「江戸に学ぶ企業倫理」  -日本におけるCSRの源流-

 弦間 明+小林 俊治 監修  
 日本取締役協会 編著


日経ビジネスの紹介でタイトルが気に入り読んでみることにした。
江戸時代は近藤相談役が非常に勉強していることもタイトルに興味を持った理由である。

例によって図書館で家内に借りてきてもらった。
私が借りる本はあまり予約が入っていないので2週間以上借りられるので助かる。
家族の名前を総動員して延長している。
ただし希望者がいるときにはすぐに返却している。


手にとってまず驚いたのが「日本取締役協会」という組織名。
何だこれは。

HPを調べてみた。
やはりわりと新しい組織だった。

http://www.jacd.jp/


Q1 日本取締役協会とは何ですか。

A1 経済のグローバル化に伴い、日本の経営者にも世界水準の経営効率が求められるようになり、
他方企業の取締役を巡る環境が大きく変化する中で、新しい時代の取締役および取締役会に向けた議論を重ね、
コーポレート・ガバナンスの向上とそれに関わる社外取締役の人材供給の安定化を目指し、2002年3月13日に設立され、
2002年4月1日に、有限責任中間法人格を取得しました。

江戸時代は初期の安定期から、成熟に至る問題の発生、その解決を意図する改革、問題の深刻化と再度の改革など、
一連の改革を続けながら生き延びてきたといえる。
この流れの中で、商人たちは、活発なビジネスを展開し、社会に不可欠な役割を果たし始めた。
それとともに、商人たちの社会的意識も強くなり、社会に対する責任も周りから要求され、また自覚もしてきたのである。
それゆえ、江戸時代にこそ、現代の「企業の社会的責任」の源流があり、
そこから多くのことを学べるのである。
 → 納得である。


○ 近江商人の「三方よし」
 「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」


◎身分制の底辺に末業として制度上位置付けられ、
 道徳上でも賎商意識に囲まれていた江戸商人が、
  自らの存続を維持し営利追及の正当性を根拠づけるには、
  社会と共に生きること(三方よしなど)、
  公正な価格と利益、正直、質素、勤勉、謙譲、陰徳善事(陰での善行)……
  等々に留意して行動することが何よりも大切であった。

近江商人の経営精神を簡潔に表すと 勤勉・倹約・正直・堅実 と記されていた。

第4章 石田梅岩の企業倫理
 
倫理的な経営とは何か。梅岩の精神からは、ひたすらに実直にビジネスに取り組み、
それに関わる人の心が磨けるようなビジネスをすることだといえよう。
大事なのことは、「どのようにして倫理的になるか」ではない。
実際の仕事に携わりながら、「なぜ、倫理的でなければならないのか」という自問自答を繰り返すことが必要なのだと思う。
先に、心学を日本の企業倫理の原点と述べた。
逆説的だが、企業倫理の分野で評価の高い経営者にとっては、
ステークホルダーに配慮し、まっとうなやり方で「倫理的に」商売を行うことは、
手段にすぎないのではないか、と思えてくることがある。
彼らが答えることは、
ルールで決まっているから、他者がやっているから、グローバルスタンダードだから、といった答えではないはずだ。
このとらえどころのない問いに答える手がかりの一つは、
答えを出してしるような「お手本」を持ち、その人についてよく知ることである。

7月26日にANA大橋会長の話しを聞いた。
 
大橋会長が郷土岡山の「山田方谷」
山元社長が郷土鹿児島の「西郷隆盛」 
2人ともしっかりとお手本を持っていることを知った。
自分にはまだないなあ。
 


○ 自律的な個人においてこそ、倫理は実現される。

さまざな実務家を対象に、職場での行動について尋ねるアンケート調査を実施。
そこからは、職場での新しい試みを積極的に実行したり、提案をしたりする傾向と、
個人の倫理感に照らして上司であっても異を唱えたり、しかるべき部署や人に相談する傾向の相関が高いことが明らかとなった。
自律的で論理的に成熟していける個人を育てる企業が、永続的に倫理的な企業たり得るのではないか。
自律的な個人とは、倫理とは何か、なぜ倫理か、と言うことを自問自答し、その答えを他社とも共有できる人であろう。

恩田 杢
 
杢は足軽派遣を廃止する。これは、農民の負担軽減だけでなく、取り立て費用の節減にも貢献する。しかし、それは農民観の転換がなければできない。足軽派遣は、農民は怠け者であり、年貢を出し渋り誤魔化すという不信感に基づく。杢の農民観は正反対である。本来、農民は決して怠け者ではなく、正直者であり、農耕に勤しみ、納得すれば進んで年貢
上納に応ずるものである。このような農民観・人間観に立たなければ、
農民の自主性・自発性に依拠した年貢収納システムへの転換は不可能である。
杢の人間観はマクレガーのY理論そのものである。
 
http://www.siawase.info/wado/mk.html
 
現代のリストラや成果主義が少なくない従業員に支持されず、また企業不祥事が絶えない背景に、経営者の公約不履行、自己犠牲の精神の欠如、結果責任の不明確さ、
などに象徴される経営者側における率先垂範の姿勢の欠如があることを否定できない。
家族や同族にまで公私混同の非難を受けない行動を求め、信頼関係の構築に腐心し、
改革の実践を率先垂範する杢の姿勢に学ぶ意義は大きい。
 
