「頭のそうじ、心のそうじ」
 
  鍵山 秀三郎 サンマーク出版

香川県警のKさんから、「人間力を養う生き方」とともに送っていただいた。

Kさんとは昨年知己を得たが、若いのに非常に人間力があり、心のやさしい方だと思っていた。
そして、先日お会いしたときに読売新聞の懸賞論文【「社会の安全と日本人の倫理」をいかに考えるか】の
最優秀賞を受賞されたことを知って驚いた。

http://www.chichi.co.jp/kunikata-letter.html

受賞懸賞論文

そして鍵山先生との出会いをお聞きした。
その後早速サイン入りでこの本を送ってきてくださったのである。
さっそくあっという間に読み上げたのであった。

イエローハットは近所にあり、いつも社員が黙々と回りの掃除をしている光景に出くわしていたが、
その背景を知ることとなった。




まずKさんのことが書かれている箇所を抜粋しよう。
25ページから27ページである

会社創業以来続けてきた掃除に、多くの人が共感してくれて、いまや掃除運動が内外に広がっています。
香川県の「香川掃除に学ぶ会」の世話人会のメンバーであるKさんも、そんな一人です。
香川県警の刑事さんですが、地域での掃除運動を率先して進めています。
あるとき、Kさんはある事件での取調べを担当することになりました。
20代前半の心の荒んだ青年で、背中には刺青もあったそうです。
彼には親身になってくれる彼女がいたのですが、その彼女にも暴力を振るうというありさまでした。
幼少のころに両親と別れ、祖母に育てられた彼は、育ててくれた祖母にも悪態をつき、
暴力を振るい、たいへん迷惑をかけていました。
取調べに際しても、
「好きにしろ、オレは何もやっていない!」
と、心を閉ざしわめき散らしたそうです。
Kさんは、そんな青年の心をなんとか開かせる突破口はないだろうかと、じっくりと
彼の言い分を聞くことに徹したのでした。
そして青年がポツリポツリと自分のことを始めたころ、Kさんは、私の著書「あとからくる
君たちへ伝えたいこと」(致知出版社)を読むことを。彼に勧めたそうです。
この本は、長いあいだの掃除の実践を通じて私自身が学んだ、よりよい人生を送るため生き方を、
ぜひ若い人たちに伝えたいとの思いで書いたものです。
青年はじっくりと読み、Kさんに向かってポツリと言ったのです。
「この本に書いてあること、何一つオレにはできていない……」
彼の目には涙が浮かんでいたといいます。
そして「ごめんなさい、私がやりました」と、全面的に自供し、自らの犯罪を認めたのでした。
それからの彼は、見る見るうちに変わっていきました。
まずは刑事さんたちに挨拶をするようになったのです。
面会に訪れる彼女にも祖母にも、「ごめんなさい」と素直に謝り、
「ありがとう」と、感謝の言葉さえ口にするようになりました。
面会に訪れた二人は、彼の顔つきが少年のように変わっていることに驚いたそうです。
彼は、いま着実に更生への道を歩いています。きっと模範囚になることでしょう。
彼の祖母は85歳で、身体の調子も思わしくなく、はじめは彼が出所するまで自分は生きられないと
悲観していたそうですが、彼の変わり方を見て、ぜひとも彼の出所までは生き抜こうと決意したのだと
いいます。
この話しを、私はKさんからの手紙で知りました。私は心から感動し、その旨をしたためてすぐに
Kさんに返事を出しました。
すると、今度は私のところへ当の青年から手紙がきたのです。
そこには、本を読んで生き方を変わったこと、これからは感謝の気持ちを忘れずに生きていくことなど、
彼にいまの清清(すがすが)しい気持ちが端正な文字で綴られていました。
早速、私は彼のその手紙のコピーをKさんに送りました。それを読んで、Kさんは涙が止まらなかったと
いいます。
私の本が、というよりも、私が掃除から学んできたことが人の役に立ったことを、本当に嬉しく思いますし、
実際に、掃除には人を変える力があるのだということを、あらためて実感したのでした。


◎ 人間の証
自分中心の考え方をやめて、他人に親切にすること。
積極的に自分の身体を動かすこと。
それが人間の証というものです。


自分が苦しかったり、つらかったりする状況であればあるほど、他人に親切にすることです。
そうすれば、不思議に妄念という頭のなかのゴミは消えていくものです。


◎ 小さな変化と大きな変化
小さな努力の積み重ねが、ある日花開いて、大きな変化となることがあります。
何かを変えたいと思ったら、まず自分が変わることです。


小さな変化が大きな変化を生み出す点のことを、ティッピングポイントといいます。
小さなことが積み重なって、あるとき劇的に変化する、その点のことです。


◎ 成長
いちばんの解決策は、行動しかありません。
世の中は、たいへんなことをやった人のみが成長するようにできているのです。


(何にもならないことをこつこつやり続ける。これが鍵山さんの掃除学である)
得ることが小さいと、やりたがりません。ましてや得るものがないというと、誰もやる人がいません。
たいへんだからです。
しかし、見方を変えて考えると、世の中は、たいへんなことをやった人のみが成長するようにできているのです。
事実、たいへんなことをしないで成長した人はいません。たいへんなことをやったから成長できるのです。

