「発達障害は少年事件を引き起こさない」
 
  高岡 健 著  明石書店








主に親殺しの少年犯罪を独自仮説から分析している。
関係の貧困が広範性発達障害の少年を親殺しへ向かわせる。

心の支え、依りどころとなってこそ親の勤め。
自分の価値観を押しつけ支配しようとすれば、子どもは親殺し(意識の上で大人に
なるため必須)ができないまま悶々とし、何かのトリガーがあれば簡単に親を殺してしまう。

そういうお話でははなかったかと。
非常に怖い、そして完全に納得はしずらい説ではあった。
関係性の貧困でないケースでの事件についての比較検討がなされていないので、
都合の合うケースだけを選んできているように感じた。

こういう本が出されるということも時代の背景なのだろうか。

関係の貧困の表現型あるいは外面が、学校集団ないし教育価値への拘泥・居場所の
略奪・個人責任化によって構成されている。


原点 縦軸 父親による子供の支配度 (ゼロが原点)
    横軸 母親による子供の受容度の逆数(受容度最大が原点)

 すべての少年は、この原点を通過することによって大人になっていくのである。
 原点に近ければ、観念上の父親殺害が起き(実際の殺人行為は起きない)、子供
は大人になれる。

と解説しているが、そもそも父親殺害が大人になるために必要である。
ということが理解できない。

親から自立したいという思いは思春期に非常に高かったと思うが、しかし「父親殺
害」という概念にはついていけない。

これは発達障害の少年に限った話なのだろうか?どうもそうらしい。

対処方法としての提案は、
父親支配による少年の従属、および母親の受容の撤収による少年の絶望を、打ち破
るような外部の力が必要 ということ。
具体的には、世の中では無用者とされている人たちだけが、支配−被支配とは全く
異なる人間関係を少年との間で結ぶことができる。
これを筆者は「ナナメの関係」と名付けている。

最後のまとめとして

少年事件を外面から抑止する方法。
企業資本主義も新自由主義も、伝えるべき教育思想としてはすでに失効している。
したがって。それらを家庭内に持ち込んでも、少年たちの心に届くはずもない。
逆に、学校価値を廃棄し、少年たちにとっての居場所を確保しつづけることだけ
が、少年たちの心を育む。
以上こそが、個人責任化と真っ向から対立する外面の抑止力にほかならない。


本の紹介のサイトを引用しておく

http://www.akashi.co.jp/book/b65952.html
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784750329659