「ドキュメント東京電力企画室」

  田原総一郎  文春文庫


 


ホリエモンが獄中で読んだ本の紹介で知ったので読んでみた。
1980年に書かれたもの、30年も前に書かれたものなんだけれども
3.11の福島事故後に読むと、現状のことが的確に予言されているようで
非常にショックを受けるとともに、なるほどと合点がいくところもあった。
電力関係者は必見の書であろう。


「東電企画室」とあるが、ほとんどが

木川田東電社長 VS 通産省 の図式

その後、平岩社長も登場するが、国家統制に電気事業を渡してはならぬ!!という
強い信念のもと
原子力を急いで導入した経緯が理解できた。

それにしても東電の社長一人の思いでもなかろうにという違和感も感じながら
通産省に主導権を渡してはならぬ、との争いが、
そしてGE技術を信じ切っていたいたことが福島事故の遠因とも感じられた。

● ファウスト的契約
(文庫本のためのあとがきに書いている)
米国、ソ連の両超大国が、それぞれ原発事故を起こすことに、わたしは本誌に登場
する、
日本原発の生きた歴史のような人物橋本清之助(81年7月逝去)が口癖のように
言っていた「ファウスト的契約」
なる言葉を思い出す。
要するに、わたしたちは原子力という豊富なエネルギー源を得るのと引きかえに、
一つ間違うと恐るべき災害を惹起するという潜在的危険性を抱え込んでしまったの
だというわけだ。
日本の原発推進の中核ともいえる橋本でさえ「ファウスト的契約」などと言ってい
たくらいだから、
原発反対派はもちろん、推進派の多くも、肚を割って問うと、橋本以上の強い恐
れ、
躊躇いを抱いていた。東電の木川田一隆の「マイナス・ミニマム」なる発想も、そ
うした恐れ、
ためらいのあらわれ言えるだろう。
そして、「ファウスト的契約」だという強い自覚ゆえの慎重さ、つまり「マイナ
ス・ミニマム」的
姿勢こそが日本の原発がなんとかアメリカ、ソ連のような大事故を起こさずに稼働
し得ている
要因だと私は考えている。

 ⇒ 最初に導入した方々のこの思い、自覚をわれわれは失ってしまっていたのかも
しれないと
   強く反省の念を持つ。


(電力が国家統制を受けない経営を行うためにはどうしても「設備産業」たるビジ
ネスモデルが
 必要であったのだ。)

● 設備産業ではなく流通産業化
  (オイルショックで恐れたのは流通産業化、これは何としても避けたかっ
た。それで電力は通産省との
   協調路線に変更を余儀なくされた。それまでのプラスミレニアムからマイナ
スミレニアムへの転換で
   ありこれを平岩社長が選択した)

  オイルショック前には、東電の発電コストに占める燃料費の割合が、40%以
下だった。
  ということは、電力会社とは設備産業で、その意味で、経営は非常に安定して
いた。
  だから、たとえば73年のオイルショックで石油価格が一挙に4倍になって
も、電気料金は
  キロワット時あたり11円86銭から15円4銭へと26.8%しか上げなく
てすんでいます。
  ところが、いまでは石油価格が、バーレル32ドルと8年前の約20倍に暴騰
して、いまや、
  燃料費がコストに占める割合が、なんと85%以上、90%近くになった。
  こうなると、もはや電力会社とは、設備産業ではなくて流通産業に近く、石油
価格が少しでも
  上がれば、ただちに電気料金にひびくという、きわめて不安定な、そして弱い
存在となって
  しまった。わかりますか、この意味が…。たとえば、いま東電の全従業員3万6
千人の総人件費
  がコストに占める割合は6.8%でして、石油価格が10%上がれば、人件費
をゼロにしても
  消化できない。つまり企業努力でカバーできる範囲が極めて少なくなってし
まったのです。

   ⇒ 原子力が窮している現在はまさにこの状態になってしまったのである。



田原氏は通産省よりも電力会社の方のスタンスを認めてくれているようである
◎ 電気料金の差は、電力会社の経営事情や、地域の事情によって生じるわけで、そ
れを一切認めず、
 全国一律にしたり、地域料金制度を導入することは各電力会社の企業としての独
自性を認めない、
 つまりは、九電力体制を壊して、かつての電力国営のかたちに近づけることにな
る。
 そしてこうした論議をかきたてた仕掛人は、通産省でいわば側面から電力会社に
揺さぶりをかけている
 のだ、というのが事情通たちの一致した見方だった。

 → 電力国営から太平洋戦争に突入してしまったことから、当時の電力経営者は国
営、つまりは
   通産省に支配されるようになることを必死で避けて守ろうとした。
   そのために原子力も導入した。
   通産省の、新聞社へのインテンショナルな情報のリーク、何かを受け入れさ
せたいときは、
   ほかの厳しの要求を出して、それを引っ込めることによって当初の要求をの
ませる。
   などという、とにかく官と民の争いをくわしく説明していた。
   電力側の中心人物として松永翁の後継者木川田社長の思いと行動とその後の
動きをしっかり書いていた。


 → 今回の電力自由化の動きは、まさに30年前の争いの構図がそのままやってい
る感すらうける。
   それほど構造がまったく変わっていないのである。
   変わったのは福島第一原発の炉心溶融事故で、東電は実質国営化され完全に
経産省主導の路線
   になってしまったのである。
   そのことがこの本を読んでよくわかった。


● 浮かれ革新
  松永もロンドンの売春婦と同じように「二度と近衛には近づくまい」と思った
のだ。
  だから、松永は、国民が大歓呼で近衛首相を迎えたのが何とも苛立たしかっ
た。
  なぜ、最も重大なときに、最も危険ば人物を大歓迎するという誤りを犯してし
まうのか、と
  やりきれない気持ちだった。
  近衛内閣が誕生した日、松永は、「浮かれ革新めが」と、一言吐き捨てたとい
う。
   ……
  事実、軍を押さえ戦争を回避することが近衛の謳い文句だったのに、その近衛
が首相になって
  1か月後には、盧溝橋事件が起きて日中戦争が勃発し、さらに1か月後、昭和
12年8月には、
  近衛が、それまでの繰り返し強調していた不拡大方針をあっさりと放棄し、全
面戦争になだれ
  こんでしまっている。
  (この近衛首相が電力国営をなしとげているのである)



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おまけ

10月21日、衆議院科学技術振興対策特別委員会で、鹿児島県選出の社会党議員
村山喜一が、
「日本工業立地センター」という機関と、その依頼主を執拗に追及した。
通産省立地公害局工業再配置課長有岡恭介は、「日本工業立地センター」が通産省
所管の財団
法人であることは認めたが、「MA−T計画」なる資料を依頼したのは、徳之島興
業という地元
の企業であって、「MA−T計画」の作成については、何らの報告も受けていな
い、と突っぱねた。

 → 1976年は私が四国電力へ入社した年のこと。
   鹿児島島嶼部への核燃料サイクル基地構想のことであったらしい。
   有岡さんが四電に来られ、村山さんが総理になるとは…。


ノートリアス・MITI(悪名高こ通産省)
  → こんな言葉は初めて知りました。

日本株式会社の戦略本部として、日本国内よりも、むしろ海外でよく通っているニックネーム