「働く幸せ」 仕事で一番大切なこと
大山 泰弘 WAVE出版
これは佐々木常夫さんの本で引用されていたので読むことにしていた。
大山さんのチョークの会社は日経ビジネスで知っていたが、
この本を読んで、障害者と言っても知的障害者の人たちがちゃんと仕事ができるよ
うに工夫をし、
新たな製品を開発し事業を維持しているという内容を初めて知って感心した。
1点だけ、全国重度障害者雇用事業所協会の会長職を追われたときのことは
悔しい思いを吐露されていたのが印象的であった。
このような寄り合い組織やお役所を大山さんの理想の実現のために動かすことは、
既得権を棄てるリスクが感じられるため非常に難しかったようである。
大山さんがいろいろな学びを得てこうなったということを淡々と書かれていて好
感。
大げさに言わず、さらっと書いているが、並大抵の努力でないと思うが、
教えられたことに感謝する姿勢が素晴らしいと思った。
第1章 逆境を最大限に生かす
経営的には厳しい時期もありました。
そんなときには、本業にチョークづくりにこだわらず、いろんな仕事をとってき
て、
なんとか雇用をつないできました。またチョークづくりに新たな活路を見出すため
に、
新製品の開発にも積極的に取り組んできました。
それは、経営者として当然の責任ではあるのですが、彼らのためにと考えることが
何より私自身の力となってきたのです。
「無言の説法」
周利槃特(しゅうりはんどく)という高層。
お釈迦様が、修行最高段階の地位といわれるの弟子の一人に選んだ人物。
(今であれば知的障害者のような人物だった)
周利槃特にはすこぶる頭のいい、摩訶槃特という兄がいた。
あるとき、そのお兄さんは、
「お前がいては迷惑がかかるばかりだから、ここを去れ」と言って
周利槃特を祇園精舎から追い出しました。
追い出され、門の外で泣いていた周利槃特に釈迦は、
「お前にはお前の道がある。明日からこの言葉を唱えながら掃除をしなさい」
と語りかけ、「塵を払わん、垢を除かん」という言葉と箒を与えたのだそうです。
そして一心に掃除をしている彼を見ると、周囲の人がみな思わず手を合わせたく
なるほど、その姿が尊く気高いものであることから、釈迦は無言で説法ができる者
と
して、周利槃特を16羅漢に加えたのだといいます。
私は、工場で働く障害者の姿に、同じことを感じてきました。
彼らの内にある周利槃特の無言の説法に導かれて、私は今日まで生きてきたので
す。
障害者雇用のきっかけは品川の青鳥養護学校(知的障害者対象)の40代の先生が
熱心に
依頼に来られたこと。
「とにかく働く体験もせずに一生を終えるのです」という言葉で、
「ふつうは働くのが当たり前なのにそれができないというのはかわいそうだな」
と同情心が芽生えて2週間だけの終業体験を受け入れた。
しかし一心不乱に仕事をするその姿勢に心を打たれた。
そして「私たちがめんどうをみます」という社員の声を採用を決定。
経済成長まっただなかの昭和30年代、社員は子育てを終えた中年の女性で支えら
れていた。
東大を2回落ち深い失意と挫折感。中央大に入学。
「24の瞳」の映画をみて、主演高峰秀子さんの美しさもさることながら、
子どもたち一人ひとりの人格を磨き上げるような教師の姿に感激した。
「心の彫刻家」。この映画をきっかけに私はひそかに教師になりたいという夢を
抱くようになりました。終戦で「偉い軍人になる」という夢をなくして依頼、
初めてこころからあこがれた職業でした。
障害者と向き合いながら、彼らを立派な社会人に育てていくことは、
あこがれていた「心の彫刻家」という教師像に重なっていました。
もっとも、実のところ心を彫っていただいたのは私のほうなのですが……。
人生を振り返ってみると、私は教育者や研究者になりたいという若かりし頃に
抱いていた夢を、別の形で実現することができたように思います。
100%希望どおりの境遇ではなかったにしても、つねに最大限の努力を
していれば、どこにでも自分の夢や思いを実現する道はあるのだと思います。
「逆境を甘んじて受け入れ、最大限に生かす」という言葉を、76歳になった
今、改めて噛み締めています。
第2章 働いてこそ幸せになれる
◎カバ園長の言葉
TVで聞いた上野動物園で飼育係をしていた西山登志雄さんの言葉。
(その後東武動物公園の「カバ園長」として有名になった方)
「動物園で育った動物は、自分の産んだ子どもでも、育てようとしない。
子育ての本能まで忘れてしまうのです」
この言葉に私は驚かされました。
