「不況のメカニズム」
小野 善康 中公新書
小泉構造改革に疑問を訴える書である。
これも先輩の読書家Eさんの2008年の推薦図書である。
お金は劣化するべきというエンデの遺言を昨年の推薦図書としていただき、読んでいるが実はまだ読後記が書けていない。
その書とも非常に考え方が似ているのであるが、こちらの小野さんの方を先に書くこととした。
金が金を産み、金持ちだけがより裕福になってしまうという現在社会は果たしていいのか。
その思いが両書のテーマである。
こちらはケインズ「一般理論」から新たな「不況動学」を考察しているが、非常に説得力がある。
すばらしいと感じた。
ただ、問題は理論だけでなくこれを誰が実践するかである。
百考は一行に如かずである。
あとがきが非常によくまとまってわかりやすいのでこれを引用する。
貨幣とは、人類の発明のなかで、もっとも効率的で魅力的なものではないだろうか。
貨幣をめぐっては様々なドラマがあり、運よく大枚をつかんで幸せの絶頂に至る人もいれば、
お金のために犯罪に加担して人生を棒にふる人さえもいる。
日常生活においても、我々はいつも店の前で「これが買いたいけれどお金がもったいない、どうしよう」
と葛藤しているような気がする。人々の生き方にこれほどまでに影響を与える発明品は、貨幣以外にあるのだろうか。
しかも、それがただの紙、あるいは通帳に印字されモニターに映し出されるただの数字で、
それを作るのに何のコストもかからないのである。
伝統的な経済学は、これほど魅力的なものへの人々の欲望を真正面から考えてこなかった。
ケインズは、それまで脇役だった貨幣を人々の直接的な欲望対象としてとらえ、「流動性選好」という
概念を確立した。それによって、貨幣が物やサービスに向かうべき購買力を限りなく吸い込み、
物が売れずに不況になるというメカニズムが明らかとなった。
(⇒ 流動性選好という言葉は私としては「性向」を使い流動性性向の方がピンとくる。)
そこではケインズは、貨幣が吸い込む購買力として投資に回る資金しか考慮せず、そのため、
投資不足が中心的な役割を果す不況理論が生まれた。しかし、考えてみれば、流動性選好は投資に流れ込む
購買力だけでなく、消費に流れ込む購買力も吸い込むはずである。さらに、ケインズ自身が指摘しているように、
不況においては資本設備が余って投資をする必要はないため、投資不足の説明はそれほど重要ではない。
つまり、流動性選好による需要不足という発想からすれば、流動性選好を消費にこそ結びつけるべきだったのである。
(中略)
しかし、消費関数を捨てて、流動性選好と消費を直接関連付ける消費の利子率という概念を導入すると、
不況の説明に物価と賃金の固定性もいらなくなるし、乗数効果も消え、流動性の罠とも投資の限界とも
利子の理論ともかみあい、新古典的な消費者行動理論ともつながる。それによってケインズ的な非自発的失業の
性質を満たす需要不足が現れ、ケインズ的な政府の役割も復活する。すなわち、「一般理論」というジグゾーパズルに
残された最後のピースは「消費の利子率」であり、それを使うことによって私のパズルは完成した。
今後、日本の景気は徐々に回復し、あと20年もすれば再び好況とそれに続くバブルの崩壊が起こるであろう。
そのとき不況のメカニズムがさらに詳しく解明されていたとしても、需要不足が原因で不況が起こる限り、
再配分という副作用を持つケインズ的な需要創出政策は必要となろう。そうなったとき、1930年代のケインズの時代や
2000年前後の日本のように、目先の利益だけにとらわれた人々によって、政府の介入か構造改革かの論争が展開され、
その間に失業が拡大して、貴重な労働資源が無駄になるという事態だけは繰り返されないことを期待したい。
(所感、補足)
ケインズは名前を知っているだけで中身は不勉強で知らなかった。
それにしても経済学というのは線形でものごとを考えているので、こんな直線ばっかり引いてもホンマかな?
