「ガイヤの復讐」
James Lovelock (原著), 竹村 健一 (翻訳), 秋元 勇巳 中央公論社
同僚の読書家Eさんの推薦図書である。
非常にインパクトを受けた。
まずは巻頭で三菱マティリアルの秋元さんの「今なぜジェームズ・ラブロックなのか」
である。秋元さんは尊敬している方なので、その方が薦めているということで
肯定的に読む姿勢となった。
訳者の竹村健一さんが巻末でラブロックさんをこのように紹介している。
ラブロックさんは以前はわりあい原子力発電に対して反対の意見を持ち、核の恐怖のあまり原子力発電所を
抑える方向に動いていたが、今は変わって、それでは地球全体がもっとほかの意味で特に温度が高くなると
言い始めていると聞いていた。しかし、本書の第5章で触れているが、ラブロックさんは電子捕獲検出器を
発明するほどの「技術屋」であり、NASAやシェル社に招かれた経験が示すとおり、もともと科学技術
肯定の人だ。自然に対するものの見方が「反原発」の人たちとは端から違うのだ。
そもそも地球全体が宇宙の放射性廃棄物で、放射線とか放射能は特殊で人工的なものではない、と考えている。
ガイヤとは地球のこと。
ガイヤ理論は人間ではなく地球を中心として考えることなのである。
秋元さんの総括はこうなっている。
・ラブロックは心情的な技術批判、産業批判を戒め、リスクとベネフィットの
厳正な秤を通して、ハイテクや巨大技術の効用を評価しなおし、積極的に活用しようと提案する。
・環境浄化の名のもと、果てしもなく有害物質を仕立て上げる現代の魔女狩りには、危機感を募らせる。
・文明社会にとって、もはや「持続的な発展」のスローガンに酔いしれる余裕は残されていない、
とのラブロックのメッセージは、ひたすら発展を追い求めて文明の階段を駆け上がってきた
現代人には極めて厳しく響く。
・ラブロックが説くように、太陽はすでに老境に入り、われわれのブループラネットの自己調整
能力にも衰えが目立ち始めた。人類の過激な文明活動による悪影響がその衰えに輪をかけている。
それならば肉体の持続的撤退を価値創造へと転換する人類の知恵を、ガイヤの領域まで拡大して、
新しい文明、文化の価値基準、行動規範を構築することは出来ないものだろうか。
・撤退の言葉から後ろ向きのシグナルばかりを受け取ってはならない。ラブロックの説く
「持続可能な撤退」に人類が成功すれば、文明社会は野放図な文明の発展拡大が生む摩擦や
緊張から開放される。
☆ なお数字的なことは当社の専門家に見てもらったが問題ないとのことであった。
第1章 地球の現状
第2章 ガイヤとは何か
(冷たい方がよい)
ガイヤの観点から言うならば、むしろ氷河期のほうが望ましい状態で、暖かい海面層がはるかに
少なかったため海洋生物も豊富だった。また大氷河の形成に海水が取られたせいで海水面は
現在よりも120mも低く、それによってアフリカに匹敵するほどの大きさの陸地が露出し、
植物が生育できたと考えられる。
寒い地球には生命が豊富で、それは当時のCO2濃度が低いことからもわかる。
…
もし地球システム、すなわちガイヤが自分の好みを口に出すことができるなら、
現在の比較的暖かい状態よりも氷河期の方が好きだと言うことだろう。
(ガイヤの調節機能)
現実世界で今行われているように適切な調整が働くことをモデルは示した。
(ガイヤは自分自身で調節しているという仮説である)
海洋・陸地双方の生態系がその役割を示したのである。
しかし、二酸化炭素濃度が500ppmに近づくと、調節に不具合が生じ、
温度は突然はねあがった。原因は海洋の生態系の破綻にあった。
世界が暖かくなったせいで海面温度の高い領域が広がり、養分を得ることができなくなった海草類は、
(成長に最適な温度は10℃前後、これを越えると安定した海面層ができて養分が供給されない)
最終的に絶滅した。藻類に覆われた海域が小さくなるにつれ、藻類による冷却効果は落ち、