自分の産んだ子どものめんどうをみるのは当たり前だと思っていましたが、
動物園で決まった時間に食事を与えられ、他の動物から子どもを守る必要もない
環境に慣らされると、いつしか子育ての本能までも失われてしまうというのです。
……。
不謹慎かも知れません。しかし、私は思わず施設のことを連想しました。
そして工場で働く2人の女の子のことを思い出しました。
施設で大切に保護されることが、必ずしも本人にとってよいとは限らないと
いうことだろうか?西山さんの言葉は、むしろ、一般社会で仕事をしたほうが
いいということを示唆しているのではないだろうか?もしそうだとすれば、彼女た
ちに
働く場所を提供することは、少なくとも間違ったことではないはずだ。
このまま進んでもいいのかも知れない。そんなふうに思えたのです。
◎住職の教え
たまたま座った席が寺の住職となり、黙っていても居心地が悪いので頭をめぐらせ
ていた
ときに思わずでた質問
「うちの工場には知的障害者の人たちが働いているのですが、どうして彼女たちは
施設よりも工場にきたがるのでしょう」
住職の答え
「人間の幸せはモノやお金ではありません。
人間の究極の幸せは次の4つです。
その1つは、人に愛されること。
2つは、人に褒められること。
3つは、人の役にたつこと。
そして最後は、人から必要とされること。
障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、
社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証しなのです。」
「今日もよくがんばってくれたね、ありがとう」
「一生懸命仕事をしてくれたから、助かったよ」
といった声をかけます。
こうした言葉をかけあうのは、職場ではごく当たり前のこと。
私からすれば、単なる挨拶のようなものでした。しかし、
「そうしたやりとりによって、人の役に立っている、必要とされていることを実感
できる。
それが幸せというものなのですよ」
とご住職は教えてくれたのです。
「ありがとう」と声をかけたときの彼女たちの笑顔が脳裏に浮かびました。
そうか。施設で保護されていると「ありがとう」ということはあっても
「ありがとう」といわれることはないのかも知れない。
施設にいるだけでは、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされることを
実感することができない。だからこそ、彼女たちは工場にやってくるのだ。
ひるがえって、自分はどうだろう。「ありがとう」「助かったよ」と声をかけられ
ても
その言葉を当たり前のように受け取っていた。そこにこそ、人間の究極の幸せが
存在していることを意識することなどなかった。
「働」は国事
この部分を佐々木さんは引用していた。完全にしてくれていなかった。愛が抜けて
いた。
おそらく、人の道を説く僧侶が、
「人にために動くことを、働くというのだよ。人のために動いていると、愛される
人間になる。だから一所懸命働きなさい」
という教えを込めてつくったのではないでしょうか。
そう考えると、とてもわかりやすい。
なぜなら、「人のために動く」から、ほめられ、人の役に立ち、必要とされるから
です。
これが、「お金のために」「自分のために」であれば、そうはいきません。
◎知恵を働かせて工程を改善。信号や取扱い設備の改善
工程を単純化し、わかりやすくしたおかげで、知的障害者たちは余計なことに
気をまわす必要がなくなり、目の前のことに集中できるようになったのです。
彼らは安心して集中できるとわかったら、自分の持てる能力を最大限に発揮し
決して健常者に劣らない仕事をすることができます。
大切なのは、働く人に合わせた生産方法を考えることなのです。
理念だけで会社を経営することはできません。理念を「形」にする必要がありま
す。
それが、社員の力も得ながら実施してきた「工程改革」でした。
これがなければ、知的障害者を主力にする会社をつくり上げることはできませんで
した。
私は、企業だからこそ、このような工程改革ができたのだと思います。
企業は、少なくとも再生産が可能なだけの利益を生み出さなければ継続することが
できません。働いているのが知的障害者だからといって、「ほどほど」「ある程
度」
できればいいというわけにはいかないのです、だからこそ全社員が必死で頭をひ
ねって
さまざまな工夫をこらしてきたのです。
「福祉」の世界で、ここまで必死に考えることができるでしょうか?