コミュニケーションによる参加者意思決定が関係者の人間的相互作用を通じて相互信頼と相互支持の関係を構築・強化することは今日では実証的にも解明されている。
上位下達ではなく、コミュニケーションにより関係者の同意・承認を求めた杢の意思決定の方法は「権限受容説」の実践である。
権限受容説 : 意思決定は関係者が同意・承認した時に実効性のあるものとして機能する
人間は同意・承認した決定には自主的・自発的に取り組み、その効率性も高まるという人間性の理解に立脚するものである。
同様な杢の思想は身分制を根幹とし、上位者の絶対権限を前提とする封建社会においては稀有のものである。
 
○価値観の共有と協働意識
杢の財政改革の特徴は、その責任者である自分自身の質素倹約は別として、
人々には画一的な経費削減を強制していないことである。
現代のリストラでは経営者の報酬や従業員の賃金が真っ先に、しかも画一的に削減されることが多い。
しかし、画一的な経費削減で再建が成功した企業は少ない。
一律の経費削減は何よりも関係者の勤労意欲や組織帰属意識を減退させるからである。
経費節減に関係者の理解・支持がなければ積極的な協力は確保できない。
逆説的であるが真田公に入費削減を求めない方針は、君主が持つ組織凝集力や武士の価値観を考慮した
判断である。人間は価値観を共有でき行為の意義を理解できれば、多大の犠牲を伴う行為にも自発的な
協働意欲を発揮することができる。これは歴史を超越した人間の本性である。
当然ながら、杢も「極力冗費を省く」ことを関係者に求めているが、俸給カットはせず職責を果せば娯楽も
認めている。人間の動機・欲求が充足できなければ、継続的な組織貢献意欲は担保できない。
バーナード流に捉えれば、個人の動機・欲求を充足し自発的協働意欲を確保し改革を成功させようとする
杢の姿勢は極めて近代的であり、現代においても人材活用の根幹に位置付けられるべきものである。
人間の本性を理解しない経営は長期的な繁栄を保障するものではない。
 
○ 環境認識と現実主義的対応の重要性
杢が目指した改革の方向は、真田家家臣と領民が信頼関係を回復し、健全な財政システムの構築という
目標を共有し、自発的に財政再建に取り組む文化を醸成することである。
一言で言えば、藩政の全体に対する信頼や人間性の回復であり、それ以外に財政改革の方法はないというものである。
それは極めて牧歌的な精神主義に聞こえるが、実際的な環境認識に基づく現実主義者としての対応である。
現在のコーポレートガバナンスの改革論議も、性急で短期的な株主価値の極大化の追及が企業にも社会にも
良い結果をもたらさないことを明らかにしている。
企業改革も目先の利益ではなく、長期的な展望にたって改革に取り組む姿勢が必要である。
 
⇒ 恩田杢については知らなかったが大変勉強になった。
  ここでかかれていることは自分の思いそのものである。
  このためかなりな部分を引用した。
 
 


○ 人間の道徳性の発達段階 (L・コールバーグ)
 
 第一段階 物理的な結果によって行為の善悪を判断する「罪と罰への志向」
 第二段階 人間関係を取引の場のように見る「道具主義的な相対主義志向」
 第三段階 善い行為とは、他人を喜ばせたり、助けたりすることであり、他者から肯定されるようなことであるとする「相対的同調、あるいは「よいこ」志向」
 第四段階 権威や固定された規則、そして社会秩序の維持を指針とする「「法と秩序」志向」
 第五段階 正しい行為を一般的な個人の権利や社会全体によって批判的に吟味され一致した基準によって定められる傾向があるとする「社会契約的な法律志向」
 第六段階 正しさは、論理的包括性、普遍性、一貫性に訴えて、自分自身で選択した「論理的原理」に従う良心によって定められるとする「普遍的な倫理的原理の志向」
 
女性の特徴を当てはめると、女性が人間関係を重視するがゆえに、自立的に意思決定することができないという特徴は、
女性の道徳特性が第三段階にとどまり、多数派の意見に同調してしまい、自発的な道徳原理を採用することができないという
否定的評価が下ることになる。
 