気温は急上昇した。
気温上昇の正のフィードバックの例
・雪に覆われた地面はそこに降り注いだ太陽光をほとんどすべて宇宙に反射するため寒冷なまま。
しかしひとたび雪が溶け始め、黒い地面が現れると、太陽光を吸収するため暖かくなる。
これで気温上昇が加速される。
極の浮氷についても同じ。
・海洋が暖まると、養分の乏しい水に覆われる地域が増え、海洋は藻類にとってあまり住みごごちの
よくない場所になる。そのため二酸化炭素の吸収率が減少し、太陽光を反射する白色の層雲が
海上に発生することも少なくなる。
・陸地では気温上昇によって熱帯林の安定性が損なわれ、その面積が減少する。
森林の失われた土地は冷却メカニズムを欠くため、より暑くなり、その結果、雪と同じように
森も消えてなくなる。
☆海洋システムの補足
温暖化が進むと、藻類の生長を維持できる地域はどんどん小さくなって極に追いやられ、最後には
藻類の繁殖が止まる。不規則な動きになるのは、海藻が二酸化炭素を吸収(ポンプダウン)するとともに
雲を作るからだ(海に浮かぶ藻類は、空気中から二酸化炭素を盛んに取り除き、それを成長に使う。
われわれはそのプロセスを、雨や海水に溶けるような二酸化炭素の受動的で可逆的な除去と区別する
ために、「ポンプダウン」を呼んでいる)。藻類が機能しなくなる閾値は二酸化炭素濃度では約
500ppmである。これはグリーンランドの氷の溶解が止まらなくなる閾値とほぼ同じだ。
現在の上昇率を考えると、500ppmに達するのは40年後になる。
● 暖かい海洋は皮肉なことに、冷たい海洋とは生産性において比べ物にならない。
冷たい水は海の密林であり、生命が豊富で、雲を作ったり二酸化炭素を吸収したりすることに
よって地球を冷たく保つのを助ける。
第4章 21世紀の予測
第5章 さまざまなエネルギー源
必要なものをすべて風や潮や太陽エネルギーから集めて何の影響も残さないなどということを
期待してはならない。
優れた経済学者たちが警告したように、無料のランチなどないのだ。
…
われわれの要求を満たし、快適な気候と大気の組成を維持するガイヤの力を妨げない唯一の
エネルギー源は、原子力だと私は信じている。
主な理由は、原子核反応のエネルギーが化学反応の数百万倍だからだ。
酸素で炭素を燃やすといった化学反応から得ることのできるエネルギーは、ほとんどの場合
1kg当たり約9kWhで水素原子の核融合から得られるエネルギーはその数百万倍で
ウランの分裂から生じるエネルギーはさらに大きい。
つまり、われわれのエネルギー需要を満たすのに必要な核燃料の総量は、ガイヤが通常扱う
物量と比べると非常に小さく、そこから生じる廃棄物の量も少なくなるというわけだ。
●化石燃料(祖先にあたる生物の遺産として、完全に再生可能なエネルギー)
エネルギーを得るために化石燃料を燃やすのは、定性的にいえば、木を燃やすのに比べて
悪いことではない。われわれの罪は(もし罪と呼ぶのが妥当な言い方だとすれば)、許される
ペースの何百倍の速さでガイヤからエネルギーを奪ったことである。質ではなく量という点で
罪を犯したのだ。実際、本章の前のほうで述べたように、燃料用に栽培した木や作物を燃やす
ことが再生可能エネルギーだと誤解されているが、化石燃料を燃やしてエネルギーを得るより、
こちらのほうが地球システムを破壊する可能性がある。化石燃料もバイオマス燃料も、
われわれの慢心したエネルギー集約型文明が求めるまま大量に燃やせば、量的に再生不可能に
なる。そしてまたもや、どうしようもない事実に戻る。今と同じ生活を続けていくにはあまりに
人口が多すぎるのだ。
・世界で毎年排出される二酸化炭素量は270億トンにのぼる。
もしこれだけの量の二酸化炭素をマイナス80℃で凍らせたら、
高さ1600m、周囲19.2kmの山が出来上がる。
○ 天然ガス