私には難しいようにと思います。知恵を絞らなければ、組織が潰れるという危機感
は
企業ほどにはないはずですから。利益を出すことが絶対条件である企業だからこ
そ、
知的障害者も働くことができるように工夫することができるのです。
第3章 地域に支えられて
新工場の立地に関しては川崎市にお世話になったこと。
また粉のまったくでない新製品開発にも早稲田大学を紹介してくれて
「キットパス」が2005年に完成。
新たな挑戦としてホタテ貝殻チョークも完成
北海道立工業試験場と美唄工場とのコラボ
「ヒトの教育」井口潔編著 小学館
井口博士によると、人間が美しいものを見、きれいな音を聴き、
やさしいものにふれて、「感じる心」「応える心」を呼び覚ます基礎回路は
3歳ごろには大人の8割ほどに達しているそうです。
ですから、この時期までに絶対的な愛情をかたむけることによって、可能な
かぎり、子どもが生来持っている「感じる心の基本」を呼び覚ますことが重要だと
言います。
「キットパスきっず12色」を発売。クレヨンタイプとしたもで大ヒット。
子ども文化への貢献
最近、あるコンサルタントの方からいただいた言葉
「生き残るのは地域に貢献する企業です。地域に支えられてこそ、企業経営を
永続させることができるんです。」
第4章 幸せを感じてこそ成長する
個々のリーダーシップを伸ばすことをうまくやられている。
リーダーシップは個々のメンバーが発揮して初めて会社はよくなる。
「5S推進委員」の6つの条件
(整理、整頓、清掃、清潔、躾)
@「ほう・れん・そう」がきちんとできる
A元気に挨拶ができ、ことば使いがていねいにできること
B人の話しがきちんと聞けて、決められたことをよく守れる人
C自分から進んで行動ができ、まわりの人にも声をかけられる人
D掃除や整理・整頓がきれいにできる人
E髪や服装がいつもきれいな人
「班長」の6つの条件
@会社の規則や職員の人からの話、約束事をよく守れる人
A挨拶、ことばづかいが、ていねいにできる人
B誰とでも一緒に気持ちよく仕事ができる人
C「ほう・れん・そう」をわかりやすく職員に伝えられる
D仕事をわかりやすく、上手に教えられる人
E自分の仕事以外のことでも、進んでできる人
→まさにリーダーシップそのものである。
このように社員の成長を促す仕組みと評価制度ができているのである。
素晴らしいと思った。
◎社員教育は特にしていない
→ 必要がない。
これだけ多くの障害者と一緒に働くと自然に成長し始める
その通りだと思う。
知的障害者と健常者が一緒になって働いていると、ことさら教育などしなくても
自ら成長しようと始めます。健常者は知的障害者のためにがんばることが張り合い
になりますし、知的障害者は健常者の「思い」に応えることが張り合いとなりま
す。
そしてお互いに助け合う職場を作りあげるようになるのです。
社員同士の足の引っ張り合いや、責任の押し付け合いなどという問題が起きること
も
ありません。知的障害者の「働く幸せ」を守るために何をなすべきなのか−−。
この1点に社員全員の意識が集中しているからです。
第5章 「働く幸せ」を広げるために
「なぜ、福祉予算を企業に」と疑問に思われる方がいらっしゃるかも知れません。
しかし「福祉」という言葉のそのものの意味に立ち返ると、むしろ現在のように
福祉行政がすべてを担おうとすることこそ不可思議というべきです。
「福祉」を広辞苑でひくと、「幸福」とあります。
そもそも「福祉」の「福」も「祉」も、両方とも「幸せ」という意味だそうです。
そして「福」は主に物質的(お金も含めて)な豊かさを表し、「祉」は主に心の
豊かさを表すといいます。ですから、福祉とは、ものと心、両方の豊かさをあわせ
もった「幸せ」ということになります。
であれば、企業こそ、障害者の「福祉=幸せ」を担いうるのではないでしょうか?
企業は、福祉作業所よりも多くの給料を支払うことができます(物質的な幸せ)。
そして、人は一般社会で働くことによってこそ、究極の幸せ(心の豊かさ)を手に
することができます。特に、この「心の幸せ」は企業でなければ提供できないもの
なのです。
聞くところによると、株式会社ユニクロは積極的に障害者雇用(身体障害者・
知的障害者)に取り組んでいらっしゃるそうです。雇用率は約8%。
従業員5000人以上の企業では、ずばぬけた雇用率です。
ファーストリテイリング会長の柳井正さんは、
「障害者と一緒に働くことで、彼らが苦手とする作業をフォローしたり、
できる仕事をもっと上達させてあげようと、他のスタッフたちが協力しあうように
なった。(中略)その気持ちが従業員同士、さらにはお客様に向けられるようにな
り、
結局売上アップにつながった」
というふうにおっしゃっています(NHK知る薬 仕事学のすすめ、09年6・7
月)
第6章 会社は、人に幸せをもたらす場所
西洋から入ってきた「エコノミー」という単語に、明治の人たちは「経済」という
訳語を当てました。
本来、経済とは「経世済民」のことで、その意味は「国を治め、民の苦しみを
救うこと」です。明治時代の財界人たちは「経世済民」の気骨をもって事業を興
し、
日本という国をつくってこられたのです。
私も経済人の一人として、人々の苦しみを救い、幸せを実現するような事業を
行なっていかねばならないと、このたびの受賞(第7回渋沢栄一賞)で改めて
心に刻んだところです。
日本理化学工業HP http://www.rikagaku.co.jp/
以 上