◎ 悩み
天下国家や公のことを考えている人には、悩み事は少ないものです。
いつも自分以外のことに思いを馳せています。

 ⇒ そのとおりだと思う。いい言葉だ

◎ 末端の悲劇
「1円でも安く」ではなく、それぞれが「1円でも高く」買ったら、
社会はずいぶん変わっていくのではないでしょうか。

 ⇒ガーーン、と撃たれた

「わが社は、国家経済に貢献し、社会に貢献し…」
ですが、本音は、
「儲けろ、儲けろ、もっと儲けろ!」と激しく言っているだけなのです。


今はモノ余りの社会と言われるほどですが、企業は100個作ればいいものを
200個も300個も作ってしまいます。だから社員は売るために四苦八苦して
ノイローゼ状態です。
社員をそんなふうにしてしまうほうが、よほど損失が大きいと私は思うのです。
メーカでも、過剰に作ったモノを売るのは、とても大変です。
100個でいいものを110個作ったとして、100個まで売るのは難しくなくても、
残りの10個を売るのに、100個売る以上のエネルギーが必要になります。
なぜなら、求められていない、いらないものを売るわけですから。
いらないものを作らない社会にしないと、これからはひどいことになっていくと思います。
そのためにも、リーディングカンパニーがみずから1歩引いて、社会を正しい方向へ
修正していって欲しいのです。それこそリーディングカンパニーといえるのではないでしょうか。


それでもあふれるほどに、いやそれ以上にモノが作られています。
これが無理に売らんがための価格競争を起こして、結果的にしわ寄せは弱者にくるのです。
なんとかしなければと思います。
たとえば、私たちが喫茶店で飲むコーヒーは、普通350円くらいです。
そのうちコーヒーの栽培者に行くのは千分の1、つまり35銭です。
それを彼らは千分の2にしてくれたら、というそうです。
2倍ですが350円に比べれば微々たるもの。その微々たるものが許されないがゆえに、
コーヒーを作る農家がみんな過酷な労働を強いられているのです。
これは1円でも安く買うことが正しいと思っている社会の、末端の悲劇です。
「1円でも安く」ではなく、それぞれが「1円でも高く」買ったら、その1円の累積に
よって、社会はずいぶん変わっていくのではないでしょうか。


◎ 本当の発展
強弱はあっても、みんなが、少しづつ、分け合うやり方こそ、
私は本当の意味での発展だと思うのです。


これからの日本は、人口は減るばかりで、あらゆるものの需要が減少します。
それなのにスパイラル状の経済発展を貪欲に追い求めていれば、社会は荒れるばかり。
欲を抑えて、利益を分配しあう社会づくりのために経済が発展していくように、
なんとかしていかねばなりません。
やはり「1円でも安く」ではなく、「1円でも高く」という気持ちをみんなが持つこと、
それしかないと、私は思うのです。

◎ 自由
自由とは、なんでもわがままに勝手放題することではありません。
ルールを守るからこそ自由の幅が広がるのです。


「星の王子さま」を書いたサン・テグジェペリが「真の幸せは自由の中に存在するのではない。
義務の甘受のなかに存在する」という意味のことを言っています。


◎ 会社
会社は、社員のものです。
株主のものではありませんし、もちろん経営者のものでもありません。

 ⇒これだけはっきり言い切る人を初めて見た



会社は社員のものです。社員が幸せに生きられるためのものであるべきです。
社員が生き生きと仕事をした結果として、株主や経営者は恩恵を受けるのであって、
会社は株主のものではありませんし、もちろん経営者のものでもありません。
昔、私が勤めていた会社では、社長が「会社はオレのものだ」と思っていて、
社員が道具にされていました。私はそれがどうしても許せませんでした。
会社は社会のものともいいますが、その前提として、まずは社員優先の考え方が、
そこにはあるべきだと思います。それを経営者や株主のものだと考えるから、社会とは
隔絶された世界を歩くようになります。
私の会社に警備会社から派遣されてくるガードマンの人たちや産業廃棄物を回収にくる
人たちなど、外部の人たちはみな、うちの担当になりたがります。
それはきっと、うちの社員の一人ひとりが気持ちよく仕事をしているので、
このような外部の人たちにも気持ちよく接することができているからではないかと思います。
あるとき、いつもは社員のお昼休みに来ている生命保険の女性が、5時半ごろにまた来たので
何か特別な用事ですかと尋ねたら、こう言われました。
「いいえ、よそで嫌なことがありまして、会社に帰る前にイエローハットに寄って、
気持ちを整えて帰りたいと思いました」
私はとてもうれしい気持ちになりました。




◎ 小人と大人
自分が役立つことで満足感を感じる。
これが自然にできてこそ、本当の大人というものです。


自分のものを自分のことにしか使えない人のことを小人(しょうじん)と呼びます。
そして自分の持てるものを、ほかの人たちのために、あるいは、国のために使える人を
大人(だいじん)といいます。

◎ 丁寧
手を抜けば、ラクはできます。
しかし、かえってあとで手がかかるのでミスも起こしやすくなるものです。


いまは何でも効率主義で、早ければ雑でもいいという考えがはびこっています。
しかし、ものごとは雑にやると、かえって遅くなるものです。
もちろんミスも起こしやすくなります。


以 上