天然ガスの主成分は、もっとも単純な炭化水素であるメタン(CH4)である。
石炭や石油と同じエネルギーを発生させるのに、メタン燃焼は二酸化炭素の排出が半分ですむ。
しかし漏れる(2〜4%)
メタン漏出の問題点は、この物質が二酸化炭素に比べて24倍以上高い温室効果をもつガスだという
点にある。
ただ空気中の滞留時間が比較的短く、年間で8%が自然に酸化し
12年で、漏出したメタンのうち37%を残して酸化し、二酸化炭素と水蒸気となる。
毎年使われる天然ガスの約2%が燃焼前に漏出するなら、それが20年続けば、天然ガスの代わりに
石炭を燃やすのと同じ温暖化を引き起こすことになる。
○ 再生可能エネルギー
19世紀の初めから、われわれは許される以上のものを地球から取り上げてきた。
持続可能な開発も再生可能エネルギーも、もっと昔ならうまくいったかも知れないが、
現在の人口を支えるためにそれら省エネに期待するのはロマンティックな夢にすぎないと
わたしは思う。
○ 風力
沖合いの風力はメンテナンスのコストが陸上よりもずいぶん高くつく。
個々のタービンは小型船で点検や修理をおこなわなければならない。
設備稼働率が低い。(約25%)
ドイツからの最近の報告では、わずか16%ということだ。
デンマークでのエネルギー需要ではたったの3%しか満たしていない。
イギリスの王立技術協会の2004年報告では
原子力に比べて、陸上で2.5倍、沖合いでは3倍以上のコストがかかる
○ バイオマス燃料
われわれは科学と宗教の旧式な教えを廃し、森林に覆われた地表は地球の新陳代謝を果たすため
進化してきたものだと、考えを改めなければならない。それはかけがえのないものなのだ。
人間はすでに自分たちの食物を育てるために生産力のある土地の半分以上を奪っている。
燃料生産のために残りの土地を奪おうとするなら、ガイヤにどうやって地球を管理していけと
いうのであろうか。
○ 放射性廃棄物
私に言わせれば、これ(放射能汚染の長期間の影響)は現実の世界ではまったく実態のない
悪夢ファンタジーである。また、自然界にとって放射性廃棄物は、貪欲な開発者から守って
くれる歓迎すべき相手で、そこから被る害などほんのわずかな犠牲に過ぎない。
非常に衝撃的な事実だが、放射性各種による深刻な影響を受けた場所には、野生生物が
豊富に生息している。チェルノブイリや太平洋の核実験場、第二次大戦の核兵器工場のあった
サバンナリバー周辺の土地、すべてがそうだ。
野生の植物や動物は、放射能を危険なものと認識してはいない。
彼らの寿命は少々短くなるかもしれないが、それも人間とそのペットの存在ほど危険ではない。
今、人間があまりに多すぎること、そして農業、林業、住宅建築の名のもとにやっている
余計なことは、ほとんどすべて野生生物とガイヤにとって有害だということを、人間はいとも
簡単に忘れてしまう。
野生生物が放射性廃棄物処分場を好んでいるからには、その最良の候補地として熱帯雨林を
挙げてはどうだろう。熱帯林やそこに住む生物たちは貪欲な農場経営者や土地造成業者を
撃退してくれる頼りがいのある守護者を必要としているのだから。
○ 核分裂エネルギー
化石燃料より原子力が目立って優れているのは、廃棄物の処理が極めて容易だという点。
化石燃料を燃やすと、年に270億トンの二酸化炭素が発生する。
これは高さ1600m、周囲19.2kmの山が出来上がる。
同じ量のエネルギーを核分裂反応から得ると、廃棄物は200万分の一で
一辺16mの立方体に収まる。
二酸化炭素は目には見えないが極めて有害なので、もし排出が野放しにされれば、
ほぼすべての人間の命を奪うことになる。一方、処分場の穴に埋められた放射性廃棄物は
ガイヤにとって何の脅威にもならないし、愚かにもその放射能にわざわざ見をさらそうとでも
しない限り、危険はない。
原子力の有害さに対する大衆の信仰はあまりに強くて、直接議論しても打破できない。
