「人生に迷ったら知覧に行け」
永松 茂久 きずな出版
ここ数年、毎年秋に九州旅行へ家内と行っている。
博多周辺で各地に行っており、今度は是非知覧へ行きたいと家内が強く要望していた。
私自身は「知覧ってどこ??知らん」っていう音痴であった。
特攻隊の話はしっているが、その基地が鹿児島の知覧とは知らなかったのである。
昨年は日程的に博多泊では難しいので今年に行くことにしていた。
そこでこの本のタイトルを知るところとなり早速図書館で借りてきてもらった。
事前に知覧のことを知るにはいい勉強になった。
私は戦後の昭和28年生まれだが、この作者の永松氏ははずっと若くて個人主義の価値観教育の
問題点を何度も指摘しているが、私たちの頃は道徳教育もあったし、国のためとの
意識は持っているのでちょっと違うかなと感じた。
そこが如実に出ている記述がある
◎ 家族のために?国のために? P148〜P151
(抜粋)
特攻隊の飛行機の整備士であった方との会話
「特攻隊は、国のためじゃなくて、家族のために行ったんですよね」
⇒これは信じられない質問で私もあきれた
僕の言葉に、その方の顔色が変わった。そして、こう言われた。
「どう考えても君の勝手ではあるがね。
その程度の価値観で彼らを測るのはやめなさい」
……
「人はね、誰かのために生きてこそ人なんだよ。
そして、その誰かが、君にとっては家族だけなのかもしれないね。
でもね、私たちの頃は違った。
家族はもちろん、いまと同じように大事だよ。
ただ、いまと違うのは、たとえ出会ったことがなくても、
同じ日本に育ったすべての人のことも大切に思っていたんだ。
その大切な『誰か』の桁が、今の君よりずっと大きかったんだよ」
…
僕が生まれ育った頃(1974年生まれ)から、「個」が優先されすぎて、
「公は悪」という意識が蔓延してきたような気がする。
⇒これはちょっと言い過ぎのように思って違和感が大きかったが
永松氏の感覚は理解した。
そしてこの大きな違いは母親にこそあるのではないか。
衝撃的な事実を知った。
この話には涙涙であった。
17歳から20代前半が当たり前であった特攻隊員の中で一人だけ年長の特攻隊員がいる。
藤井一(ハジメ)中尉。29歳
彼は精神教育を担当していた指導教官だった。
自分も行く!と嘆願していたが軍部は聞き入れなかった。
それには理由がある。
まず年齢的に29歳というのは特攻隊員としては歳を取りすぎていた。
また妻と二人の子供がいたことも理由のひとつであった。
年長で面倒を見なければいけない家族が多い将校などは、
原則として特攻には採用されない。
それになにより。精神教育を担当していた藤井中尉には、実践経験がなかったのである。
ところが……、
何と奥様が子供を一緒に自害。
「私たちがいたのでは、後顧の憂いになり、思う存分活躍できないでしょうから、
一足先にお先に待っています。」
幼い長女と次女に晴れ着を着せ、極寒の荒川に身を投げたのであった。
その訃報を聞いて現場にかけつけた藤井中尉は泣き叫んだという。
「私は常々、飛行士に対する精神訓話で死生観に徹せよと言っているが、
なぜおまえたちが…」
その後も妻子の死を無駄にすまいと、再度、嘆願書を提出。
この事情が考慮され、ついに軍は藤井中尉の特攻を許可したのだった。
藤井中尉の遺書
「冷たい12月の風の吹き荒れる日、
荒川の河原の露と消えた命
母とともに殉国の血に燃える父の意思を叶えるために一足先に準じた、
哀れにも悲しく、しかも笑っているかのように、
喜んで母とともに消え去った命がいとおしい
父も近く、おまえたちの後を追っていけるだろう
こんどはいやがらずに、父の膝のふところでだっこされて
ねんねしようね。
それまで泣かずに待っていてください。
千恵子ちゃんがないたらよくおもりしなさい。
ではしばらくさようなら。
父ちゃんは戦地で立派な手柄をたててお土産にしてそちらに行きます。
では、一子ちゃんも千恵子ちゃんも
それまで待っていてちょうだいね」
この教官の身におきた悲劇、そして、部下だけを行かせはしないというリーダーの
覚悟に心うたれた藤井隊の隊員は、隊長と一心同体の強固な結びつきをつくった。
そして、絶対に特攻を成功させるという決意を強くしたのだった。
そしてその思いは天まで届く。
後年、ホタル館の現館長の島濱明久氏のもとに、年をとったアメリカ兵がやってきた。
彼の話によれば、藤井中尉が飛んだ5月28日、
その方の乗っていたアメリカ空母に、一度は墜落しそうになった二人乗りの飛行機が、
もう一度水面ギリギリで浮上し、突っ込んだらしい。
その二人乗りの特攻は成功したのだ。
藤井中尉は飛行機を操縦できなかったため、教え子の後ろに乗って特攻に出撃した。
そして、その日、二人乗りの出撃は藤井中尉の乗った飛行機ただ一機のみだった。
藤井一陸軍中尉 1945年5月28日 知覧より出撃 沖縄洋上にて戦士
茨城県出身 享年29歳
【合掌】
最後に知覧では有名な特攻の母「島濱トメ」さん
ホタル館の二階にトメさんの手書きの紙が展示されている。
そこにはこう書かれている。
◎ 命よりも大切なことがある。それは徳を貫くことである。