東海村臨界事故への道
七沢 潔 岩波書店
「朽ちていった命」を黒田先生に言われて読み関係者に報告したところ、
原子力学会倫理委員会の北村委員長(東北大名誉教授)から、この本を薦められた。
読んでみて、JCOがどうして簡略化の道を突き進むことになったのかという背景を知るところとなる。
これは発注者の「動燃」によって引き起こされた事故であるという七沢さんの信念の書である。
七沢さんは、NHKのディレクター。
この活動によって閉職に追い遣られたが(愛宕山の放送文化研究所)、
だからこそ、この本が生まれたのだという気がする。
「発注者責任」この言葉の重みをつくづく感じてしまう。
元請にすべてしわ寄せがいってしまう日本の構図である。
こういう世界はどこにでもありうるものであり、本当にJCO事故は大なり小なりどこでも起こり得るのである。
七沢さんも、ここのところを強く訴えたかったのではないだろうか。
動燃と住友(JCO)の関係である。
JCOはMOX燃料加工工場であった。
住友金属で作られるUO2粉末と、海外から返還されるプルトニウム粉末を混合
・政治の影響(日米再処理交渉)
米国がプルトニウム単体での抽出を認めず
プルトニウム粉末でなく国内再処理工場からは硝酸プルトニウム溶液の形で抽出を余儀なくされた。
外圧による「設計変更」である。
しかるに溶液製造施設としての申請が行われていない(変更内容に明記なし)
・安全審査の問題 動燃の出向者が審査官
設計上の疑義(溶液製造!)が出て差し戻されたが、
安全審査の二次審査部会での指摘:
● 申請書に、硝酸ウラニルの形で貯蔵できる、と書いているのに工程図に出てこない!
工程を守るために、審査官自ら「1バッチ縛り」という臨界管理法を勧めて
無理やり通してしまった。
(動燃の人間でなければ有り得ない?、もしこの審査がまともにできれば
JCO事故は発生していなかったとの筆者の強い思いがある。
ここを徹底追求したので左遷されたように感じてしまう。
だがルートコーズは設計(安全審査)にありで正しいと思う)
・くるくる変わる発注
「常陽」よりも「もんじゅ」が優先される
動燃にも気の毒であるが、またしても政治が影響する。
「あかつき丸」が影響している。
国会答弁で、海外から持ってくるPu粉末は「もんじゅ」にしか使用しないと答弁
⇒ このため常陽燃料製造としてアテにしていたのがパーに。
そして、JCOには突然、「粉末」から「溶液」に
急に「硝酸ウラニル溶液」を作れという発注に変わってしまう。
さあ、大変。工程絶対死守の動燃の使った言葉
● 輸送ウルトラC、製造ウルトラC
データが全部揃って、輸送申請するのが普通
⇒ ものが揃わないうちに申請し、それに合わせて準備
多めに作っておいて申請ウラン量にあわせて余剰分を抜き取る
1ヶ月納期が早まる
科学技術庁もグルであった
(こういう手法はダメとはいえないのではないかとも思える。だからみんな素直に口を開いている)
製造ウルトラC 誰も口を開かない。
契約前に製造を開始する?こと 契約日も偽って記載?
バケツのことではない との話は出たが。
(内示発注ならかまわないのでは?とも思えるが…)
このような流れで現場でも、不可能な工程になんとか合わせようという努力が重ねられ
バケツが登場してくるようになるのである。
発注者のムリな要求が、こういうことにつながるのである。
● 検査ウルトラC
製品の分析立会いは1ロット毎だが、動燃は1回目だけを見て、以後は5ロットに1回程度で済ませた
これは動燃本社がもちかけ現場が反対したが、説得された。
これが、立会いを事実上放棄し、JCOの逸脱を見逃すことになった。
混合均一化が1ロット毎に行われることの確認を放棄したため、
それが貯塔を使って行われるようになり、最後は形状管理されていない沈殿槽で7バッチ分まとめて
行われようとしたことに気づくチャンスを逸した。
⇒ 安全審査の1バッチ縛りの約束を、動燃がしっかり守ろうとすればこういう検査の手抜きは
行われないが、基本設計の重要ポイントはだんだんと忘れられてしまうのである。
安全審査を担当していた自分としてはよくわかる。現場の人間は知恵を働かせて「よかれと思って」
やろうとしてしまうことがある。「無知の善意」であり、これが往々にして大事故を起こす。
したがって管理者は十分注意せねばならないポイントである。過去2,3回提案を却下したことが
あり、そのとき危ない、危ないと感じていた。
効率化一辺倒では、安全管理、品質管理がギリギリに追い込まれるが、担当者は信念をもって
立ち向かわねばならない。
そういう意味で動燃にはそういう人物がいなかったのか?と首をかしげてしまう。
普通の組織にはちゃんといるのである。
JCO事故は発注者としての動燃が引起したものという思いを私も強く持っており
