光 新潮社
春秋左氏伝を読めと言われて後輩に譲っていたが、その頃のお話。
斉の国の物語である。
上巻では晏嬰の父親の晏弱が登場。
晏弱は斉の大夫
義を尽くす徳のある姿に感動。こういう人物は天が味方してくれるのだろう。
ついてゆきたいと思う上司像がそこにある。
断道の会同 これはもうなんと言おうか逃げ帰った上卿高固の身代わりとなり晋に向かう。
死を覚悟した行軍も助け舟がいくつも出てくるのである。
これは運がいいというだけではない。人物がよければ、敵でも生かしておきたいという
東洋人の心(徳)のおかげではないだろうか?
晏弱の思っている言葉にそれが出ている。小さいわが子晏嬰を想っての言葉である。
人にとって、父祖がいかに大切であるか。
父祖に徳があれば、子孫はその徳を心身にひきつぎ、難事にあたって、知らずの救われるということになる。
− わたしも心せねばなるまい。
晏嬰が物語に登場するのは上巻の最後。将軍に抜擢された父が莱に出陣する前に2人の有能な部下(蔡朝、
南郭偃)を招いて引き合わせる。
そのとき10歳のチビがこんなことを言うのである。
将軍はもともと君公にかわって蒙昧の民を正す者です。
正すということは殺すということと同じではありません。
正さずして殺せば、遺恨が生じます。
遺恨のある民を十たび伐てば、遺恨は十倍します。
そうではなく、将軍は君公の徳を奉じ、君公の徳をもって蒙(くら)さを照らせば、
おのずとその地は平らぎ、民は心服いたしましょう。
真に征すということは、その字のとおり、行って正すということです。
どうして武が要りましょうか
→ いやー、仰天である。
そして南郭偃は見事な感想を述べる
利発だと思わない。あの論は、才気から発したものではなく心魂からのもの。
このまま正論に依って進むことになるが百中の九十九見込みはない。
のこり百中の一であれば、晏嬰の名は父をしのぎ、垂名の人となる。
→ 「垂名」ってかっこいいと思って辞書で調べたら無いんだなあ、これが。
水明 :澄んだ水が日や月の光で美しく輝いて見えること しか見つからなかった。
そして父 将軍晏弱は莱へ出陣するのである。
晏嬰の言ったとおりの行動をする。痛快。
蔡朝と二人行商人となり地元の人と交流する。
もとは商人の出なのである。
その言葉がいい。蔡朝とのやりとり
「商売は、利というものを徹底して学ぶことができる」
「ふむ、利は人を動かすみなもとになりうるからな」
「同時に、商売は、多くの人に接するから、それによって人というものを深く知ることができる。さらに−」
「さらに、地方の文物や風物を知ることもできる、というわけか」
「その通り。旅をするから、国というものにとらわれない。その上で、改めて自分の国をふりかえってみると、ちがったものが見える」
この後、蔡朝に莱人の懐柔を任せるが、蔡朝は大成長を遂げるのである。
陳無宇の能力を買っている説明もいい。
陳無宇は人の能力を的確に見分けて、組をつくり、むだなく築城を進行させた。
感心したのは、◎工事に活気があるということ である。
このことは軍事において、兵気にあてはまる。
対象となるものにいどんでゆく気がなければ、人の気は沈んでしまう。
人の気を起こし、高めることができる者は、工事でも軍事でも長になれる者である。
以上 「上」巻
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「中」巻
春秋時代、戦国時代の覇権争いというのはたわいのないようなことがきっかけであきれるようなところもある。
中では晋と斉の戦いが出てくるが、なんだか拍子抜けの戦いが多い。
中巻をよんで、壮絶だったのは父の死後、服喪を3年間勤め上げる晏嬰の姿である。
☆ いま、ひとの関心は、太子の交代なんぞにはなく、そまつな小屋で喪に服している男にあるのよ。
