「法令遵守」が日本を滅ぼす
郷原信郎 新潮新書
上司に何度もこの本を引用されたので読んでみた。
もと検事(東京地検特捜部、長崎地検次席検事など歴任)が書いているだけに
重みがある。
「日本の法律は象徴に過ぎない」
すなわち、日本の法律の大部分は海外から輸入されたもの。
明治時代に欧州から「民法」「刑法」「商法」が
第二次大戦後に「独占禁止法」「証券取引法」がアメリカから導入された。
日本の法律というのは、欧米諸国のように市民社会の中でルールが形成され、
それが成熟して法令に高まったものではなく、国民や市民にとっては知らないところで
輸入され上から降ってきたようなもので身近なものではない。
普段は法令には無関心で、なるべく関わり合いになりたくないのが本音。
つまり、司法と市民社会とが離れているので、市民の側では、法令が実態と乖離していても
あまり痛痒を感じなかった。
それでよかった時代が続いていた。
そして司法の機能は、外に飛び出た異常な部分だけの処理をする専門的な能力だけで
足りていた。
筆者は巫女のようなような存在 (困ったときに頼る)
疫病や飢饉に直面したときに、霊能力を持った巫女に拝んでもらって解決を図るのであった。
唱えているのはさっぱりわけのわからない呪文だが、ほかに解決の手段がないので、巫女の言うことに従った。
日本の司法の世界も、社会の外縁部で起きる特殊な問題の解決をするもので、
非日常的な場面で役立つ「霊験あらたかな儀式」であることに存在の本質があった。
しかし、最近のように、さまざまな問題が日常的に生じており、それを解決するために
司法の機能が求められるようになると、もはや法律家や裁判が巫女や儀式のままでいるわけにはいかない。
外縁部ではなく、社会の中のしくみそのものにあった法律にしないといけないのに
縦割り行政、官僚主義でそれができず、マスコミも法令順守にしかポイントをおかない報道をするものだから
何の改善にもならないと強く訴えている。
・ 談合の問題
昔の談合自体は悪くなかった、公然たる調整機能だった
・ ライブドア事件、村上ファンド事件
インサイダー取引での立件には無理がある、機械的、形式的に法令を適用することが誤り
米国のように包括規定を含めて柔軟に適用する発想こそが必要
・ 鉄道用保守作業車の本末転倒 ほんの少しだけ道路を横断するために大型免許が必要
特例措置が受けられないアホさ。 車検は国土交通省、運転免許は警察省にまたがるためできない
・ パロマガス器具
法的責任上はパロマの見解でかまわないが、社会的責任を果たしたことにはならない
(これってガス会社はいいのかなあ?と思ってしまった)
・ 耐震強度偽装事件
日本の建築物の安全性を支えてきたのは、建築基準法という「法令」や建築確認といった「制度」ではなく、
会社の信用と技術者の倫理なのである。
◎ 失敗学の引用 法令遵守の弊害
人が仕事をするときには、全体を見ないといけない。
三角形を3等分してみると、
上 基本的なこと、重要なこと
中 根本的なこと
下 具体的なこと、細かいこと、枝葉末節のこと
となり、通常仕事をする人の注意は上のほうにフォーカスされていて、具体的なこと
細かいところにも拡がっているという形になっている。
ところが、何か事件が起きた、事故が起きた、不祥事が起きたということになると、
法令遵守、コンプライアンスの徹底となる。
人の注意力には限界があるので、この要請があまり強すぎると、結局基本的なこと
根本的なことから注意が離れてしまうことになる。
(東電の同窓生が言っていた。マニュアルに書いてないことはするな!と厳命されて
みんな思考停止に陥っている。嘆かわしい。その思いはまさに同じだろう)
● 経済社会から切り離された官僚たち
法令の制定や改廃を経済実態に即したものにするためには、官僚が経済社会の実情を把握し、理解していることが必要です。
そのためには、官僚が、経済活動を行っている企業人と十分な意思疎通を図れる関係を維持していくことが不可欠。
ところが1990年代の大蔵省の不祥事で完全に切断されてしまった。
⇒この思いはまったく同感である。
最近の若手官僚の言うことには首をかしげることがあまりにも多い。
● 点でなく面で
実は多くの企業不祥事が、複数の法律の目的がぶつかりあう領域で生じています。
その法律の目的と背後にある社会からの要請に加えて、関連する別の法律の背後にある価値観も視野に入れなければ
問題の根本的な解決にはつながりません。それは、企業に関する法全体を体系化して、「面」でとらえるということです。
それなのに、相変わらず法令を一つひとつ「点」でとらえて個々の法令違反の問題にしてしまっているのが、
形式的な法令遵守の考え方です。それが法令の背後にある社会的要請を全体的に実現していくことを妨げています。
最後は組織論になったが、こちらでは私には当たり前で特に書き残すことはなかった。