「この国のけじめ」
藤原 正彦 文芸春秋
「国家の品格」をまだ読んでいないが、内容的にはよく似ているのだろう。
藤原節の炸裂である。
数学者が国語の重要性を説いていた主張を以前に読んで共感を覚えていた。
KTCチームの活動で学んだことと同じ根っこがあり、この本でもうなずくことが多かった。
事実として知らなかったこと
父母とも作家。
特に父は新田次郎。でも私はこの作家の作品を読んだことはない。
近いうちに読んでみよう。
出身がなんと長野。
上諏訪の話しが出てきたときには、昨年のEPSON訪問の翌日に観光巡りをして
御柱がメインであったことをなつかしく思い出していた。
そのページをPDFにとった。
○ 愚かななり、市場原理信奉者
日本の企業では愛社精神が強い。
学校を出てから定年まで働く人も多い。
会社にとって株主などとは比べられない人々である。
株主中心主義とは、資本の論理が人間の心の上位にくるものである。
他国はさておき、断じてわが国のものではない。
長い目でみると企業の繁栄にとってよい結果が出るとは思えない。
だからこそ論理一辺倒のアメリカでも、敵対的買収には多少の規制が加えられている。
○ 武士道精神
日本人の規範感覚は武士道精神に根ざしている。
誠実、慈愛、惻隠、忍耐、礼節、名誉、孝行、公の精神を重んじ、卑怯を憎む精神。
藤原さんは学生の読書ゼミで真っ先に新渡戸稲造の岩波文庫を読ませているとのこと。
(私も買ってはみたが、まだ読破できていない。)
戦後の自由は、武士道精神などわが国に古くからあった「かたち」や道徳を徹底的に破壊した。
誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、公の精神、礼節、孝心、名誉と恥、卑怯を憎む心、
などである。
→これは別の場所で書いていたところ、併せて引用したがビミョーに表現が変わっている。
これはわが国の至宝とも言えるものであった。
→ 井深大さんの心の教育や、「義と利」の文献でも同様なことが主張されていると思う。
父は祖父の命で真冬でも裸足で「論語」の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を
上諏訪の町まで油を買いにいかされたりした。
父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、
「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」
「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きいものが小さいものを、大勢で一人を、
そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどはなどは卑怯だ」
と繰り返し言った。問答無用に私に押し付けた。
義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。
義とは孟子が言うように「人の路」である。
勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」といったように、義を実行することである。
仁とは「人の心」
そのほかの徳目でも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、家族的自覚ととも密接に結ばれていた。
名誉はしばしば生命よりも上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることがたびたびあった。
武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調された、という
反省から戦後は日本の宝物というべき武士道精神がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。
戦後教育しか受けていない世代が親になり先生になっているから、今では子供にこれを教えることも叶わない。
明治維新の頃、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。
彼らは英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。
彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。
それでも彼らは尊敬された。
武士道精神が品格を与えていたのである。
○ 国益とは
通常、国益とは安全と繁栄の2つ。
外交、経済、防衛、治安、福祉、食料、エネルギーなどすべてがこの2つに集約される。
そこで国益とはこの2つの確保こそすべてに優先する最重要課題と考える人が多い。
誤りである。
国益を求めること以上に重要なこと。
国益を守るに足る国家を作ること。
→がーん。これはそうは思ってもいなかった自分を反省。
安全と繁栄はそのような国家を支える手段に過ぎない。
独立国としての誇りを捨てたり、正邪をわきまえず利を求めたり、というような下品で醜い日本となったりしたら
それは国益を守るに足る国家ではない。
→ おそらく国家の品格のテーマはこのことなのだろう。
○ 天才は美しい土地に誕生する
天才とは、人口に比例して出現するものではなかった。(藤原氏が数学の天才の生まれを調べた)
特定の国とか特定の地域から頻出している。
その3つの特徴とは
1. 美の存在 美しい自然と芸術の存在
2. 何かにひざまずく心が人々にあること
その対象は神でも仏でも自然でもよい。
人間を超えた存在なら何でもよい。
現代イギリスの如く伝統にひざまずく場合もある。
3. 役にたたないことを大事にする心。
物質とか金銭よりも精神を上位におくという心の形である。
→御柱際のことを書いていることがつながった。
○ 数学者の読書ゼミ
定員20名
ここ数年の定番 すべて岩波文庫が少々シャク
新渡戸稲造 「武士道」
内村鑑三 「余は如何にして基督信徒となりし乎」「代表的日本人」
福沢諭吉 「学問のすすめ」「福翁自伝」
山川菊栄 「武家の女性」
