「エンデの遺言」 − 根源からお金を問うこと
河邑 厚徳 (著), グループ現代 (著) NHK出版
これもE先輩さんから薦められて読んだが、まったく知らない世界でありいい勉強をしたと思った。
「不況のメカニズム」でも書いたが、やっと読後記というか、
印象に残った箇所の抜き出しができた。実に1年以上もかかったような気がする。
>お金は劣化するべきというエンデの遺言を昨年の推薦図書としていただき、読んでいるが実はまだ読後記が書けていない。
>その書とも非常に考え方が似ているのであるが、こちらの小野さんの方を先に書くこととした。
>金が金を産み、金持ちだけがより裕福になってしまうという現在社会は果たしていいのか。
>その思いが両書のテーマである。
http://homepage2.nifty.com/shigamatsu/Book/FukyoMechanizm.html
プロローグ
・世界をおおう金融システムとその上に乗って自己増殖しながら疾駆する「貨幣」は、
人間労働の成果と自然を含む価値高い資源を、貧しい国から富める国へ移す道具となっている。
本来の役割を変えた貨幣は、「利が利を生むことをもって至上とするマネー」となった。
この変質する貨幣の全体が「エンデの遺言」に凝縮されている。
・私が考えるのは、もう一度、貨幣を実際になされた仕事やものと対応する価値として
位置づけるべきだということです。そのためには現実の貨幣システムの何が問題で
何を変えなくてはならないかを皆が真剣に考えないといけないでしょう。
非良心的な行動が褒美を受け、良心的に仕事をすると破滅するのが今の経済システム。
通貨を人間にもとに取り戻さなければならない、とエンデは説いているのです。
第1章 エンデが考えてきたこと
・紙幣を発明したのは中国人。マルコポーロが印刷した紙幣をベネチアに持ち帰り、その後、徐々に銀行が生まれた。
この中国の紙幣は好きなだけ印刷できるというものではなく、大きな判が押された一種の証文だった。
しかし、中国人は印刷された紙幣を発明したのです。
その後、紙幣はまったく別の道をたどり銀行券となりました。
私は10人の法律家に手紙を書き、法律的見地から銀行券とは何かを尋ねた。
それは「法的権利」なのか、国家がそれを保証するのか。
もしそうなら「お金」は経済領域に属さず、法的単位ということになる。
「法的権利」なら商いの対象に出来ない。
しかし、そうではなく経済領域に属するものなら、それは商品といえる。
10人の法律家からは10通りの返答が来た。
つまり、法的に見て、銀行券とは何なのかを私たちはまるで知らない。
定義は一度もされなかった。私たちはそれが何か知らないものを、日夜使っていることになる。
だからこそ、お金は一人歩きするのです。
● 非良心的な行動が褒美を受け、良心的に仕事をすると破滅する
非良心的な行動とは
短期的利潤のために、おのれの畑を荒らし、土壌を不毛にしている農夫
良心的行動とは
4年に一度は土地を休ませ、化学肥料を使わず、自然の水利を使ってという責任感の強い農夫は
経済的に破滅するのがいまの経済システム
その理由は、好きなだけ増やすことができる紙幣がいまだに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯覚にある。
これはとうの昔にそうでなくなっている。貨幣は一人歩きしているのです。
重要なポイントは、パン屋でパンを買うお金と、
株式取引所で扱われる資本としてのお金は、2つの異なるお金であるという認識。
大規模資本としてのお金は、通常マネージャが管理して最大の利潤を生むように投資されます。
そうして資本は増え、成長します。
特に先進国の資本はとどまることを知らぬように増え続け、そして世界の5分の4はますます貧しく
なっていきます。というのもこの成長は無からくるものではなく、どこかがその犠牲になっているからです。
そこで、私が考えるのは、再度、貨幣を実際になされた労働や物的価値の等価代償として取り戻すためには、
いまの貨幣システムの何を変えるべきなのかということです。
これは人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いであると、私は思っています。
○ ゲゼル「お金は老化しなければならない」
⇒ 老化するお金のシステム! これには驚いたが、話しを聞いていけばいくほど合理的であると感じた。
なんでも老化する、それなのに置いておけばおくほど増えていくという金融システムはダメなのではないか。
そう強く思う。
オーストリアのヴェルグル町での成功(1929年)
1ヶ月毎に1%づつ価値が下がるので、町民は毎月1%分のスタンプを買って老化する
お金に貼らねばならなかった。