発注者責任の重大性を痛感している。
資材発注などで、競争入札で叩くだけという姿勢はもっとも嫌いである。
知恵を働かせて頑張らねばならない。知恵も悪知恵ではダメだ。
以下のバケツによる転落の経緯についてはいろいろな文献で詳しく知っているので
省略し、事故の背景となった発注者責任について書いておくこととした。
以下は題5章「東海村臨界事故から学ぶもの」から抜粋する。
● 無知の怖さ
JCOの作業者も臨界についてのことはよく知らなかった。
チェルノブイル事故の再評価委員会ニコライ・シュテインベルクのインタビュー
「確かに制御棒を引き上げ過ぎた操作(の結果、その後の緊急停止によって一斉に制御棒が挿入されたこと)と、
出力を低くしすぎて運転を続けた2点は、原子炉の欠陥を引き出してしまった点で、運転員のミスということは
できます。しかし、ここで大切なのは、運転規則書にもマニュアルにも、こうした原子炉のもつ欠陥については
一行の記載もなく、「炉の中の制御棒の実質本数を15本以下にしないといういわゆる反応度操作余裕の制限値
も、なぜそうしなければならないか、運転員にはまったく説明されていなかったことです。」
● 何のためなのか
原子力学会・JCO事故調査委員会の田辺文也氏
「JCOの幹部は作業員に対し、何をしてほしい、とは言うが、何のために、という仕事上の意味に関わることを
伝えようとしませんでした。そういう付き合いをしていないし、また必要な情報を与えて、作業員自ら考えられる
ようにするコミュニケーションをしませんでした。
同じようなことが、発注者の動燃がJCOに対するときにもありました。発注するときに、要求は伝えるが、
例えばどういう新型炉の燃料生産計画の中でどういうスケジュールになっていて、
今回の操業はどういう役割を持っている、という話がほとんどされていない。
そこでも意味的な情報がほとんど抜けている。
発注者と事業者がゴールを共有して、そのゴールを実現する上で最低限守るべき制約は何か、安全上の制約、
経済上の制約、その上でどういうやりかたがあるか、といういことも含めて、対等な立場でコミュニケーション
しないと、本当の安全は構築できません。
(⇒ 安全 に限らず「仕事」、「使命」のほうがいいと思った。
本当の意味のいい仕事ができません、とか使命を達成することはできません、など)
● 対等なコミュニケーション
一握りのエリートが情報を独占して、「大衆」を犬馬のように一方的に「使う」社会、
批判を許さず意見の交換を厭う社会こそ、最も事故が起こりやすい社会であることは旧ソ連の例を
待つまでもないという。(田辺氏) 問題は、ともすればいつまでも秘密主義がはびこり、国を頂点に電力、メー
カー、下請け、孫請けなど上下関係が支配する原子力の世界で、組織の内外で誰しも必要な情報が得られる、
流れる「自由」な体制をつくることができるのか、ということである。
● NHKも同じだ
いつも間にか自分の所属するNHKという組織がSOSの状態に追い込まれていた。
職員による公金使い込み事件の発覚に端を発して、次々と露呈する問題、そしてその一部を上司たちが
知りながら隠蔽してきたさまは、まるでこの本で描いたJCOの安全組織崩壊過程を見るかのごとくである。
さらに、その問題が国会で審議される様子を生中継せず、批判されると「編集権の問題」と強弁し、
その結果受信料支払い拒否が11万件を超えても「経営に影響はない」と言って、さらに火に油を注いでしまった
経営陣の姿は、「臨界事故の責任はない」と主調しつづける旧動燃、サイクル機構と重なる。
もちろん単純は比較はできないものの、世の中から自分たちがどう思われているのか、正しく認識できない
くらい市民感覚から遊離しているところが似ている。また、NHKとサイクル機構はともに特殊法人で
情報公開の義務があるのだが、どちらも国民からは十分にその義務を果たしているとは評価されていない
ところも同じだ。そして、NHKは「デジタル化」という国策、サイクル機構は「核燃料サイクル計画」
という国策を掲げて、政府や政治家、企業の力を背景に突き進み、本来のスポンサーである視聴者、
市民の声を聴いたり、コンセンサスを作ることを後回しにしてきたところも似ている。
そうした姿勢が、「主権者」である視聴者や市民を、ないがしろにしているように感じられ、反発を
招いているように見える。
「主権在民」。
戦後日本が課題としたはずの民主化は、企業組織においては戦後60年を迎えた今も、いまだ実現されていない。
それゆえに多様な意見や価値観が大切されず、上位下達で硬直化した組織は、内部と外部とを問わず
コミュニケーション不在となり、盲目となって暴走を続けるのである。
雪印、三菱自動車、JR西日本しかりである。