「大野耐一の現場の経営」(大野耐一著、日本能率協会マネジメントセンター)
(ポイント抜粋)
・トヨタ生産方式が欧米企業で採用されたが、いずれも成功しているとは言えない。それは、トヨタには特別なDNAがあり、とても及ばない。(ハーバード大学のH・ケント・ボウエン教授の研究報告)
・トヨタ生産方式の源流は「ニンベンのついた自働化」と「ジャスト・イン・タイム」を二本の柱とする経営思想である。大野氏は、「必要なものを、必要なだけ、必要な時に、出来るだけ安く」を念頭に取り組んだ。日々改善マインドを持ち、現場の問題を顕在化し、その真因を追求し、それを直す組織風土の中で、人材を育成し、さらにDNAを進化させるべく、努力しなければとの想い。(トヨタ自動車 池渕浩介副会長)
・大野氏の言葉「かくすれば、かくなるものと分かりなば、やむにやまれぬ改善魂(トヨタ魂)」
・なかなか現場というところはすぐに動いてくれない。説得して納得させるためには、なにか裏付けというものがないと、大勢の人は動いてくれない。どうも自分が言ったのは間違っておるなと思ったら、間違ったとはっきり言う。まず管理者の方からそういう気持ちにならんと、現場あるいは部下も動いてくれんようになるんじゃないか。結局説得力という問題は、命令を出す方も、あるいはそれをやる方も、お互いに人間である以上、半分ぐらいしか当たらんもので、「ざまあ、みろ」という気分になれるだけでも、相手は気分がよくなる。そのうちにだんだん協力してくれる、というふうになるんじゃないか。これがほんとうの説得力になっていくんじゃないかと思う。
・失敗を自分の目で確かめるという習慣が大事なことじゃないだろうか。耳で聞いただけで納得してはいかん。自分の目で確かめて、ああ、あのときああいうことをやっておるんで、あれはちょっとこっちの計算に入っとらんかったということが、実際の目の前でやると非常によく分かるんじゃないだろうか。
・みんな錯覚の固まり同士が、お互いに今やっておるやり方が一番いいんだ、あるいは一番いいとは思わんけれども、まあ結局こうなるよりしょうがないんだという常識化された仕事のやり方でやっている。考え方をまるっきり変えんと、今までの延長線上でものを考えていくと限界が来ちまう。
・売れるものだけつくるんだ。売れんものはつくらんのだという意味から言うと、この限量をいかに安くつくるかということが、非常に大事なことになってくる。私どもの限量というのは、いらんものはつくらんでおく。売れないものはつくらんでおく。結局、計算の上で安くできたつもりでおっても、売れんものをつくると、いったい会社はどうなるのかというと、貧乏していくだけじゃないか。
・人間が動くから働くというふうに解釈すべきじゃない。やっぱり同じ動きにも、人間の知恵がついておるのと、ただ動物的に動いておるのとでは、全然違うんだというふうに考えてもらう必要がある。監督者にもニンベンのない動きと働きとを見分ける目、ほかの言葉で言うと、ムダを見つける目を養えということをよく言う。あの動きは仕事とどういう関係があったんだといったようにである。
・われわれは結局もっと生産性というものを考えるべきである。もう生産性は今がいっぱいだと、あるいは個数さえつくれば原価は安くなるものだという考え方を取り去ることが大事じゃないか。いわゆる生産量は減っても生産性を上げる方法を、どうやったら見つけられるかということ、あるいはその見つける目を持った人がおる企業は、これは不況にも非常に強い企業になるんじゃないだろうか。
・景気のいいときに、業績のいいうちにいろんな合理化をやるということが、合理化としては一番大事なことじゃないか。利益を上げるのは、原価を下げる努力をすることによって、業績、利益を上げることにつきる。こき使って、あるいは低賃金で使ってもうけるんじゃなくて、本当に合理的に科学的に、いわゆるムダをなくすことによって原価を下げていく。