お金を持っていても増えないばかりか、減るので皆はそれをすぐ使うようになる。
つまり貯めることなく経済の輪の中に戻すことによって、失業者が消えることになった。
お金を借りても利子を払う必要がないので、皆がお金を借りて事業を始めたので町の負債も消えてなくなった。
ただ、オーストラリア国家が介入して禁止になってしまった。
関連HP
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190558
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/siranai/5-7.html
○ 友愛の理念
民主主義の基本にある多数決は、政治的レベルの原理です。
文化や精神活動は民主主義とは別の自由が最も大切な領域です。
芸術は多数決でははかれません。
特にお金を考える上で、経済生活を貫くのが友愛の理念だというエンデの考え方にははっとさせられました。
多くの地域通貨やソーシャルバンクでは、人のなりわいを助け、相互に支えあう可能性が
さまざまに追求されています。それらに、お金がひとつの共同体を結びつける絆になる
可能性を見ました。
第2章 エンデの蔵書から見た思索のあと
○ マルグリット・ケネディ
木の生長はいつかは止まるが、お金の成長は数の増大という点で果てしがなく、
その2つの成長の間には、橋を渡しようのない食い違いがある。
それは政府のプログラムによっても、人々の善意のプログラムによっても、
つながりがつけられない。そのとき私が気がついたのは、どのようなエコロジカルな対策も、
資本市場で調達した利子を支払えるものでなければならないという事実でした。
「利子ともインフレとも無縁な貨幣」を著す
重要なのは指数的に倍増する割合で成長する曲線。
指数的な成長を示す曲線は最初非常にゆっくりと経過し、やがて着実に増加して、
最後はほとんど垂直な傾きの量的増加に移行します。
自然界においては、こうした成長は、通常、病気や死にかかわるところで見られます。
例えば、癌は指数的な成長に従います。
だから、たいてい癌を発見したときは、もはや治療不可能となっています。
利子が利子を生む複利というのはまさにこの指数的な成長を示すものです。
「このまま利子が膨れ上がっていくとしたら、計算上、遅かれ早かれ、だいたいは二世代後に、
経済的な破滅か、地球環境の崩壊かのいずれかへと突き当たります。
それが根本問題です。信じる、信じないの問題ではなく、誰でもコンピューターがあれば計算
できることです。そして国が最大の債務者です。資金を借金によって調達し、それに対して利子を
払っているわけですから。国は、このシステムによって最悪の当事者といえます。
しかも、多くの国は、今日、個人としてなら銀行から一銭も貸してもらえない局面に立ち至っています。
そして、もちろん、もう一方に資産の所有者がいます。このシステムから利益を得ているのは、
ほんの一握りです。今、アメリカでは人口の1%が、その他の99%よりも多くを所有しています。
ドイツでも、遅かれ早かれそうなるでしょう。つまり、一方で、どんどん貧しくなる国があり、
自然環境も奪われていきます。その一方で少数のものたちが、法外な利益を吸い上げていく。
それがいまの経済システムです」
ケネディはこれまでの利子に代えて、利子配分に中立的な交換手段を打ち立てることを提案。
機能を交換だけに限ったお金のシステムです。
お金は貨物列車の車両にたとえてもいいでしょう。
貨物列車の車両は、物を運ぶところに使い道があるわけです。
本来の輸送ということに車両を使用する分には、料金を支払う必要はありません。
逆に、荷物を積んだままにしておくならば、当然、特別に管理料を支払わなければなりません。
お金も同じで、使わないで貯めておくのは、車両に荷物を積んだままにしておくのと同じですから、
管理料を取るべきなのです。
貨物の車両が使われないときには、戻されます。
お金の場合でいうと、中央銀行に戻されるということです。
ということは、いつでも手元にあるのは、必要なだけの車両であり、それによってそれなりの分野に
おける資産が運用されます。
このシステムは、これまでのように必要以上にお金を持っている人が仕事もせずに金利だけで生活する
ことができなくなります。そして同時にシステムに必要な経費も作りだすことができるのです。
それが解決です。身もふたもなく単純です。
○ 友愛による経済とは
フランス革命のスローガン 自由・平等・友愛
自由は精神と文化、平等は法と政治、そして今日ではまったく奇異に聞こえるのですが友愛は経済生活です。
工業社会は誰もが他人のために仕事をしたほうが社会全体の益になると考える社会なのです。