その代わりに私は、原子力発電所から1年間に出る高レベル放射性廃棄物をすべて私の
小さな地所に保管すると申し出て、それを公表した。廃棄物は1立方メートルほどの
大きさで、安全にコンクリートの穴にはめ込まれることになる。私はその放射性元素が
崩壊していく際の熱を我が家の暖房に使うだろう。利用しない手はない。最も重要なのは
それが私にも家族にも野生生物にも危険を及ぼさないという点だ。
環境保護団体は大きく、それに対し原子力産業は、石油や石炭の企業に比べると小さい。
石油や石炭の企業は実際非常に巨大だ。炭素燃料と核燃料の出力密度についてちょっと考えて
みれば、なぜ原子力産業が小さいかわかる。電気を同じだけ作るのに、石油やガスはウランの
百万倍の量が必要なのだ。結果的に原子力産業は、原子力を支持してもらうためのデモンストレーション
や宣伝をほとんどできないし、大衆に反論を聞いてもらう機会もなかなか作れないでいる。
○ ナトール「原子力ルネッサンス」 西側民主主義における反原子力感情の増大
アメリカはベトナム戦争への抗議終結から反原子力へ 1970年代
イギリスは違う
1960年代末の核兵器禁止運動(CND)である。
1980年代初めにはこの運動が再燃した。CNDは情熱的で反米的だっただけでなく、
陽気で格好がよかった。1960年代のイギリスの反核運動と大衆文化の融合を、筆者の
おじであるジェフ・ナトールはその直感的な自伝「爆弾文化」のなかで鮮やかにとらえて
いる。彼はあるCNDのオルダーマストン・マーチを「抗議はお祭り騒ぎを連想させる」
と評し、楽観主義のカーニバルと描写した。この核問題の重要な側面は、数十年という時間
の経過とともに若干弱まった。原子力ルネッサンスを支持する人々は、原子力のそういった
側面を承知で無視している。
私はナトールに賛成だ。多くの環境保護団体がなぜこれほどまでに反核なのかが容易にわかる。
彼らは環境主義とCNDの合同組織の産物である場合が多いのだ。
⇒ 伊方2号の出力調整運転反対のときはまさにお祭り騒ぎだったので
実感としてよくわかる。
○ 超大国間の核戦争を阻止し放射能汚染から人類を守ること、は20世紀の問題であり、
われわれが現在直面しているのは、もっと命にかかわることなのだ。新たなる暑い時代の
再来である。皮肉なことだが、もしそれが現実に起こるとすると、反原子力を支持すれば
かえってその進行は早まってしまう。
○ 私は現在86歳だが、長生きしようとする努力にはそれほど感動しない。
もし健康なままでいられれて、少なくとも今と同程度の思考ができるなら、
100年あるいはそれ以上生き続けるのもよいだろう。人生の良し悪しは、
その年月の長さではなく、どれほど大きな喜びを得られたか、どれだけの成果をあげられたかで
決まる。
○ 放射線のリスク
重要なのは、われわれが死ぬかどうかではなく、われわれが「いつ」死ぬかだ。
もし40万人が被爆の1週間後に死ぬというなら、それは実に恐ろしいことだが、
かわりに当初予定されていた寿命よりも1週間早く死ぬとしたらどうだろうか。
放射線生物学によれば、放射線10ミリシーベルトは人間の寿命を約4日間縮めることになり、
それほどショックを与える影響ではない。北部ヨーロッパの住民すべてがチェルノブイリの
放射線にさらされるとどうなるか、同様の方法で計算すると、彼らの寿命は1時間から3時間
縮まることになる。ちなみに一生煙草を吸いつづける人は7年寿命が短くなるという。
メディアや反原子力活動家がガン死のリスクを語りたがるのは驚くにあたらない。
平均寿命が数時間失われる話よりもそのほうが話として面白いからだ。意図的に欺こうとする
発言をウソと定義するなら、チェルノブイリで莫大な死者が出たという執拗な繰り返しは、
影響力の強いウソと言えよう。
第6章 化学物質、食品、原料
○ われわれの関わった汚染を合計すると、すでに5000億トンもの炭素を大気に放出したこと
