【超訳】 広岡浅子自伝


    


あさが来た は毎朝とても面白く痛快な気分で見ている。

これまでの朝ドラでは最高ではないかと思う次第である。

そのモデルである広岡浅子の自伝を家内が図書館から借りてきた。

いやー、怖いばあさんだわ という印象。

60歳を過ぎてキリスト教に入信、洗礼を受け、神を信じ霊に生きることに

第二章の「浅子が一般誌で語ったこと」では 

悟りを開いた後の60台の言葉がビシバシと書かれている。

耳が痛いことばかりで苦笑。

テレビのあさはまだこの悟りの前の段階なので、それはもうオモシロイ。

その人がこんな悟りを開くんだなあとビックリポンであった。


言っていることは正しい。

碁を打ったら世俗にまみれて悟りが消えたというくだりには私には到底無理だなあと思ってしまった。

それにしてもビシバシと口にされる言葉は「その通り!」としか言えないもの。

いやー、こういうご意見番が今の世の中にいてもいいと思うのだが。

明治から大正に移り、第一次世界大戦頃のご意見なのでちょうと100年くらい前なんだなあ。

今の世の中をみたら一体どんな言葉が口をついて出たことやらと想像がつきそうな気分である。

死ぬ2日前の言葉でも日中関係を心配し、平和な世界構築を願っていた浅子。

すごい人だと改めて尊敬の念を持った。

第三章「浅子が大学で語ったこと」では、女性教育の重要さを熱っぽく説く。

これは彼女の持論というか信念であるが、現在日本でもまだまだ女性を活かしきっていない。

じれったいだろうと思うが、浅子の説く言葉は今でも当てはまるし、輝いている。

女性ではなく人間として品性を磨き、健やかで固い意志をもって

学問をし成長を遂げること。

そして家庭に入っては犠牲的精神を発揮して男子を感化せしめよ。


◎ 我が子を国民として教育せよ
 これにはビックリした。こんな発想は思ってもなかったことだたからである。
 驚きの言葉はこんなふうになっていました。
 非常に新鮮な感を受けたので引用します。

  これまでの母親の愚を破り、眼を覚まして、それで家庭社会の改良に影響を与えることは、
 あなた方高等教育を受けた婦人の責任であります。
  あなた方は自分の子を我が子と思って勝手に教育してはなりません。 
  国民として教育すべきです。
  世の中は、日一日と進むものです。今日は昨日より、明日は今日より進歩したものでなければ
 なりません。
  そして時代を後れて生まれてくる我が子は、自分より進んだ教育を受けて、自分よりりっぱな者、
 発展すべきものとなるはずです。
  母親は、我が子を自分よりも進んだもの、優れた者に教育しなければならないのであります。
  そういう意味では、一家の主婦となり、母となるのに実力がいる。
  頭脳が必要となる。
  すなわち、社会百般の真相が分かって、我が子を十分に国民として教育し得るだけの頭脳が
 必要なのです。


◎ 心霊の修養
  キリスト教に傾注した晩年の理由がここでわかりました。
  修養には、「知致」と「存養」と「省察」の3つがある。
  「知致」と「存養」とは、哲学や倫理学、その他の科学によって知識を明らかにし、
  自分の人生を深く省みて修養すること。
   「存養」は力であり、力は命。
   命は4つに分けると、
   肉体の生命
   知的生命
   道義生命
   霊的生命
  
   このうち浅子は自分には「霊的生命」が足りていないので物足らないということを自覚。
   それを追い求めて、遂にはキリスト教の教えでそれを会得できたのであった。

  この節は非常に勉強になったので全文コピーを取らせてもらいました。