 
しかし、現在、起こっている企業の不祥事などの例をみると、単に、規則に従っていれば回避できるというものでない場合も多い。
倫理的問題を抱えた各事業の担当者たちは、自分たちが関係する、顧客、社内の同僚や上司、株主、取引先、地域社会などの
ステイクホルダーへの責任感が葛藤し、問題を解決するためにある規則を確認したところで、解決ができない複雑な状況に陥る。
このような場合、男性が得意とする、規則や上司の指示に従ったり、形式的で抽象的な考え方に依存したりするよりも、
ギリガンのいう「前後関係を考えた物語的な考え方」が必要とされることになる。
そこでは、女性の得意とする、より文脈的な判断の仕方と、責任と人間関係への配慮が重要な要素となるのである。
女性は他者への思いやりを基盤として、自分自身の意思決定が関係するすべての人々にどのような影響を与えるのか、
彼ら全員を傷つけずに意思決定を行うためにはどのようにしたらよいのかについて苦悩するのである。
このような女性に見られる、原理や規則を機械的に適用するのではなく、
今ここで起こりつつある状況を主体的に考え、その場その時の状況に相応しい意志決定をするという態度は倫理的であるということができ、
そのような場合の倫理は「状況倫理」に関わっている。
状況倫理を重視する場合、大前提となる原理は認識し、かつ意思決定主体が状況の中で自己の自由を保持しつつ良心的に責任を持って意思決定を
行うことになる。
この状況倫理に関して、小原信は、「客観的で普遍的妥当性をもつ原則とか法則を強調するカントの倫理学とは大きな隔たりがある」
ことを言及している。その側面から考えると、カントの倫理は、規則感覚の発達している男性からの共感を得やすいと言えよう。
 
 ⇒ この論旨は非常に興味を惹かれた


座談会 「三方よし」から「六方よし」の企業倫理へ
 
2005.11.1
 
弦間 明  資生堂相談役
小林 俊治 早稲田大学商学部教授
藤居 寛  帝国ホテル会長
矢内 裕幸 日本取締役協会専務理事
 
六方とは (弦間)
今日の企業の責任とは
「理念的な責任」
「経済的な責任」
「法律的な責任」
「倫理的な責任」
「社会的な責任」
「文化的な責任」
 
⇒ うーん、これではわかったようでわからないしレベルも違うのでわかりにくい
 売り手よし、買い手よし、世間よし のわかりやさとは異質だ
 
 
(弦間) 資生堂が創業から134年間にわたり、社会から存続を許されたのかを考えると、
    創業の精神や企業理念を追求し続けてきたことにあると思います。
    それぞれの組織が持つミッション・使命が社会にお役に立たなくなる、あるいは時代と適合しなくなればミッションを変更するのか、さもなければ、その組織を解散せざるを得ないのです。社会のお役に立つ企業理念を掲げ、そこには当然、企業倫理も含まれるわけですが、この本質を誠実に追求し続けることによって存続を許され、今日があるというふうに思っています。
 
 
   当社は何のために存在するのか。
   それは「人々の健康と美に貢献する」ことであり、
   この本質を忘れてはならないのです。
   私たちの商売をしてゆく上で、化粧品というのは何なのか。
   これはお客様を美しくすることであり、美しくありたいという願望を満たしていくことです。
   その手段として利益がある。企業としては、適正な利益の確保と同時に、社会貢献もしなくてはならない。そこで問われるのが企業の倫理観です。こうしたことを常に忘れずに
経営の舵を切ることが長続きする秘訣につながると思います。
 
 
(藤居) 帝国ホテルの経営理念は「国際的ベスト・ホテルを目指して内外のお客様に最高のサービスと商品を提供しつづける」ことです。
基本姿勢は「お客様と感動をわけあう」というところであります。
 
企業理念は天地自然の理に適った裏付けがあるもので、どこから見ても正当なものでなければなりません。その企業理念をどのように組織全体に深化させていくのかということが大事で、それがリーダーの使命です。
 
ハード(設備・機能)、ソフト(業務プロセス)、ヒューマン(おもてなしの気持ち)という3つの側面を常に充足させていくところに企業としての存立基盤があり、社会から認めていただけるレーゾン・デートル(存在理由)があるのではないかという気持ちで行っているのです。
 
 
(弦間)
経営者やリーダーには、どうしても企業文化や伝統とかと通していろいろな意味での蓄積を持つ人がよい
 
(矢内) 忠誠心というのは、価値観の共有というか、企業理念の共有と実践から生まれます。
     そうするとやはり社内育ちの人たちが軸になると考えただろうし、そこに共感して入ってきて、あるいはそこで共感するところでは
     時間軸が大きく影響するかも知れない、それが強みだと考えられたのですね。
 
(弦間) 忠誠心というのは、企業の理念なり企業の風土から培われるものであり、それを総括したものが企業文化ですよね、
     それが一番大きいのではないでしょうか。
 
(藤居) 改革の問題であれ、企業倫理の確立の問題であれ、結局リーダーの志、価値観がしっかりしていなければ、
     どんな体制やマニュアルを作っても駄目なのではないでしょうか。
 
 
(藤居) 資生堂もそうですし、私どももそうですが、要するに、「さすが資生堂」か「資生堂ともあろうものが」となる。
弊社もそうです。「さすが帝国ホテル」か「帝国ホテルともあろうものが」というふうに、評価が中間はなく両極しかないのです。
そこのところが100年以上の伝統をもっている企業の宿命なのですから、そんなこと言われても無理よといわずに、それらしい
実行テーマを持ち実行していくということです。
まことに単純明確ですが、弊社では、
第一に、挨拶、清潔、身だしなみ
第二に、気配り、謙虚、感謝、
その次は知識、創意、挑戦…。
そういう実行テーマを「さすが帝国ホテル推進会議」というので取り組んでおり、それに相応しいことを行った人はどんどん表彰しています。