になる。もし5500万年前の始新世時代の地質的な記録が正しく、われわれが汚染を続ける
なら、世界は取り返しのつかない変化を遂げ始め、子孫の中でそれを見届けることができる者
はほとんどいないだろう。われわれは人間の幸福ばかりを利己的に考え、ガイヤの繁栄を無視
してきたがために、絶滅寸前に陥っている。
第7章 持続可能な撤退を実現する技術
○ 二酸化炭素対策
2005年8月、原子力廃止措置機関(NDA)は、今後25年間でイギリスの核設備を
廃止していくために、約600億ポンドが必要だと報告している。
さほど緊急性を伴わない計画にこれほどの大金を見込むことだけでも、信じられない話しだ。
二酸化炭素の処分のためにずっと有意義だろうに。会議ではケン・カルディエラが、
二酸化炭素は水中で石灰の懸濁水と反応させることによって隔離できるという実用的な提案を
した。その結果生成される重炭酸カルシウムは、気体の二酸化炭素よりもずっと容易に処分できる。
(もうひとつ蛇紋岩のシステムが買いてあったが省略する)
第8章 環境保護主義に対する私見
○ 経済学者や政治家は、化石燃料からの二酸化炭素排出を早急に管理し停止していくことの
断固たる必要性と、人間にとっての文明の必要性との折り合いをつけなければならない。
一部の人々がヘロイン中毒になるように、国家は経済成長中毒になる。おそらくわれわれは
より安全な代替物、つまり経済学者のメタドン(ヘロイン中毒の治療薬)を使うことによって、
渇望を抑制し続けなければならない。重ねて言うが、携帯電話、インターネット、コンピュータ
による娯楽は、正しい方向だ。これがあることによって車や航空機の利用が減り、それにかかる
エネルギーや時間を他に向けられるからだ。さらに情報技術と、エネルギーの有効利用がある。
たとえば非常に効率のよい白色発光ダイオードを夜間に使うことも考えられる。この種の技術
が経済成長の主原因になれば、われわれは害を与えずに生活できるし、移動に使う燃料も時間も
節約できる。そのようにわれわれも進化している。
用語解説
【カオスとカオス理論】
科学に対する確信と信頼は19世紀と20世紀のかなりの期間その発展を支えたが、現在では、
長年科学を活性化してきた決定論が、致命傷を負った戦場の英雄のごとく通用しなくなっている
ことに気づかないままでいる。科学は暫定的でけっして確実なものではないという認識は、
優れた科学者の頭の中に常にあり、19世紀には統計学がまず商業に、次に科学に応用され、
確率論的な考えが、信念に基づく確実性よりも理解されやすくなった。また、量子現象の絶対的な
不確実性の発見によって、決定論的な世界よりも統計的な世界を受け入れざるを得なくなった。
【再生可能エネルギー】
熱力学の第1法則は、エネルギーは常に保存されると明確に述べている。それゆえに、エネルギーは
失われることも再生されることもない。普段の会話に登場するエネルギーは、エネルギーの流れを
指している場合が多い。温かさや光、運動する力、伝達する力、そしてもちろん、生命を維持する力の
源という意味で使われる。再生可能エネルギーは紛らわしい概念だ。聞こえは良いのだが、綿密な
分析を許さない。化石燃料を燃やすことで得られるエネルギーは再生不可能と言われるが、生成された
二酸化炭素は植物によって利用され、最終的にはその一部は埋没してさらなる化石燃料を作る。
燃料作物の燃焼は再生可能エネルギーを供給すると言われるが、現実の世界の輸送にこの方法で
燃料を供給すれば、破局の初めリを遅らせるどころか、早めることになるだろう。燃料の栽培に
利用される土地は食物と、さらに重要な目的としては、ガイヤを支えるのに必要な土地だ。
エネルギーに関して重要なのは、質ではなく量だ。使用する総量が適度でガイヤの秩序を乱すもので
なければ、われわれはどんなエネルギー源も利用することができる。
以 上