という気はする。
しかし、豊かな社会になったからこその現在の不況、格差社会については政策がおかしいのではないかという
漠然とした思いはあった。
市場原理主義、株主重視、金持ちばかりが富を増やす、そして下層社会ではワーキングプアー
この仕組みを流動性選好という概念で見事に論理的に証明して見せている。
残念ながらこれを政策にしようとすると、個人、企業のエゴがそれを許さない。
非常に難しい。高い理念をもってやろうとしても、少数の金持ちが反対する図式だ。
上から下への再配分により需要増をもたらす政策である。
需要増になるのは下層の方が消費意欲が高いからである。
上は流動性選好でデフレの時代にはさらにお金を貯めこんでしまうのである、。
この再配分政策は、倫理的、社会的なものではなく、あくまで(需要増が)国全体の効率向上になるのであると説いている。
面白かったのは世代交代に期待していることである。
津波の被害は必ず来るのがわかっていても痛い目に出会ったことがない若い人は
つい危険地帯に住むようになってしまうのである。
ということで経済も35年の周期でアメリカの株価のサイクルが繰り返されているとのこと。
筆者に言わすと「これは経済活動に関する一世代がそっくり入れ替わる期間と一致する」
なるほどと思った。
これを「世代交代がもたらす景気循環」と呼んでいる。
【小泉政策批判】
小泉政策批判の部分を抜き出してみましょう。
私も小泉さんは嫌いではないけれども、竹中大臣の手法には疑問を感じていました。
● 米百俵
経済が成長して実質資本が蓄積されていけば、ますます投資機会が減る。
このことは民間企業の投資についてだけではなく、政府による道路建設などのインフラ整備についても言える。
そのため人々は、経済が豊かになればなるほど、実物資本よりも金融資産の蓄積ばかりを考えるようになって、
ますます不況が起こりやすくなる。
ケインズによるこのような指摘は、そのまま平成日本の現状にも通じる。構造改革による節約のすすめは、
つまるところカネ、すなわち金融資産の節約しか頭にない。しかし、ケインズの指摘どおり、実際に節約が
意味を持つのは、実物資本をためるという行為がどこかで行われている場合だけである。
小泉政権下で行われた財政節約主義では、こうした基本原理が全く理解されていなかった。
小泉首相(当時)は山本有三の戯曲「米百俵」(注)を教訓として無駄遣いの排除を主張したが、本当の節約とは
無駄使いをやめて資金をとっておくことではなく、何か実物資本を作っておくことである。
米百俵の原作でも、もらった米を食べずに資金としてとっておけと言っているのではなく、その資金で
学校を作り、後世の人材育成に役立てよといっているのである。
(注) 戊辰戦争で焦土と化した長岡藩の窮状を見かね、支藩が米百俵を提供した。飢えていた藩士たちは
喜んでこれを食べようとしたが、大参事小林虎三郎がそれを止めて、「食べてしまえば一時でなくなるが学校を
建てれば後々まで生かせるから、明日の一万俵にも百万俵にもなる」と言い、学校建設のために百俵を売って
しまったという話しである。
● 投資の回復には
投資の回復には、経済についての確信の回復が必要であり、それには時間がかかる。確信が回復していけば
流動性選好が低下するから、資金が投資に回り、総需要が増えて景気が回復する。ケインズはこの点について
「不況の持つこの性質は、銀行家や実業家には理解され強調されているが、純粋な貨幣的政策こそ効果があると
信じている経済学者には過小評価されている」と述べている。
この警句は、景気回復には供給側の構造改革と金融緩和による金利引き下げこそ重要という意見が大勢を占める
平成不況下の日本でも、そのまま当てはまる。実際、日本銀行がゼロ金利政策を続け、定期預金の金利も1%に
満たない水準まで下がったが、投資は伸びていかなかった。その理由は、過度に競争を煽っていつ倒産するかも
わからない不安な状況を作り、物が売れずに投資の期待収益が大幅に下がって、流動性選好だけが高まったから
である。これでは、日本銀行がいくら金融緩和を行っても人々は貨幣保有を増やすだkで、投資をしようとは思わない。
また、2006年頃から投資が回復し始めたのも、利子が下がったからではなく、これ以上は経済は悪くならないと
いう安心感が広がってきたからである。
● 国家による投資の奨励
ケインズの世界では、民間企業の投資は不安定な将来予想に依存して大きく変動する。
そのため、たびたび投資不足が起こって総需要が不足し、労働力の無駄が発生する。
それを避けるためには国家が介入して投資を安定的に維持することが必要となる。
さらに好況期の過剰投資が不況の原因であるとする新古典派の主張に対して、ケインズは
次のように反論している。通常、不況で需要が不足したときに余ってくる資本を過剰資本というが、
本当の過剰資本とは好況期にも余るような資本のことである。ところがこのことが正しく理解されず、
好況期にプラスであった収益が不況期にマイナスになると、それによって過剰投資だと思われて
投資が抑制され、役に立つ投資が行われなくなる。すなわち、住宅に住めない人がいるのに住宅が余って
住宅建設は止まるし、多くの人々が飢えに苦しみ、食料を作る資本も労働力もあるのに、食品工場が
稼動しない状態である。
こうした記述は、そのまま平成不況下の日本にも当てはまる。大阪城公園にテント暮らしのホームレス
がたくさんいる一方で、住宅産業では仕事不足で倒産が相次いだ。
それを見て小泉首相(当時)は「構造改革の効果が現れた」と高く評価していたのである。
また、この書では2箇所にゲゼルの実践の話しを引用しているので書き残しておく。
第3章
これ(貨幣から他の資産や財には需要がなかなか向かわず総需要が不足し続けること)を防ぐ手段として、
貨幣保有に人為的な持ち越し費用を導入することも考えられる。具体的には、ゲゼルが提言した、定期的に手数料を取立てて
スタンプを押さなければ貨幣としての機能が維持できないとする、貨幣スタンプ制度がある。これによって、貨幣を保有することの
有利さが低下し、需要が他の資産や財に向かうと述べている。
第4章
ケインズは高い流動性選好が実物投資を阻害するから、貨幣を保有するための費用(持ち越し費用)がかかるようにすれば
購買力が実物投資へ向かうと考え、料金を払わせて貨幣にスタンプを押すゲゼルの貨幣スタンプ制度を再度紹介している。
その上でケインズは、この制度の限界について大変重要な見解を述べている。すなわち、流動性プレミアムは貨幣だけが
生み出すものではないということである。貨幣がダメなら、銀行貨幣、要求払い債務、外国貨幣、貴金属、宝石、土地などがある。
これらも流動性プレミアムを持つから、貨幣だけに持ち越し費用を導入しても、それらが代わりに購買力を吸収して実物投資が
阻害される。結局、流動性を生むすべての資産に持ち越し費用を課さなければ需要刺激効果はない。