仕立て屋は自分のスーツを作るのではなく、他人のスーツをつくり、皆が自家製パンを焼くより、
パン屋が他の人のパンを焼くほうが、経済的に安上がりなのです。
そうした方が、万人の欲求を満たすのに有利になるのです。
こうして仕事は分けられます。誰もが他人のために働くのは友愛にほかなりません。
第3章 忘れられた思想家シルビオ・ゲゼル
− 老化するお金の理論とその実践の歩み
上述のヴェルグルの労働証明書の裏に印刷された宣誓文
「諸君!貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機、そして人類を貧困に陥れた。
経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。
いまこそはっきりとした認識と敢然とした行動で経済機構の凋落を避けなければならない。
そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。
人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。
緩慢にしか循環しないお金が、その労働の交換の大部分を妨げ、
何万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。
労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。
この目的のために、ヴェルグル町の『労働証明書』はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ」
コミュニティ(community)という言葉は、comとmunusに由来し、前者は「お互いに」、
後者は「贈り物」を意味するそうです。
つまりお互いの与え合う関係をさしているのです。
いま各地に拡散しつつあるLETSや交換リングは、かつての社会主義の諸思想が夢見たことを
さまざまな形で試みようとしているものであるとも理解できます。
ただし、そこに共通しているのはコミュニティ再建の視点でしょう。
1994年にパリでルテスというSEL(地域交換システム)が作られたとき、そのプレスリリースには、
「これは人々の間に心を開きあい、新たなもう一つの関係を作り出すのに好適なものだ。
会員は村にいるかのような雰囲気、助け合いと連帯の関係を見つけだすことができる」
との文言がありました。
いま、こうした取組みは世界で2000以上にのぼるとも言われています。
英国 450 4万人
フランス 300
米国 100
イタリア 100
ドイツ 250
オランダ 90
ニュージーランド 47
など。
ゲゼルの第二の故国アルゼンチンではRGTという地域通貨ネットワークは10万人規模を誇っている。
いま、RGTクレジットと呼ばれるローカル・マネーにゲゼルの勧告するマイナスの利子の仕組みを
導入することをめぐって議論がなされているところです。
ふたたびよみがえった地下世界からの帰還者たちの理念は、お金の新しい未来を突き動かし始めたと言えそうです。
日本にも地域通貨があることがわかった。341箇所
http://npo.iki2.jp/localcurrency/05/
第4章 貨幣の未来が始まった
○ イサカアワー
ポール・グローバーがボランティアで立ち上げた。
「グローバルに考え、地域で活動する」
イサカアワー紙幣の裏面
「TIME IS MONEY − 時は金なり。この紙幣は時間の労働もしくは交渉のうえで物やサービスの対価として
保障されている。どうぞ受け取ってください」
「イサカアワーは私たちの地元の資源をリサイクルすることで地元の経済を刺激し、新たな仕事を
創出する助けとなります。イサカアワーは私たちの技能、体力、道具、森林、野原、そして川などの
本来の資本によって支えられています」
そして表紙には、
「このイサカでは私たちはお互いに信頼し合っている」と印刷されています。
関連HP
http://www.tradition-net.co.jp/door/door_esy2000/3tsuka.htm
イサカの最低時間給は最高給に何の影響を与えることなく上がりました。
1イサカアワーは10ドルに相当します。
なぜなら時間10ドルの時給はトンプキンス郡の標準時給だからです。
例えばイサカのいくつかの有機農法農家は日雇い労働者に時給10ドルを支払っています。
これは農場労働者の時給としては世界で最も高いものです。
これらの農家はイサカアワーによって特権的な利益を得ているのです。
反対に歯医者やマッサージ師や弁護士は一時間に数アワーを得ています。
しかし最近専門家たちも均衡が取れた料金でサービスを提供するようになってきました。
イサカアワーの1400のビジネスリストは町の電話帳に載っています。
