「感動する脳」
茂木健一郎 PHP研究所
・創造性の源になるのは「意欲」
・アインシュタインが言うように、創造的であること、
いろんなものに感動しながら常に新鮮な気持ちで生きていくということは、
実は「生きること」そのものである。
・人間は人生の各ステージにおいて、自らの経験から次々と自分自身を向上させていく
どんな体験も、その人の人生にとっては糧とすることができる。
・努力によってたくさんの情報を側頭葉に蓄積するのが秀才で、それを前頭葉によって創造性に変えていくのが天才
目標や意欲なくして天才は生まれない。
・人間は結局どのくらい自ら意欲を持ち、どのようなビジョンを抱くかということによって、自らの限界を設定してしまう存在。
つまり、いくら多くの体験や知識があったとしても、意欲がなければ限界が見えてしまう。
これは自分で自分の可能性を潰しているのと同じ。
・子供たちに教えるべきことは2つ。
1つは基礎的な知識や体験
もうひとつは欲望と価値の持ち方。
この両輪があってはじめて創造性が生まれてくる。
これは脳における創造性のメカニズムに照らしても、非常に重要なところなのです。
・我々の感情の中には、非常に優れた性質が備わっている。それは、何が起こるかわからないという状況の中でも、
引っ込み思案になることもなく、積極的に立ち向かっていくという性質である。
この性質があるからこそ、私たちは次々と新たな体験を脳の中に蓄積していくことができる。
そういう意味で、生きる意欲というものは、先が見えていない。
何が起こるかわからない、どうなるかがきまっていないからこそ湧いて来るものなのです。
不確実性へのチャレンジこそが、脳を活性化させる重要な要素なのです。
・自分らしく生きるとか、自分の潜在能力を活かすということは、単に論理的に判断することではない。
人生というものは、そんなに計算どおり運ぶものではない。だからこそ、自分の中にある感情というものを最大限に活用することが
大切なのです。
自分の感情を大切にしながら、しかも感情だけに流されないよう知性でコントロールする。
それこそが人間らしさと言えるものかもしれません。
・東大生と話をしていて感じたこと。確かに彼らは優秀ですし、それぞれが夢を抱いています。
しかし、そこには学問や人生に対するビジョンが感じられない。
アイデンティティさえも強烈に伝わってこない。
エリート意識ばかり強く、ハッとするような創造性や意欲が感じられない。
要するに東大に入ったことで満足し、次のステップへの意欲が湧いてこないのでしょう。
脳科学者の松本元氏がかつて面白いことを言われていました。
「清原選手が巨人に行ってパッとしなかったのは、巨人に入ることが目的だったからだ」と。
・IQの高い人が社会的な評価を受け、IQの低い人はいい仕事ができない。そんなことがあるいはずもありません。
そんなことよりも大切なことは、人生をいかに積極的に意欲をもって生きるかということなのです。
・私たち大人は、今さら花火を見て涙を流すことはないでしょう。
それは何度となく花火を見た経験があり、慣れてしまっているからです。
それは悲しむべきことなのかもしれません。
かといって、初めて花火をみたときに戻ることはできない。
ならば、せめて、初めて花火をみて涙を流している息子から、感動のおすそ分けをもらう。
それだけでも脳は活性化されるでしょう。
・創造的な人間というのは、やはり常に自分の変わる可能性を追い続けています。
脳の成長には限界がないと信じている。
有史以来の最高の科学者といわれるアイザック・ニュートンは、実に美しい言葉を残しています。
「私は砂浜で遊んでいる子供のようなものである。私は時々美しい石ころや貝殻を見つけて喜んでいるけれど、
真理の大海は私の前に未だ探検されることなく広がっている」
・人間が他人のことをどう理解するのか。脳のなかでそれをどのように実現しているのか。
ミラー・ニューロンの存在が明らかになったことで、その謎に一歩近づいたわけです。
つまり人は脳のなかに鏡を持ち、そこに他人の表情やしぐさを写し出す。
そしてそこに写し出されたものと、自分の体験を照らし合わせるという作業をする。
もう少しわかりやすく言うと、たとえば相手が悲しそうな顔をする。
それを見て考える。自分はそのような顔をするときは、どのように感じている時なのか。
そうだ、自分は悲しいと感じたときに同じような顔をする。自分が悲しいときの表情と同じ表情をしているのだから、
きっと相手も悲しいという感情を抱いているに違いないと。
(これを一瞬にやる)
経験がなければわからないことになる。したがって、多くの経験を積んだ人ほど他人の気持ちが分かると言われています。
これは脳科学的にも正しい。
⇒ 自閉症はこのミラーニューロンが欠けているのだろうか?