・ジャスト・イン・タイムを日本流に訳すと、「ちょうど間に合うように」という意味で使われておる。とにかく間に合えばいいんだという意味で、早すぎるのが困るんだという意味のジャスト・イン・タイムというふうに解釈すべき。組立工場というのは各部品がジャスト・イン・タイムに入るのが一番能率がいい組み方だということを豊田喜一郎社長から言われた。
・昭和27、8年頃は、スーパーマーケット方式という名前でやり始めたんだよ。スーパーマーケット方式ということでだいぶやって、そのうちに、お客さんが店へ買いに行く、いわゆる後工程−欲しいところが欲しいものを欲しいだけ買ってくるということが、これはジャスト・イン・タイムとそっくりじゃないか。買うほうも、結局じぶんのところの冷蔵庫の大きさ、あるいは財布の中の金次第で、うまく買ってくれば生活も経済的にやっていけるし、これは一番生産性のいい方式じゃないか。トヨタ方式という名前になったのは、昭和36、7年頃じゃないかな。
・ジャスト・イン・タイムというものがカンバンへつながっていったんだけれども、まだその当時は、カンバンなんてことは全然考えておらない。とにかく従来のやり方は、つくったところが後工程へ運ぶというのが原則なんだね。そいつをただ逆にして、欲しいところが前工程へ取りに行けば、これはジャスト・イン・タイムじゃないか。ジャスト・イン・タイムというところから、それじゃ前工程は一体何をどれだけつくっておけばいいのか、結局持って行かれた分だけつくっておきなさいということになる。十持っていったら次に来るまで十つくっておけばいい。
・合理化は進めば進むほど、淡々と第三者から見ると当たり前のことしかやっておらん。突飛に見えるというのは、どっか悪いことがあるんじゃないか。当たり前のことを何の抵抗もなしにやるというのは、日本人にはなかなかできんことだね。簡単なことほどできんのだね。合理化というのは、結局理屈に合ったようにやるんで、アッと思うようなことがないはずなんだね。完全に合理化されたときは非常にシンプルな状態になるということなんだが、合理化というのをみんなむずかしく考えすぎるんでいかんのだね。
・悪いものをつくらんこと。悪いものをつくるということは働いたことにならないんだ。それがニンベンのある自働と、ない自動の違いなんだ。止めるという発想はこの自働からきている。「自動停止装置付きの機械を自働機械と言う」という定義があるんだね。まず止める方法を考えるのがニンベンの付いた自働化への第一歩。どうやって悪いものを検知して、それで自動的に機械を止めるか。だからトヨタの総組立ラインはニンベンの付いたコンベアになっている。止められたら大損害だから、止められんようにどうしていこうかということを考えていくのが品質改善にどんどんつながっていく。安全だとか品質、こういうことはもう基本なんでね。誰でも気がつくのが、不良品をつくるというのは原価を高くするだけなんだということ。
・いかに要るだけの数を、いかに安くつくるかということの一つの過程で、結局、十分に仕事を持たせるというところにポイントがあるのを、仕事は三時で終わっちゃった、まだ材料もあるのになんでつくっちゃいかんのか、もったいないじやないかというんだけれども、100なら100を五時までかかるように、たくさんの工程を持ってもらえば、これは一番安い方法なんだ。要るものを要るだけ、いかに安くつくるかということがトヨタ方式なんだ。
・一番の基は、原価をいかに安くしてつくるかという、この基本がないといかんのだけれど、その基本を抜きにしちゃって、いやロボットだとか自動化だとかいって高性能化することは、これは本当はおかしいんだ。ロボット化の一番のニーズは、原価が安くならなければおかしいということ。とくに一番気をつけなければいかんのは、技術屋というか、改善屋の遊びの自動化というのは、これは一番困る。
