「小さな人生論」
藤尾 英昭 致知出版社
この本も香川県警のKさんから、先日の手紙の返事とともにまた送っていただいた
本(全4冊)でした。
月間「致知」創刊25周年記念で社長の書き下ろしである。
致知にかける志がわかる。
この本のあとがきにあった寄付を申し出くれた読者の手紙から引用しよう。
もう残り時間がないように思います。
しかし、この年齢まで生かされたことが不思議な程で、悔いはございません。
最高の幸せ者のように思っております。
尊敬する夫、娘、すばらしき友、又「致知」に出会ったことでしょう。
「致知」人間力がテーマなので、私も読者になろうかなと思っていますが
なかなか読む本が多く、出版された本を読むだけでも精一杯なのでまだ頼んでいま
せん。
http://www.chichi.co.jp/
○ 「あらゆる荒廃は人間の心の荒廃から起こる」 二宮尊徳
心を荒れ放題にしないためには絶えず、心の田んぼ、つまり心田を耕さなければと
説いた。
溌溂颯爽 −。 いつも気持ちをさわやかにしておく。
いつも、颯爽とした気分でいる。
溌溂颯爽こそ、心の雑草を取り、心の花を咲かせるために、欠かせない必須の条件
である。
○ 道を究める心境
「楽天的」
単に「物事をよいほうに考える」とか「くよくよしない」ということではない。
誰もが絶望するような状況のなかでも1ミリの穴から光が見えれば、
その光を信じて進んでいくという強い精神のことである。
「感謝の念が強い」
自分にプラスになるから感謝するのではない。
自分にとってもマイナスと見える出来事にも、
これは自分を成長させるために天が自分に与えたものだと感謝するのである。
「感動する」
一道を究めた人たちは一様に八十になっても九十になっても感動する心を失ってい
ない。
その姿勢はそのまま、人に感動を与えるのである。
「神を信じている」
特定の神ではない。
この世には人智をはるかに超えた大いなるものが存在している。
そういう大いなるものに対する敬虔の念、畏敬の念を生涯持ち続けているというこ
とである。
○ 天からの封書
森信三先生は「現代の覚者たち」の中で、
「人はこの世に生れ落ちた瞬間、全員が天から封書をもらって生まれてくる」
と言っている。
「その封書を開いたら、あなたはこういう生き方をしなさい、と書いてある。
しかし、せっかく天からもらった封書を1回も開かないで死んでいく人が多い」
○ 心の鍛錬
「楽観主義は意思の所産である」というフランスの哲学者アランの言葉を待つまで
もなく、
人の心は放っておくと、不安、不平、不満、嫉妬に陥る。
あるいは傲慢、慢心に染まる。
しかし、見事な人生を生きた人たちは例外なく、「物事を前向きに考える」、
「感謝の心を忘れない」、「愚痴をこぼさない」、「明るく謙虚である」
という方向に、自分の心を鍛え続けてきた人たちである。、ということを忘れては
ならない。
○ 我流
「我(われ)流」とは、単なるわがままのことではない。
単なる気まま、自分勝手のことではない。
リルケの言う「自分自身を成熟させる」ことである。
大いなる理想に向け自分自身を成熟させていく、そのプロセスの果てに自然に生ま
れてくる、
あるいは形成される、その人なりの流儀−それこそが「我流」なのである。
○ 節から芽が出る
この言葉は天啓のように、心に響いた。
ああ、そうか。人は望まないのに、苦しい状況や辛い目に遭うが、それは人生の節
なのか。
そしてその節から新しい芽が生まれてくるのか−
− 心の中に、一筋の光が灯ったような喜びと感動があった。
○ 苦難は幸福の門 (倫理研究所創始者 丸山敏雄氏の言葉)
苦難は生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号であり、ここに幸福に入る門
がある。
従って、苦難を忌み嫌うのではなく、喜んで取り組み、苦難の原因になっている生
活の
あやまり、心の不自然さを取り去ると、かつ然として幸福の天地がひらけてく
る、と
述べられている。
「大悪起これば大善来る」−と仏法では言われている。
小さなよいことは、日常の中でもしょっちゅう起こる。
しかし、大善−本当に大きなよいことは、こんな苦しみはもういやだといいたくな
るような、
大悪が起こったあとにやって来る、というものである。
○ 人は人によって輝く
人は人として生まれえても、そして肉体的に栄養を与えられても人間として成長す
ることは
できない。人は人の間で愛情をかけられて育つからこそ人間となる。人として輝き
のある
人生を生きることができるのである。
(この前に狼に育てられた2人の少女の例。一人は8年生きたが直立歩行も言葉も
マスター
できなかった)
一人で発光している人はいない。
どの人も人の愛を受けて光っている。
人は人によって輝くのである。
以 上