「人間力を養う生き方」
鍵山秀三郎 致知出版社
鍵山秀三郎さんと直木賞作家の山本一力さんの対談集である。
香川県警のKさんから、「頭のそうじ、心のそうじ」(サイン入り)とともに送っていただいた。
鍵山さんも山本さんも二人とも知らなかったが、価値観がよく似ていると感じ、とても読みやすく
読後にはさわやか感が残った。
その最たるものは、あとがきに鍵山さんが書かれていた次のことば
二度目の対談を終えた後に、対談に同伴されていた奥様とご一緒に
自転車に乗って去って行かれる山本先生ご夫妻の姿をお見送りしましたが、
私の心の中には爽やかな余韻が残されていました。
に衝撃をうけた。その光景が浮かんできた。
山本さんは生まれたばかりの赤ん坊をおんぶ紐で背負って自転車にのり
豪徳寺から築地の保育園に預けて勝鬨橋の会社へ行くという生活をしていた。
その距離は片道25km。そして0歳児の赤ん坊が背中から見ていた芝公園の
桜を覚えていたというエピソードが披露されていたが、
その自転車つながりで、最後の夫婦で自転車で帰る光景が見事に重なったので
あった。
福井元日銀総裁の村上ファンドへの出資については2人とも揃って批判。
ルールを守っているだけではダメでしょうという気持ちは同じだ。
あのときさっと辞めていれば、ねじれ国会での後任選びのゴタゴタもなかった
はずだ。人間性を疑ったが同じ思いのお二人の言葉を見て、ああやっぱりな。
でもあんまり人のことは批判したくない。
お二人とも同じだろうが、敢えて言わざるを得なかった気持ちもよくわかる。
● 法律と美意識 (鍵山)
もともと日本人が守るべき規則というのは実に低い塀だったのですね。
跨ごうと思えば簡単に越えられる、そういう低い境目だったのです。
しかし、いくら低くてひと跨ぎできるような塀であっても、跨がなかった。
● 強制せず、排除もせず (山本)
鍵山さんがなさっていることというのは(そうじの会)、まさにそれでしょう。
「日本を美しくする会」 http://www.souji.jp/
「やれよ」ではなく、「やりたければやりましょう」なんですね。
「やれよ」では、やりたくないやつには無理やりやらされたという思いだけが残るから、
やちたければやってみようと。
その代わり、「やるんなら、ちゃんとやろうよね」という一番わかりやすいところで
やっていくことでしょう。
だから時間はかかるのだろうけれど、一番根付いたらこれは強いだろうなという感じは受けますね。
● 過酷ゆえに残るもの (鍵山)
過保護に守られているだけでは何にも残るものはなかったかも知れません。
赤ちゃんにとって過酷な体験をしたのがよかったのかも知れません。(上記自転車通勤のこと)
…
そう考えると、ものが豊かにあることが幸せだとは言い切れないと思うんです。
いまはみんな豊かですが、豊か過ぎるがゆえに親が我慢できなくなって、
子供に余計なちょっかいを出してしまう。
子供が大事な経験を積む機会を奪ってしまっているのです。
(⇒ これは我が家の子育てを振り返ってみると、そのような傾向があったと反省している)
● 人格を決定するもの (鍵山)
天地がひっくり返るくらい環境が変わったにもかかわらず、(両親は)愚痴は何一つ言いませんでした。
二人とも、与えられている環境をよりよく生かしていくという生き方をしていました。
…
昭和24年か25年ごろに、「暮しの手帖」を作った花森安治(やすじ)さんが、
「豊かな暮らしとは丁寧に暮らすこと」と書いているのを読みました。
姉が取っていた「暮しの手帖」を偶然に手にとって読んでいたところ、ばったりと
その言葉に出会ったのです。それが妙に私の心に残りました。
● 自省の念 (鍵山)
人は物事が思うように運ばないと悔しい思いを抱きますが、悔しいでは駄目。
恥ずかしいと思うことの方が大事だと思うのです。
● 栄誉と責任 (山本)
おしいものだけもらって義務はいやだという人が、いまの時代たくさんいますね。
そういう人は結局、人生をいいところだけをつまみ食いしたいのでしょう。
…
日本人というのは本来、人様に対する責任ということを最も大事にしてきました。
そういうことを教えてくれる怖い大人も世の中にたくさんいました。
そんな昔にまで遡らなくてもいい。
私が高卒で旅行会社に入って最初に配属された部署の先輩に言われた言葉が、
私はいまでも忘れられません。
私が初めて添乗に行こうというとき、その先輩は言いました。
「おまえ、旅行会社の社員として大事なものって何だ。旅行会社が一番しなければいけないサービスは何だ」
私は小賢しくも、
「お客様に喜んでもらうことです」
「きめ細やかなサービスです」
と、いろんなことを言ったのです。
そうしたら、頭をゴンとぶん殴られましてね。
「そんな考えで添乗していたら、おまえのツアーには誰もついていかない。
旅行屋の添乗員の本分というのは、誰にも怪我をさせないで全員を元気で連れて帰って
くることに尽きる。それ以外のことは全部おまけだと思え」
と言われたんです。そのとき私は二十歳前でしたけれども、その先輩の一言が
強烈に頭に入りました。
あの先輩を私は一生忘れません。何かあれば責任を取るなんて言うけれど、
責任なんて簡単に言うほど簡単に取れるものではない。
そのことを厳しく教えてくれました。
この頃はそういう物事の根本を教えてくれる大人が少なくなっている。
そのあたりに大きな問題があると思うんです。