「決断力。
 人間「東国原英夫」から何を学ぶのか」

  東国原 英夫/著  創英社 



【高松図書館内容紹介】
人生の岐路で決断したとき、それが最良かなんて誰にもわからない。
決断した道を努力で最良にすればいい…。
少年時代から芸人・タレント時代、出馬して現在に至るまで、

    

プレバド才能ランキングを最近楽しんで毎週見ているが、
俳句の名人で頑張っている東国原氏がそれまでのイメージとは随分変わって見えて好印象を持ち、
この著書をたまたま見つけたので読んでみた。

この本は宮崎県知事在職中に書き上げたものである。2008年11月の出版である。


「お笑い芸人と政治家になりたい!」
その夢を実現させた東国原氏。
冗談でなくホンマにそのユメに向かって進んだ同氏であったんだなあと感心した。

いきなり妾の子どもとの告白が目に入ってビックリした。
東国原姓はお母さんがダンナの西村氏と別れて再婚?した相手。
そのときにはすでに子宮を摘出して子どもが産めない身体だったのにもかかわらずである。

粋で派手な実の父親からまじめ一本の義父に。

お笑い芸人を志すことにつながるサーカスの小人オサムさんの言葉

「みんな笑いたいんよ、本当は」
「何で?」(子どもの筆者)
「この世の中悲しいことばっかりやからね。
人が生きていると、辛いことばっかりやからね。
みんななかなか笑えんのよ。
じゃけん、俺は人を笑わせてあげたいんよ。
みんなが笑うきっかけを、作ってあげたいんよ。
みんなが笑ってくれるんやったら、こげんな身体でもちぃとも悲しかことなかとよ。
こん身体を人の幸せに変えていけと、神様がゆうちょとると思ってるんよ……」


妾の子どもでもいじめにあわないように、勉強とスポーツにはしっかり力を入れて
学級委員にもなっていじめを回避する。
なかなかしっかりしている。
やりきるところがすごい。

高校は進学校へ通い、ハンドボール部でしごきに耐え、
2,3年生ではインターハイにも出場。
3年生の時には国体選抜にも選ばれた。(受験のため辞退)


政治を志すのもサーカスのオサムさんとの会話から。

オサムさんに会って、人を笑わせる仕事がしたいと思った。
その気持ちは強く、とてつもなく大きく、時間が流れても変わることはなかった。
政治家になる、という夢もそうだ。
サーカスや相撲を誘致するのが政治の力だということは、子どもながらにうすうす感づいていた。
サーカスに自由に出入りしていた私を見た友達が、
「英夫はいいな、親父が政治家じゃから」
といったことも、夢をふくらまさせたのかも知れない。
「サーカスも呼べる政治家ってやつは、一番面白いやつなんじゃ」

尊敬していた父に対するあこがれも重なり、将来は政治家になりたいという夢も確かなものになった。


大学は専修大学。
どこでもよかったみたい。
入学金を納めるのが早かったのが専修で、どうも早稲田もうかっていたようだ。
そして早稲田大学には後年政治家になる前に入学することになる。

ビートたけしに弟子入り。
運転手をまかされる。

そのビートたけし事件で、謹慎の身となったときに(1986年)
「ビートたけし殺人事件」を執筆。
これがベストセラーとなり、翌年にはドラマ化。
主役に収まり、その縁で女優のかとうかずこと結婚。

これが事実上の独立だった。

1998年の自主謹慎時(未成年少女問題)に政治家を志すことを決断。

人生の岐路にたち、決断を迫られたとき、大切なことは何か。
私の場合は「後悔しないこと」を何よりも考えた。
死ぬときにふりかえってみて、自分の人生で後悔はなかったか」
そうした基準は持っている。

 ⇒決断を迫られたというが、読んでいて普通にこっちだろうと思えるような感じがして
  えーーい、と思い切り飛んだという感は持たなかったので
  タイトルには違和感を持っている。
  「私の人生」 自叙伝そのもののような気がする。

 二項対立的にはこう書いている

(たけし軍団を)辞める勇気と、続ける勇気。
どちらにも同じくらい決断力が必要だ。

 そしてこの章の結びで

私自身は、お笑い芸人から大学生へ、大学生から県知事へ、
二度の転身を経験したことになる。
そうした転機において迷いや不安はなかった。
私は、見る前に跳ぶ人間だし、考える前に体験する人間である。

人生の岐路にたち、なにがしかの決断を下したとき、
その決断が最良かどうかなんて誰もわからない。
私は、自分が決断、選択した道を最良にすればいいとだけ思う。
決断自体で成否を判断するのではなく、決断した道を自分の努力によって最良にすればいいと考える。
大事なのは最良にするかどうか、出来るかどうかでる。
どんな人でも、努力次第で自分の選んだ道を最良にできるはずである。

 ⇒ 上記で触れたとおり迷っていないのである。
   ただ決断のときには考え抜くことも大事なことだとも思う。
   跳ぶのもいいが考え抜くことも大切である。


●「淫行疑惑」
小学校2年生だった息子は、事件の真相をつかめないようだった。
「淫行疑惑」「淫行騒動」「そのまんま淫行」
電車の中で、「淫行」の二文字が溢れる中吊りを見たのだろう。
「パパ、インコウって何?」
無邪気に聞いてくる。
「そうだな……。急行よりも少し遅い電車じゃないか」
妻には猛烈な勢いで怒られた。
「貴方は物事をどう捉えているんだ。まったく反省していないじゃないか」
いや、それは誤解だ。
ギャグで逃げるしか方法がなかったのだ。
だからといって、妻に返す言葉はなかった。
あの秋、私は人生最大の転機を迎えたのである。