でもどうもこの物語の主人公は晏子ではなく崔杼(さいちょ)ではないかとも思えるように感じた。
中巻の最後まで女はほとんど出てこない。
それが、崔杼が未亡人で絶世の美女東郭姜を妻に迎えたところあたりから
色気がでてきた。
出来の悪い荘公がこれを奪う。信じられない、なんと徳のない君主であろうか。
中巻ではそれほど印象的な言葉はなかったが、
徳、仁、義がやたら出てくる。
父が晏嬰の質問に答えた言葉が印象的
国の過大な欲が、君主か、臣下か民から発したものか見極める。
臣下の欲は従わなくてよい
君主の場合は、私的か公的か判断
民の欲は従う。なぜなら民は過大な欲は持たない。その民が異常な欲を持ったとすれば、それは天意の反映と考えてよい。
要約してみたが、やはりここは全文を写したほうがいいと思って、そうすることとした。
「わたしどもは過大な欲をつつしみましても、国というものが過大な欲を持った場合、人臣のひとりとして、
いかがすればよろしいでしょう」
◎ 国の過大な欲は、君主から発したものか、臣下から発したものか、民から発したものか見極めねばならない。
そうはいっても、たやすくみきわめのつくものでないかもしれないが、とにかく、
臣下の欲によって国が動かされる場合は、それに従うことはない。
つぎに君主の欲の場合、それが私的なものか、公的なものかによって、臣下は従いかたをかえることができよう。
最後に民の欲の場合だが、これには従うほかない。
民は過大な欲は持たぬものだ。その民が異常な欲を持ったとすれば、それは天意の反映と考えてよく、とてもあらがいようがない。
○ 勇気とはおのれの正しさをつらぬいてゆく力をいう。
おのれを信じるということは、ひっきょう他人を信じ抜くということ
○ 徳の薄い者が徳の篤い者と争っても、徳の弱いものは勝ちようがない
○ 合同や朝会というものは礼の経(たて糸)であり、礼というものは政治の乗り物である。
政治によって君主は自分を守るのである。したがって礼をおこたれば政治を失うことになり、政治を失えば、
自分を守ることができなくなり、乱が生ずる。
○ 晏嬰は荘公をいさめつづけることであろう。君主をうやまい国を愛する臣下として、なすべきことは、それしかない。
そこには政治的なかけひきはなく、つねにものごとに全身全霊をもってあたる信念の姿勢がある。
− この人は仁(まごころ)のかたまりだ
「下」巻
斉の内乱は続く。
荘公を臣下の崔杼が、その崔氏を慶氏が、それを子雅が滅ぼすことになる。
そこには臣下の欲しかなく、晏嬰はこれのどれにもつかなかった。
荘公の死体を抱える場面は圧巻であった。
また謀反を起こした崔杼に従わねば、殺されるというところもくぐりぬけている。
とても高貴な、そしてすがすがしさを感じる。
その後は陳子と子良と子旗の争いの中、矢に打たれながらも門を守るところもすさまじい。
荘公に説くセリフ
○ 天下を服する道を歩きたいなら、方法は武力だけではない。
むしろ武力を念頭からはずし、まず、斉の国民を愛することからはじめる。
つぎに、国民と臣下が必死の努力をしていることを尊重する。
さらに、裁判を公平におこない、堅臣を抜擢し国政にあたらせるようにする。
他国の君主は武力を恐れるより、そのほうが怖いのであるから、
斉の善政こそ諸侯を威することになる。
○ 利に幅(ふく)す
便利さには基準が必要であり、富にはけじめが必要である。
各人が便利さをそれぞれ追い求めると、不便になる。
あるいは利益が増えすぎると敗亡の原因になる。
これを一言で言えば
− 利過ぐればすなわち敗をなす
○ 晏嬰の3つの家俗(ならい)
1 家事が多忙でないときは、落ち着いて談義する
2 家の外では相手の美点を称揚し、家の中ではおのれを切磋琢磨する
3 国事に関して論ずることをせず、士に驕ってみせ、知者をあなどるようなことをする者には会ってはならない
義と利の話しが出てきた。