これは私たちの町の従来の市場にはなかった雇用や技能を受け入れる許容力を示しています。
人々は自分が楽しめる仕事で収入を得ることを誇りにしています。
私たちはイサカの住民の一人として出会います。
それはドルを奪い合う勝者や敗者といった関係と無縁のものです。
私たちはイサカアワーを使って生活することでそのままコミュニティを作っているのです。
そうすることで強制的に何かを買わされたり資源を浪費したりすることから解放されるのです。
○ライフスタイルと価値観の変化
ドルを追い求め物質的に豊かな生活をするというライフスタイルはいま米国の多くの人々のなかで
時代遅れとなってきているという記事を読みました。
35%もの都会に住むアメリカ人が都会での成功よりも田舎でのリラックスしたライフスタイルに
移行したいと考えているというのです。
むき出しの資本主義と呼ばれる自由競争市場主義の行き着く先に懸念を抱くアメリカ人もたくさん
存在するのです。そんな人々によって地域通貨の運動は広がっています。
○ LETS(LocalExchangeTradingSystem)
カナダのバンクーバー、コモックス地方に住むマイケル・リントンはグリーンドルという
モノやサービスを直接交換するシステムLETSを始めた。
口座ゼロから出発し、グリーンドルを使うと口座からその分がマイナスになる仕組み。
実際の貨幣が発行されるわけではない。
各メンバーが持っている口座の中に記録されていく。
全体の動きはLETS事務所に報告され、各メンバーの勘定に記録されていく。
リントンはこの口座におけるマイナス部分を負債というよりはLETSへのかかわりの深さを示す指標と位置づけた。
将来LETSに新たな財やサービスを提供してくれる可能性を表しているというのです。
この点が従来の貨幣システムを凌駕しているLETSの新たな価値観を示しています。
LETSは従来の市場経済の枠組みのなかでのそのシステムを利用しながら新しい地域循環型の市場を形成する一方で
コミュニティ形成に役立つ道具として世界中に注目され、それぞれがそれぞれの地域に応じた仕組みを模索、
展開するようになった。
http://www7.plala.or.jp/YAYOI/sub9-5.html
○ ヨーロッパに広がる交換リング
交換リングの単位はマイナスを持っていても、それがどんどん増えるということがありませんが、
逆にプラスをいくら貯めこんでも、結局それも交換リングの中で何らかのモノやサービスと交換
しなければ何の意味ももちません。交換リングの独自単位は、まさに円滑な交換のために存在する「道具」なのです。
ドイツの多くの交換リングでは会員の信用貸し、すなわちマイナスの限度額を定めていますが、
その意図は交換を促すことにあります。
ハレのデンマークでは、さらにゲゼルの自由貨幣にならい、プラスの口座から月1%、年に12%
を差し引くシステムを採用し、流通を促進しようとしています。
(ある人の言)
私には3人の子供がいますから芝刈りは出来ない、やぶも刈れない、ベビーシッターにも
行けない。提供することが何にもないと思っていたのです。でも私は終了証を持っているから
カウンセリングができるじゃないか、と気づきました。
相談に来る人も、助けが必要だという気持ちばけりではなく、やれることだってあると思っているはずです。
何かを受け入れる気持ちを持っているはずです。
私だって、自分ができない芝刈りを誰かにやってもらうということに、少し躊躇しました。
でも自分に何かできることがあれば、そういうことももっと気軽に受け入れられるということが
わかりました。だから交換リングに入ったのです。
○ ヴィア銀行(スイス)
ヴィアというのは、ふつうのお金のように、ただただ収益として取り組むのではない。
重要なのはどう使うかということ。
ヴァアは本来、受け取るよりも前に使っているべきもの。
私の店の場合は、1.75%という低い利子でヴィアの融資をうけて不動産を買いました。
それを今、ヴィアの収益で返しているわけです。
そのように、ヴィアというものは循環させるべきものであって、つねに使うことを考えていかねばなりません。
貯めこむためではなく、使うために存在するお金ヴィア。
ヴィア銀行のドゥボワも語っています。
「ふつうのフランなら、持っていると利子がついて有利です。
しかし、その持っているお金、自分にあるお金しか使えません。
つまり、順序として自分がお金を持っていて、それからお金を使うということになりますが、
ヴィアの場合ちょうど逆になります。自分がヴィアを使おうとしている分だけ自分が得ようとするわけです。
思考がふつうのお金と全く逆になるわけです。
銀行組織やカードシステムといった現代的な装いをしているヴィアですが、利子システムのなかで