◎自分を笑えるか
外国青年招致事業(JETプログラム)で100名弱の青年を受け入れたが、その代表の方がこんな話をしていた。
「私たちは宮崎に来てまだ2,3週間だが、
これから宮崎の生活に溶け込んでいく中で数々の失敗をするだろう。
ただ、その失敗を自分たちで笑えるかどうか、笑うことで自分の成長の糧とできるか、そこが大事だと思う」
まさに、私と同じ考え方である。
代表はアメリカから来た方だったが、そうした発想は、何も外国に限ったことではないだろう。
外国特有の視点ではないはずだ。
ピンチの時に笑えるか、ピンチをチャンスに変えられるか。
それは、すべての人に共通する大事なスタンスではないだろうか。
「自分の姿を客観的に見て、どう面白がるか」
それは私の大きなテーマで、揺らぐことのない大事な軸足である。
これまでもそうやって生きてきた。
おそらく、これからもずっと「自分をいかに笑えるか」を重要な基準として生きていくだろう。

 ⇒ この「自分を笑う」というのが私にはピンと来ない。
   どういう文脈なののか理解できないでいる。
   笑うというのがどういう定義になっているのだろうか?
   理解できないのである。


「政治家をお笑い芸人になりたい」
小学校5年生のときに私はそう思った。
その背景には地域の発展があり、国土の発展があった。
加速度的に進歩している周りの環境(そう信じられた)を実現しているのが
政治の力、行政の力なのだと悟っていた。
もちろん、みんなが笑顔になるサーカスや相撲を誘致するのは政治の力なんだ、という感慨も大きかった。
いわゆる「幸せ配達人」としての政治家に憧れた。
早稲田大学の第二文学部へ入学が決まったとき、
私の意識の奥底には間違いなく政治の関心があった。
とりあえず二文で様子を見よう。
そんな感じだった。
NPOなのかNGOなのかボランティアなのか、そのメソッドは分からなかったが、
社会との関わりあい方は政治的なもの、公共的なものになるだろうと感じていた。


●離婚
本気で何かをするときには、別の何かの犠牲が必要になる。
物事にはすべて、プラスの要素とマイナスの要素がある。
私は、政治行政の世界に進むために、どんなハードルでも飛び越えていく覚悟だった。
2005年、妻に「宮崎に帰って選挙に出たい」と打ち明けた。
それまで私の活動を見守ってくれていた妻は、私の意図するところと意志の固さを、
瞬時に読み取ったようだった。
少し思案の後に、
「悪いけど、政治家の妻にはなれない」
と言われた。
私自身も心のどこかでその答えを予測していた。
彼女には女優という仕事があり、息子と娘には学校があった。
私としては、家族全員で宮崎へ行くことがベストだったが、
それができないのなら仕方がなかった。あきらめるしかなかった。
離婚しることに関しては、苦笑いだった。
実の父と似たような道、ケッ、やっぱりこの道かよ。
血は争そえないな、と自嘲的に笑うしかなかった。




◎野良犬と
 (この文章をみたとき壮絶な生命力とお笑いを感じたので最後に書き残しておく)
芸人になりたての頃、まったく食えない時期があった。
だけど私には、あの時期を生きぬいた知恵と勇気があった。
今から30年ほど前。
あるハンバーガーショップは、余ったハンバーガーを翌日に持ち越さないシステムだった。
夜の9時か10時になると、店の裏手に置いたゴミ箱にハンバーガーを捨てにくる。
そこが狙い目だった。
時間さえ間違えなければ、確実に食糧にありつけるのだ。
そろそろいい時間となった頃、何度となくハンバーガーショップの裏口を攻めた。
すると、野良犬がもう待っている。
仕方なく順番待ちをする。
野良犬、私、野良犬、野良犬、クンちゃん(相方だった大森うたえもん)。
格好や世間体など構っていられなかった。
そして、自分が置かれた状況は笑えるかどうかが何よりも大切だった。
格好悪いことこそ面白く、恰好いいのである。
野良犬の次に自分が待っている。
この画がたまらなく好きだった。
 ⇒ここで自分を笑える という説明があり、なんとなく理解できたかな。
  ここはほんと笑えた。

「俺は、野良犬以下かっ」
次の日、悔しかったので早めにハンバーガーショップを攻める。
もちろん夜9時、裏口である。
するとギリギリのタイミングで野良犬に競り勝つ。
私の後ろで順番を待つことになった前日1位の野良犬が、ものすごい形相で私を睨んでいた。
「恥ずかしがっちゃ、生きていけない」
それは、母がよく口にしていた言葉だ。

人間が一人生きていくことに、何が恥ずかしいことがあるか。
生きるということは無様なのである。
体裁よく、恰好よく生きるなんてもともと無理な話である。
無様に生きる自分の姿を、どう楽しみ、どう笑うかなのだ。