「去就」 隠蔽捜査6
今野 敏 新潮社
シリーズ第8作。
今回はストーカ問題である。
クールな竜崎大森署長、今回は娘も交際相手の結婚問題でストーカと絡む。
個性的な刑事戸崎、そして今回も優秀な女性刑事根岸紅美(くみ)が登場する。
この作品は警察内部の人間の描写が非常に精緻である。
仕事で私が感じていたときの思いと同じ部分があって非常に共感した。
トラブル対応で上の人間がたくさん来ていることへの違和感であった。
方針だけ示せば、管理者は必要最低限にして頭が多すぎないことが大事ではないか。
トップは報告を受ける受け身に徹すること。
そういう思いがあった。
それを見事に書いてくれていた。
本省刑事部長の伊丹が本部に出てきたがる。
また弓削方面本部長も伊丹刑事部長が出てくると聞いて夜中に出てくる。
現場はたまったものではない。
「引き上げる?俺かおまえにどちらかが詰めているべきだろう」
「いる必要はない」
「なんだって?責任者が不在なのはまずいだろう」
「不在じゃない。待機だ。何かあったときに連絡が取れ、すぐに駆けつけられる場所にいればいい」
「確かにお前は、自宅にいてもすぐに本部に駆けつけられるだろうが…」
「そういうわけで俺は帰宅する。おまえも、帰るんだな」
「下のものが頑張っているのに、俺たち管理者が帰るのはどうかと思う」
「それは自己満足に過ぎない」
「自己満足…」
「お前は、すべての捜査本部や指揮本部に臨席できるわけじゃない。
体が空いた時だけ、その場にいようとする。
アリバイづくりのようなものだ」
→おお、そうか、自己満足、そしてアリバイづくりという言葉であったか!と膝を打った。
「アリバイづくりだと?
俺は現場のことを考えているのだ」
「本当に考えているのなら、できるだけ現場の者たちに迷惑をかけないことだな」
……
伊丹にしろ弓削にしろ、指揮本部に来たとしても、ひな壇に座っているしかないのだ。
実質的に管理者たちが指揮を執っている。
彼らに任せておけばいいのだ。
偉い人が指揮本部や捜査本部にやってくると、ただ管理者や現場の捜査員に気を使わせるだけだということが
なぜわからないのだろう。
→その通りだと思う。
でも顔を出すことで現場が元気になるようなエライ人もいると思う。
そういう人は陣中見舞的に顔を出して、現場の人を元気づけたら
ひな壇には座らず帰ればよい。
捜査でなく会社でも同じだ。
トップは方針をしっかり示したらあとは部下に任せて
そして結果が悪ければ責任を取るだけである。
その覚悟を持って平時にいかに部下と信頼関係を築きあげられるかが器量の問題である。
今野敏のこのような描写はいつも出てくる。
そしていつも共感する。
そしてまさに後半に私の思いと同じ伊丹刑事部長の言葉が出る。
「おまえはやっぱり、大したやつだ。
部下を信じて、すべてをまかせることができる。
物事が切迫すればするほど、部下に任せきりにはできないものだ」
「判断をし、責任を取る。
俺たちにできるのは、それだけなんだ」
→わかっているけど、これを実行することは容易ではない。
ストーリー的には最初から違和感だらけの内容だった。
無理筋を禁じ得ない。
まあ、今野敏作品は上記のようなところでスッキリさせてもらえるのがいいのであって
トリックなんかはどうでもいい。
なんて思っている次第。
筋書きは例によってWEBを引用しておく。 →新潮社