宮本常一 「忘れられた日本人」
無着成恭編 「山びこ学校」
日本戦没学生記念会編 「きけわだつみのこえ」
→ どうも昔の本は私は読んでませんなあと反省。読みにくいんだよなあ。
○ 文章のリズム
父(新田次郎)の文章を読むうちに、リズムを呑み込んだからだと思う。
よい文章を書くうえでリズムは肝要だが、これを理屈で説明するのは難しい。
何年も読みつづけたことが、私にとって絶好の文章修行となっていたのだろう。
○ 再び武士道精神
世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。
人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。
義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定の巷となり果てた。
ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。
ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域よりも早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として
産業革命を成し遂げ、以後世界をリードした。
論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを
物語っている。それらはとても大切だが、他になにかを加える必要がある。
一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、
立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方にくれている諸国の大いに学ぶところとなる。
これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。
この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界的意義を持つと思われる。
「国家の品格」
新潮社

この国のけじめとダブル部分はカット
Sさん
思っていたとおりの答えでした。
お気に召さないだろうなというのは直感的に感じていましたので。
その理由をはっきり聞くことができました。
>「この国のけじめ」は全くピンときません。
>マックナーニ氏の主張は同じ山に登っているという”共感”と、
>現代の組織が抱える問題をWin-winで解決する本質的なアプローチだという”確信”があります。
>しかし藤原氏の主張は価値観としてはあっても良いと思いますが、登っている山は違うと感じますし、
>武士道精神(伝統的日本的価値観)が現代の問題のソリューションになるとは思えません。
ただ私はマックナーニ氏の
「家庭と会社の価値観は同じ」
という言葉に反応しました。
その意味から、社会全体の価値観が望ましいものにならない限り
幸せなゴールはないのではないかと思った次第です。
昨日自宅に帰ると家内が「国家の品格」を借りてきてくれていました。
文庫本ですぐ読めそうです。
それを60ページほど朝読みましたが、そこでもいいことが書いてありました。
藤原さんは最初からこの考えではなかった。
自分で変わったのでした。これを知ったのがよかった。
藤原さんはアメリカで3年。
論理の世界になじんで日本へ帰って「論理、合理性」一本で勝負した。
しかし日本では浮いた。
そしてイギリスへ1年。
そこで伝統を重んじる文化、価値観に接し、論理だけではダメ。
むしろ情緒が大事と悟る。
なんと、まさにエプソン花岡社長の説かれる「情と理」でした。
論理もその「出発点」が間違っていると、後の論理が正しければ誤りとなる必然。
(頭の悪い人間の方が途中で論理的に間違えて正解になることはある)
○論理には出発点が必要
出発点Aを考えてみると、AからBに向かって論理という矢印が出ていますが、Aに向かってくる矢印はひとつもありません。
出発点だから当たり前です。
すなわち、このAは、論理的帰結ではなく常に仮説なのです。
そして、この仮説を選ぶのは論理ではなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです。
宗教的情緒も含めた広い意味の情緒なのです。
情緒とは、論理以前のその人の総合力といえます。
→ 我々の言う「人間力」も同義ではないでしょうか?
その人がどういう親に育てられたか、どのような先生や友達に出会ってきたか、
どのような小説や詩歌を読んで涙を流したか、
どのような恋愛、失恋、片思いを経験してきたか。
どのような悲しい別れに出会ってきたか。
こういう諸々のことがすべてあわさって、その人の情緒力を形成し、
論理の出発点Aを選ばせているわけです。
出発点の例として、1週間何も食べていない人間のパン泥棒
・日本は法治国家である。 窃盗罪だ。法律で処罰すべき → 捕まえる
・可哀想。人間の命は一片の法律よりも重い → 見逃す
論理はいずれも正しい。
花岡さんの言われる「情と理」
感覚的にはしっかり受け止めていましたが、こういう説明をきくと、
その順序も内容もわかったようになります。
返信1
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>藤原さんはアメリカで3年。
>論理の世界になじんで日本へ帰って「論理、合理性」一本で勝負した。
>しかし日本では浮いた。
>そしてイギリスへ1年。
>そこで伝統を重んじる文化、価値観に接し、論理だけではダメ。
>むしろ情緒が大事と悟る。
プロジェクタを担当したほとんどの期間の大ボスI事業部長(PJ-X時の事業部長の後任)を思い出しました。
北米とシンガポール合わせて10年近い海外経験のある方でしたが、私は当初、
自分の考えをハッキリ出さず皆の意見を言わせてから決定するマネジメント手法にもどかしさを感じていました。
決断が遅れる、または軸が定まらないと感じたからです。
たしか2002年の秋、直属の上司部下の関係で親しく口が聞ける関係になっていたある飲み会の席上で疑問をぶつけました。