・大勢の部下を率いていくとき、仕事の面では厳しくやっていかにゃいかんが、これはやっぱり基本的には、指示とか指導とかじゃなくて、部下との知恵比べだというふうに、私は思っておる。部下に何か一つ、命令なり指示を出すというとき、同時に自分もその命令・指示を受けたと思って考えなゃいかんぞ、ということをよく言ってきかせるんだ。そしてその知恵比べに負けた場合はあっさり負けた、と兜を脱ぐ。一緒になって苦しんでやる、一緒になって考えてやることだね。いろんなサゼスチョンはできるだけやってやるとかね。やっぱり相手に分かるような態度で出るのが大事なことではないかと思うね。自分の勉強というか、大げさな言葉で言うと「修養」して、何か相手がくっついてきてくれるということを心がけんとダメじゃないかと思うんだけど。
・事務現場では、そこの管理者なりなんなりが、「監督者」という頭も知恵もないんだね。みんな管理者という頭なんだね。事務分野では、監督者というのがいないんじゃないか。監督者がおらにゃダメなんでね。監督者というのはやっぱり教えることが出来ないとダメだね。昔からの日本で言う監督者というのは仕事を監督せんのだね、作業ぶりを監督するのが多過ぎるというわけだ。これは現場だろうが事務だろうがみんな間違えているんだね。監督者というのは仕事の進み具合を監督せにゃいかん。管理者は知識だけでもやっていける。監督者は知識はもちろん要るけれども、それ以上にやって見せるだけの、いわゆる教える力がないと監督者にはなれんのじゃないか。生産でも事務でも、いい監督者をつくることが大事なことだね。
・大切なことは、セットでものをつくりなさい、ということ。計算すると、セットでやると高くなっちゃうんだな。だけども、実際に出たものは何かの形で安くできておるんだけれども、個々に見ると高くなっちゃうんだな。セットで考えると、つくり過ぎというのはもう非常に悪いことなんだ。これが計算で出ないんで困るんだね。
・現場というのは何も生産現場だけじゃなく事務でも何でも現場を見ておるというと、いろんなむことに気がつかにゃならんのだけれども、今どうしてもこれやらにゃあいかんのかという検討は何もしとらんのだね。検討して知恵を出すことを知らん。知恵というやつは、困らせにゃ出んと思えばいいんだがね。どうやってみんな困らせようか、と。人間というのは−他の動物でもそうだけれども、困るというと、絶対、知恵というものを出すんだね。どうやって困らせるか。困らせるにはやっぱり自分も一緒になって困らんと、自分のほうにもいい知恵は出て来んでね。うつかり、できませんなんてことを言っていけないというぐらい困らせるには、やっぱりこっちも、それに負けんだけの知恵を、部下に言うのと同時に自分も一生懸命に困ることだね。あいつのためなら火の中水の中でもというぐらい惚れてもらえるような人間になるよう努力せんといかんのじゃないかね。
・一般の作業者には、絶対怒らん。その代わり監督者以上は、これはもうものすごく怒る。現場でもね、長くつき合わにゃとういうことないんだね。現場というところは、とくに直接仕事をやる人が生き生きとやってくれるのには、やっぱり頼る人がおらんとダメなんだね。ところがその頼る人がしょっちゅう代わられたんではね、結局頼りにならん。あの人に一生懸命やったって、どうせどっかよその工場長になって、自分らは置いていかれちゃう。今度はだれが来るか分からん。こういう気分になると、やはり現場というのは、いわゆる活力もなくなるね。
・要らないものを処分することが整理であり、欲しいものがいつでも取り出せることを整頓という。ただ、きちんと並べるだけなのは整列であって、現場の管理は整理整頓でなければならない。
・作業改善は現有の設備でもっとよいやり方を考えるということである。まず道具(設備)をつくるのではなく、仕事のやり方を考えることが重要である。作業改善をやって、その次に設備改善なら設備改善をしなさい。それから工程改善といったように、改善には順番があると言うわけだ。
・やっぱり平素から原価低減というものを一番にやっていかにゃいかん。これが技術者というか、現場の一番大切なことである、と言いたい。結局現場が、変なむことをやらずに在庫をなくしていくことで、その分、経理の金庫の中にあればプラス・マイナスは非常に大きい。原価低減というのは現場以外には絶対できん、というぐらい現場は原価低減の鬼にならにゃダメなんだ。
以 上
以 上