普通の貨幣が見失ってしまった「交換のための道具」という本質は、創業以来60年、まったく変わっていません。
ヴィアという単位をつくりだし、それを保ち続けられたのは、ヴィア銀行が
「利潤追求」ではなく「連帯」と「相互扶助」を第一義の目的としていることと不可分といえるでしょう。
関連HP
http://www.tradition-net.co.jp/door/door_esy2000/4tsuka.htm
エンデはインタビューでこう語っている。
「自然界に存在せず、純粋に人間によって作られたものがこの世にあるとすれば、それはお金なのです。」
ある意味で、お金は人類の叡知が生んだものといえるかも知れません。
これまで、私たちは、いま手にしているお金のありようが唯一、絶対的なものと思い込んできました。
しかし、時代は移り、私たちを取り巻く世界はそのお金によって、これまでにない大きな課題に
突き当たっています。ヴィアはその課題を切り開くべく、人間の叡知としてお金をよみがえらせるための
一つの大きな試みと言えるかも知れません。
エンデはインタビューをこう結んでいます。
「人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。
お金は変えられます。人間が作ったものですから」
第5章 お金の常識を疑う
○ カテドラルの建設
減価するお金のシステムがあった。
「ブレクテアーテ」と呼ばれる貨幣改鋳のシステムです。
当時、金や銀がお金として使われていたのは遠隔地の貿易においてでした。
領主たちが支配する各地域では、領主がお金を発行していました。
薄い銀の板に刻印した貨幣が使われ、領主はこれを6ヶ月とか8ヶ月とか、一定の期間がたつと回収しました。
そして2〜3%、減価させて再発行しました。
この仕組みは、富をお金の形で持つのではなく、永久に価値が維持されるであろうと思えるものに投資させることになりました。
地域の人々は連帯して、信仰の対象でありながら、経済的な意味でも将来の投資としてカテドラルを建設していったのです。
ここに見られるのは、もしお金がマイナスの利子のシステムにおかれるならば、社会が実現した富は
なるだけ長期的に価値が維持されるようなものに投資されるということです。
これと対照的に、プラスの利子の場合には、より短期の利益を上げるものへの投資が優勢になります。
よい例は日本の林業です。
なぜ日本の森は死んだのか。それは、今のお金のシステムだと林業が割に合わないからです。
木を売り払ったお金で別の短期的な利益を上げるものに投資したほうが有利だからです。
しかしオーストリアのヴェルグルで減価する労働証明書が貨幣として使われたとき、
町民は自分が手に入れた富を家の修繕に使い、その次には、積極的に木を植え始めたといいます。
マイナス利子のシステムは、環境にもよい長期的な投資へと、投資誘因の変更をもたらすのです。
人は経済活動を行い、豊かさを手に入れます。それをお金の形で貯蓄し、それが金融システムを
通して投資に回っていきます。しかし、そのあり方が、そもそも貯蓄する人間に役立つ形で
成立しているかは疑問です。
社会の(貯蓄−投資)の流れが、お金のシステムが変われば変わっていくのです。
エジプトや欧州に旅行し、古代の遺跡や中世のカテドラルを見物した人は多いことでしょう。
数千年、数百年後の人間が見るに値するものがそこには残っています。
20年たったら壊れるような住宅やビル、10年もつかどうかの自動車、すべては
私たちの、利子の存在ゆえの短期的な利益を上げていかねばならない仕組みのなかで成立しています。
息の長い価値あるものは作られず、他方で浪費の果てにゴミの山が吐き出されています。
3000年後の考古学者は現代の都市のあった場所を発掘して何を見つけるというのでしょうか。
私たちがお金のシステムにもうひとつのオプションを持つこと。
それは私たちのイニシアチブで始めることができます。
○北海道電力の取組み
北海道電力総合研究所の鍋島芳弘さんは番組を見て地域通貨に強い印象を持ったといいます。
鍋島さんは低迷する北海道経済を立て直すため、さまざまな経済活性化の道を模索してきました。
地域通貨という要素を取り込めば、これまでの試みがつながるかも知れないと考え、独自に調査取材を始めました。
鍋島さんの報告を受け、上砂町商工会議所や北海道経済連合会でも地域通過に関心を持ち始めました。
現在、研究所では正式に地域通貨実践のためのプロジェクを発足させ、国ぐるみで地域通貨に
取り組んでいるオーストラリアなどに視察に出かける計画です。
⇒ この本が出されたのは2000年です。
研究所長とは電事連の会議で顔を合わすので、今度、聞いてみようと思っています。
以 上