「私は短気で本当はアメリカ式にトップダウンでことを進めたい、でもその手法は日本では通用しないと考えこうしている」という返事でした。
それ以上の説明はありませんでしたが、「合資形成の文化」と共に「部下に考えさせ力を引き出す(=成長)」があると理解しました。
Iさんは専務まで昇任され3年前退職され、年に5−6回ゴルフでご一緒しています。
>なんと、まさにエプソン花岡社長の説かれる「情と理」でした。
「国家の品格」を読んでいないので何とも言えませんが、ニュアンスが少し違うかもしれません。
花岡社長のこの言葉は、企業風土改革の方針として”行動の軸=実現力””マネジメントの軸=人間力”と位置づけられ、
人間力とは”情と理”であると説明されています。
実感としてはまず”理”、シナリオがあり、社員全員の力がなくては実現できない、だからマネジメントには”情”が重要という印象です。
私個人とは”情”への比重のかけ方が若干違いますが、100%支持しています。
>すなわち、このAは、論理的帰結ではなく常に仮説なのです。
>そして、この仮説を選ぶのは論理ではなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです。
>宗教的情緒も含めた広い意味の情緒なのです。
>情緒とは、論理以前のその人の総合力といえます。
仮説立案も総合力も論理+情緒だと私は思います。
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返信2
ついに道場にも出ましたね、「国家の品格」。
発行部数は、すでに200万部を超えているそうで、これは、あの「バカの壁」よりはやいスピードでの200万部突破だそうです。
天邪鬼なところのある私としては、正直
流行本を読むことにちょっと抵抗もあったのですが(笑)、
この本は、読んでみて「わが意を得たり!」との思いを感じたました。
S>「この国のけじめ」は全くピンときません。
S>藤原氏の主張は価値観としてはあっても良いと思いますが、登っている山は違うと感じますし、
S>武士道精神(伝統的日本的価値観)が現代の問題のソリューションになるとは思えません。
志>思っていたとおりのSさんの答えでした。
志>お気に召さないだろうなというのは直感的に感じていましたので。
私も、志賀松さんと同じです。
おそらく鈴木さんは、藤原氏の主張になにか違和感を訴えられるのではないか、私もなんとなくそんな気がしていました。
確かに、暴論や押し付けがましさを感じる部分もありますので・・・
ただ、私には、心に響くものがありました。
国際社会の中での日本を強く意識し、日本人の個性や有り様について、非常にわかりやすく平易に、しかも力強く書いてある本で、
多少大げさにいえば、数年前、映画「ラストサムライ」を見て、日本人である「自分」のアイデンティティを深く認識し、号泣したときに通じる感覚がありました。
(さすがに、この本を読んで泣くことはなかったですが・・・〔笑〕)
いまの日本、日本人は自分自身を見失っているのではないか、
それは、アングロサクソンの優れている部分と日本人の得意でない部分を比べているせいではないか、
自分たちが飛躍する、さらに成長するためには、日本と欧米を、どっちが優れているか、といった対立軸、単純な優劣比較と捉えるのではなく、
アングロサクソンの優れているところを認めるのと同じように、日本の伝統的な価値観や自分たちの優れているところを再認識するところからスタートする
必要があるのではないか、と思います。
自己革新のためには、“自己否定”も必要だけど、そのベースにはまず“自己肯定”がなければいけないのではないか、
欧米人のいいところを真似るために、自分たちのいいところまで捨てる必要はない、
世界に唯一無二の、日本人という自分たちの個性に誇りをもつべき、誇りを大切にすべき、
と思います。
私は、この本を、単に日本礼賛、伝統懐古を謳った本というのではなく、
歴史に根ざした自分たちの、かけがえのない文化、伝統的価値観を大事にしながら、そのうえで欧米人の優れた部分を取り入れることをすすめた本と、
理解しています。
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(全部読んで追加)
○ 真の「エリート教育」が必要
エリートの2つの条件
第一 文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にもたたないような教養をたっぷりと身 につけていること。そうした教養を背景として、庶民とは比較にならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること
第二 「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を棄てる気概があること。
この真のエリートが、今日本からいなくなってしまった。
○ 最も重要なことは論理では説明できない。
いけないことはいけないこと。それを押し付けるのでいいのだというのが藤原さんの主張。
道徳感はそうやって維持しなければいけない。
1931年 オーストリアの数学者クルト・ゲーデルが「不完全性定理」を証明した。
どんなに立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する。
論理にたよっていては永久に判定できない、ということがあるということを照明してしまった。
→ こんな話しは知らなかった。
○ 「愛国心」ではなく「祖国愛」を
ナショナリズム 自国の国益のみを追求するあさましい思想
パトリオティズム 自国の文化、伝統、情緒、自然そのようなものをこよなく愛する
これを藤原さんは祖国愛という言葉にしている。
愛国心ではこの2つがゴッチャになっているので、祖国愛というものに変えるべきと主張
→ 同感である
○ 日本の美しい情緒
四季がはっきりしていること、自然災害が多いことなどから日本人には
自然に対して畏敬の念をもっており、「もののあわれ」の感性がある。
西洋のバラでなく、日本ではこよなく桜を愛す。
西洋人は虫の鳴き声は「雑音」だが、日本人は違う。