「参謀学」
 -- 戦略はいかにして創られるか --
 
著者: 加来耕三   出版社: 時事通信社 
 
何でこの本を読むことになったのかよく覚えていない。
あんえいでひっかかったのだと思ったのであるが、全く出てこなかった。
 
おもに日本の戦国時代の参謀の話しであった。
 
人類の負の遺産とも言うべき戦争の技術は、幾千年の歴史を持ち、洗練されてきた。
この中に脈々と流れる原理原則は、今のビジネスの世界でも十分通用するとの主張には納得である。
 

武田信玄の参謀 山本かんすけ は現在NHKの大河ドラマでやっているが
この本の中では大きく取り上げられていたので、これまで見ていなかったのであるが
見るようになったのである。
 

橋頭堡(きょうとうほ)を築く  美濃攻めのらめ織田信長の命で木下藤吉郎が敵地に要塞を建立
 大きな敵に立ち向かうには足がかりがいるということ。
 
◎「法度(規律)を多くしてはならない」  「情」と「理」
 組織構成員すべてに、等しく「情」を通わせるにはと真田信之(幸村の実兄)は言う。
 規律によって人を縛るという発想の中に「情」や「愛」は育たない。
  
 
「人が利に誘われれば忠義の心も、死の害をも忘れるものだ」真田家の格言。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E6%B0%8F
 
人を動かすのは「利」であることを、武田家家臣真田幸隆は苦労人だけに熟知。
古き時代の優美な武士の道は、戦国時代には消えうせ、戦国動乱の日常化は
人々を利己主義、合理主義に駆り立てた。
家臣とは主君に仕えるものだ などと言っていたのでは、とうていやっていけない。
武田信玄などは父親が家臣から追放されるのを見ただけに、早くからこのことを
肝に銘じていたに違いない。
 
 → 現在も同じような時代認識なのであろうか…。
   
☆ 戦力は実力の自乗に比例する 
 これは知らなかった。
 10隻と6隻で争うと無傷で残る艦数はいくつか?海軍学校のテキスト
 10−6=4 ではなく 100−36=64=8*8   8隻が無傷
 
   大きいものは強い 
   孫子「大兵に戦術なし」のとおりである
 

◎ 人の過誤は宜しくゆるすべし、而れども己に在りては則ちゆるすべからず
 
  
 

○ 「戦いとは奇襲と正攻法の兼ね合い」
  おおむね、敵と対峙するには正攻法(正規の作戦)をもって、
  敵を破るときは策をこらした奇襲による。
 
○ 五分勝ちに徹すべし (武田信玄)
  凡そ軍勝五分を以って上と為し、七分を中と為し、十分を以って下と為す。
  五分は励みを生じ、七分は怠りを生じて、十分は驕りを生じる。
  実利においても同じ。
 
○ 兵法の目付と公事(くじ) 五輪書 (宮本武蔵)
  「観見二ツの事、観の目つよく、見の目よはく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事兵法の専也」
 
  目配りには、「観」と「見」の二種があり、「観」:ものごとの本質を深く見極めるのを第一として
  「見」:表面上のあれこれの動きを見るのは二の次にせよ、との意味になる。
 

○ 松の事は松に習え、竹の事は竹に習え」(芭蕉)
 
  自然を勝手に解釈するのではなく、私意を捨て去り、自然に同化しなければ
  自然の「本情」をとらえられぬと気づいた。
 
  
○ 愚直さこそ独創につながる 信長の三間半の槍 集団槍法
  独創は単なる閃きや、通り一遍の工夫でなし得るものでは決してなかった。
  平素の努力(根性・学習)が大切であり、何事によらず極める姿勢が不可欠。
  信長の「独創性」とは「愚直」に徹する姿勢である。
 
○ 生き残りて最後の勝利をつかめ
   「いかなる場合も死んではならぬ」
  武士道の潔さを否定している。
  楠木正成や山本勘助の戦死もダメだと言っている。
  軍略・兵法の奥義には「忍耐」の二文字が常にある。
  軍師、参謀、スタッフが自ら失策を引責し、その職を辞して投げ出しても
  こうむった損失は戻ってこない。彼らはトップに直結していながら、同時に組織全体に責任を
  負っていることを自覚せねばならない。
  秘中の秘として口伝されたものなのである。
   → 私の価値観から言うとはい、そうですかとは言いにくいものであった。
 
○ メッケルの遺産
  日本の軍国主義への動きがメッケルの戦術講義にあったとは知らなかった。
  筆者はこのことを非常に批判的に展開している。
  プロシアがモルトケの出現を得て欧州を制覇。
  それに信奉した日本がモルトケからメッケルを派遣してもらい戦略なき戦術論の取得にやっきとなった。
  本来、モルトケの確立した近代軍事学は、戦略・戦術の両面を兼ね備えたワンセットであったのだ。
  それが片方だけの伝授では不完全である。
  
  そして明治11年12月憲法改正により「帝国陸軍は天皇の直隷する」とし
  ついにシビリアンコントロール(議会)の原則を崩してしまったのであった。
 
  (大久保利通)、山県有朋の計略であった。
 
  
○ 戦略の策定こそ日本の急務
  軍国日本と昨今の日本 − どれほどの違いがあるのだろうか。
  なぜ、日本人は同じことを繰り返すのか。
  根本における、戦略論の不在が致命的なのではあるまいか。
 
  確固たる経略(戦略) − 国際社会における日本の立場を明らかにする政略、外交 −を策定できない
  日本は、ついに世界屈指の債権国となりながらも、なんら自らを誇りえず、イニシアティブも発揮できず、
  構造不況にあえぎ、リストラの嵐に吹き上げられ、ただアメリカやアジア・ヨーロッパ諸国の動向に
  翻弄されて、経済の空洞化を推し進めている。
 
  戦略論を持たない戦術論一辺倒の日本の悪しき伝統は、形態を陸軍主導から経済中心に転換したとは言え、
  その前途は非常に不幸であるといわねばならない。
 
  一日もはやく、卓越した戦術論を積み重ね、併せて戦略論の策定のできる人物の登場が待たれている。
 

「交渉学」
 -- 相手を読みきる戦術 --  

加来耕三 時事通信社




「縦横学」についての書であった。
何か口先だけで騙すような感じで、あまり気分がいいものでなかった。

晏嬰のように大義がある者はいいのだが、まさに現在の企業競争と重なる
中国での群雄割拠の時代を口先三寸で生き抜いたブレーンたちの話しであった。

「縦横家」とは、中国、戦国時代の諸子百家の一。
合従や連衡を説いた一学派。蘇秦(そしん)や張儀の名前は覚えた。


テクニックのほどはなかなか現在でも使えるが、何だか書き残す気もおきない。
私は孔子の「仁・義・礼・智・信」の方がすっと入るなあ。

チェックの紙を挟んだのは次の1箇所だけだった。

「人心看破術」の2番目にあった「一に聴けば則ち愚智紛れず」である。
◎ 一人一人の意見を聴きとって判断すれば、愚か者と智恵ものは紛れない、という意味

王が代わって、合奏から一人ひとりの演奏を聞くのを好んだ。
すると、処士たちは、自分たちのまずい演奏の露呈するのを恐れて逃げ散ってしまったそうだ。