謙譲は徳の根本である。謙譲を威徳という。徳のなかでもおおいなるものである。
血気にはやるものには争心がかならずある。
が、利を強引にとってはならず、義を考えることを優先すべきである。
義は利の根本である。
利をたくわえればわざわいが生ずる。
しばらくは利をたくわえるのを控えたほうがよい。
それがかえって、利を慈(ま)し、長(ふや)すことになるのです。
と晏嬰が子良と子旗の争いに勝った陳無宇に助言し、君公からさずかる領地を返上させた。
これに対して利を取ったもうひとりの鮑国(ほうこく)は「名」を失った。
とんちでは一休さんが有名だが、そのルーツは晏嬰にあるのではないかと思う。
身長が140cmに満たない小さな体であったというのもそれの印象を強くする。
楚への使者として出向き霊王と対決する場面がまさにそれである。
この本の最後に書かれている。悪意に満ちた仕掛けに対して、
ことごとく機知で明快に切り抜け、
とことんギャフンと言わせているのである。
小さな門しか通れないないようにしていたことに対して
◎ 狗(いぬ)の国に使者としてきた者は、狗の門から入る。
このたび私は楚の国に使者としてきたのです。
この門から入ることはできません。
斉人の盗人に対して
霊王が「斉人というのは、もともと盗みがうまいのであろうか」
◎ 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。
ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳(からたち)となります。
葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。
ないゆえそうなるかと申しますと、水と土が違うからです。
そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、
楚に入って盗みをしたのです。
楚の水と土は、民に盗みをうまくさせよとすることではありませんか
とからっといった。
孔子のことはあまりよく書いていない。
それは孔子が晏嬰のことをよく思っていないからであるようだ。
晏嬰が儒学を斉には合わないと拒否したためである。
「儒者は傲慢で、しかも独善である」と。
死者の服喪を重要視し、葬礼に財産をつぎこまさせようとすること
(儒者はもともと葬儀にかかわる集団からでてきた)
晏嬰は「先質にして後文なるは、これ聖人の務めなり」
と倹約を第一とした。
孔子は文質彬々(ひんぴん)として「質が文にまさると野卑になる」
ということで方針が違った。
ただ斉の国にあっては晏嬰が正しいと思う。
孔子もこの本ではボロボロである。
身長が2mを超える巨人だったとは初めて知った。
晏嬰とは対照的である。
このあとは出来の悪い君主景公の教育場面が並んで、
最後に80歳の長寿をまっとうする場面で終わる。
◎ 礼が大事 無礼講の酒宴を好んだ景公に対して
群臣というものは、もともと君に礼がないほうがよい、と望んでいるのです。
なぜなら、ふつう、力を多く集めたものはその長に勝つことができ、勇気のさかんな者はその君主を
殺すことができるのに、そうさせないのは、礼というものがあるからです。
礼を棄て去れば、禽獣(きんじゅう)とかわりありません
◎ 私は社稷(しゃりょう)の臣です
これは晏嬰の一貫した理念であった。
引退時に仇敵視していた梁丘拠が
「私は死ぬまであなたに勝てそうにない」と素直に言った時の返事
◎ やりつづけるものは成功し、歩きつづけるものは目的地に到達する。
と、いいます。私は人とかわったところはないが、やりはじめたことは投げ出さず、
歩きつづけて休まなかった者です。
あなたがわたしに勝てないというのであれば、それだけのことです」
といった。言い終えた晏嬰の目もとから、なんともいえぬあたたかさとやわらかさがにじみでてきて、
それが梁丘拠にかよった。
→ ここを読んでとてもなんとも言えないここちよい幸せな気分になった。
この後、80歳を過ぎて逝去。
臨終で妻に言う言葉もまたいい。
「家俗が変わらなければそれでよい。そなたは家をよく視て、家俗を変えないようにいたせ」
家俗を定めたのは父の晏弱。
晏嬰はそれを守り通した。
その家法が自分の一生を守り抜いてくれたというのが実感でなかったか。
家法を守ることが、◎家法に守られることになる。
自分もそうであったように、自分の子も、父祖の知恵の中で生きよ、ということであろう。
最後に景公が訃報に接し、飛んで帰ってきて晏嬰の遺骸にとりすがり、
側近に「非礼でございます」とがめられて言う言葉。
「このようなときに、礼がなにか。わしはかつて、一日に三度晏嬰にいさめられたことがある。
だが、聴かなかった。今後、わしにそうする者はいまい。晏嬰を失えば、わしの亡びも遠くあるまい。
亡ぶ者に礼が要ろうか」
景公は、涙が涸れ、哀しみが尽きてから、晏嬰邸をあとにした。
景公の死は10年後となる。
以 上
(2007.5.29)
大阪のNさんからのメール 一部個人情報にかかる部分はカットしています (掲載の了解をいただいております)
さて先日ご紹介いただいた「晏嬰」をようやく読破しました。
文庫本(1〜4巻)が出ているので、あれから本屋に寄って探したのですが、意外と置いていない。
紀伊国屋や旭屋でようやく見つけたのですが、なぜか1巻だけが無いんです。
1巻が無ければ読み始められず、古本屋や図書館も渡り歩いて、先週ようやく見つけました。
近頃には珍しく一気に読み進めたのですが、(ここまで仕事も集中できればいいのですが(笑))
改めて志賀松さんが感動した理由が分かりました。
春秋時代という、良く言えば群雄割拠、悪く言えば権謀術数の渦巻く乱世において、
ここまで己の信念を貫き通せた親子の姿に、ただただ感心しました。
また、著者がなぜ親子を主人公としたのかも、読み終えて分かったような気がします。
世間的には晏嬰の名が通っていますが、晏弱を知らずして晏嬰は語れない。
さらりと読むと前半の晏弱の方がドラマチックで、後半は物語としては激流(濁流)の連続で
晏嬰自身のインパクトはさほど強くないようにも感じられます。戦場で活躍するタイプではないので
ビジュアル的にはそう映るのかもしれませんが、芯の強さや君主への思いは、父の影響を受けて
更に鍛え上げられていることが読み取れます。出藍の誉れと言えなくもないですが、
父も充分青ですし、
父が赤い炎であるのに対し、子は青い炎といったところでしょうか。
(ご存知のとおり、ガスの炎は青い部分が温度が高い)
志賀松さんの影響もあって(?)、組織運営や人材育成というキーワードも念頭において
読んでみましたが、やはりあちこちにキーワードが散りばめられていたと思います。
断道の会同では退却に徹したものの、自分が将軍であればどうするかという視点で
状況を観察していた晏弱が、後の晋との攻防で真価を発揮した場面などは、まさしく
「一段階高い視点で!」をテーマにした昨年の交流研修を彷彿とさせました。
また、人の心を読む(機微という言葉がふさわしいかもしれませんが)ということにかけては、
晏子に限らずこの時代の人は良くも悪くも長けています。それがウィットに富んだ遣り取りで
交わされ、「コミュニケーションとはこういうことか」と気付かされます。悪意が入ると人を
思いのままにコントロールする危険性も含まれていますが、どのように相手の立場や心を読めば
良いかの一つのヒントが表現されていると思いました。
仕事をする上でも、良い意味の政治力といいますか根回しも必要だと改めて教わった気がします。
一気に斜め読みをしてしまった感もありますので、また経験をつんで読み返せば
新たな発見が期待できそうな本でした。良い本をご紹介頂きありがとうございました。