「MBAが会社を滅ぼす」
H.ミンツバーグ 池村 千秋 訳 日経BP社
書評引用 日経ビジネス 2013.9.1
副題が「マネージャーの正しい育て方:Managers not MBAs」となっている。
題が気になって読んでみることにしたが、非常によかった。
我が意を得たりという気もする。
著者はカナダ・マギル大学の教授で、MBAではない新たな経営者研修を手がけており
この宣伝めいたところもないでもないが、その主張には納得できる。
経営は数字を追いかけることでも、絵空事の戦略を頭だけで考えることでもない。
実践あるのみである。
ビジネススクールのMBA教育プログラムは欠陥マネージャーばかり送り出している
ということである。
◎ リビングストンによれば
「マネジメントの成功とは、マネージャ個人が成功することではなく
他者を成功させることを意味する」
いきなり頂上に舞い降りて、観察し、分析し、助言して功なりたいと思う人間に
白羽の矢をあててしまう。(MBA志望者)
経営する意思とビジネスへの情熱で区分しているのがおもしろい
A 経営する意志 ◎ ビジネスへの情熱 ◎ 大企業のマネージャとしてリー
ダーシップ
B 経営する意志 × ビジネスへの情熱 ◎ コンサルタントや企業家
C 経営する意志 ◎ ビジネスへの情熱 × NPOや公共セクター
D 経営する意志 × ビジネスへの情熱 × 研究者
MBAの学生にはBタイプが非常に多いらしい
経営する意志はないが、ビジネスへの情熱は山ほどある!
そういってMBAを取得したが結局マネージャにはならなかった。
しかし、自分の進んだ道で大成功を収め、大いに名声を得た人物。
その男の名は「トム・ピーターズ」である。
● マネジメントゲームの実態
マネジメントが現実よりはるかに整然としていて分析的であるという印象が頭に染み付いて
しまう。現場のマネージャは「計算された混沌」と「統制された無秩序」の中で行動して
いるのに、ビジネススクールの学生たちは与えられた書類に数字を書き入れているのに
すぎないのである。
● 意思決定・分析至上主義の弊害
有能なマネージャは、説明し、説得し、決断を下すだけではない。
オフィスを飛び出して物事の渦中に首を突っ込み、ほかの人間を動かすことによって
結果を生み出す。自分で直接、物事を見て感じ、経験し、試す。
ハーバードの学生たちがしゃべり続けるとすれば、有能なマネージャは聞きつづけ、見つづける。
ユーイングのピラミッドのたとえを借りるなら、
ピラミッドの頂上にいては、はるか下の地上で何が起きているのかろくすっぽわからない。
頂上にたてば「全体像」が見えるというけれど、頂上にいてもピラミッドの形はよくわからない。
ましてやピラミッドの内側のことなどわかりっこない。
(現場主義の言葉が続く)マネジメントの実務は、教室では再現できない。
「ヤツはただ座ったままケーススタディーを待っている」とあるマネージャはハーバード出身の同僚を評している。
● 軽んじられるソフトスキル
実行、リーダーシップ、倫理などのソフトスキルはケーススタディの分析・決定手法では身につかない。
ビジネススクールでは観察力が磨かれていない。
学校の教室の中では、立案するだけならどんな戦略でも示せるけれど、それを実行に移すことは
誰もできない。そんな場所で、どうやって実行について教えられるのか。
戦略の実行を「指示を出すこと」と同一視してしまっている。
● しょせん直接の経験ではない
教室で覚えの早い学生はえてして企業の重役室に入ると覚えが悪くなる。
その原因はマネージャのキャリアで成功を収めるために最も知っておくべきことを教わっていない。
(リビングストン)
それは「自分の直接の経験から学ぶこと」
責任を問われることもなく、行動を取るチャンスもない状態では
「実務の場で何がうまくいき、なにがうまくいかないかを自分自身で発見する」ことなどできるわけがない。
◎ ただ学生ではなく現場の実務経験の豊富な人間がたくさん集まった学習の場というものは非常に効果がある
これを言いたいがためにビジネススクールの弊害を書いているようだ。
第3章 間違った結果
● 「追い越し車線」
もっぱら分析の訓練だけを受けて、実際の生産やサービスに携わることなしに「追い越し車線」
に乗って出世したエリートのリーダーに社会を任せるわけにはいかない。
トップレベルのビジネススクールのMBA学生を対象とした調査結果によれば、
学生たちは「現役の企業幹部と比べても社会への関心は薄いようだ」
責任ある社会的行動を企業に促す政策への政策への反発も学生たちの方が強い。
現役企業幹部の24%が「共感力」を未来のリーダーにとって最も重要な資質として
挙げているのに対し、MBA学生はたったの4%。
どうやら共感は経験を積んで身につくものらしい。
ビジネススクールでも共感を教えるべきかもしれない。
⇒ かなり矛盾している。比較した幹部との年齢と経験の差が大きいと思われる。
MBAでない同世代の若手のアンケートと比較しないと意味がない。
MBA学生でもその後経験を積んで、共感力を身につけることは十分に考えられる。
MBAの教育の目的は、カネではない。マネジメントの実務を改善できる思慮深い人材を
数多く排出すること。ランキングではない。
採算やマスコミの評判、数字ではなく、価値観や信念、判断を重んじるべきである。
⇒ 筆者は既存のビジネススクールを非常に忌み嫌っているきつい言葉で書いている。
● 既存組織の腐敗
MBA取得者の手によって新たなタイプの機能不全の官僚主義が広がりはじめているのでは
ないかというのが、この章の結論。
「探検」と「開拓」
MBA教育の生み出す結果全般に通じるものとして、近視眼的マネージャーはじっくり時間を
かけて能力を築くのではなく、少しでも早く結果をもぎ取ろうとする。
このようなマネージャは実務を知らないことが多く、自分に経験がないので他人の経験を
「開拓」して利用しようとするのだ。
探検は創造すること。発明発見、革新。
探検の場合、現場にたどりつくのは簡単ではない。
なにか変わったことをやらなければならないから。
それに比べて開拓の場合、現場にはもう到達している。すでにあるものから何かを得るだけ。
言ってみれば勝ち馬に飛び乗ってもっと儲けようとするのが開拓で、このほうがずっと簡単。
それで開拓をしたがる人間は後を絶たない。
問題は、いくら開拓をしようにも、誰かに連れて行ってもらわなければ現場にたどり着くことはできない。
つまり探検なくして開拓はありえない。
しかし私たちの会社は、探検なき開拓に向かっているのではないか。
・MBAが日常消費財産業を好むわけ
このような業界では、商品や製品をよく知らなくても、MBAプログラムの卒業生は
マーケッティングのテクニックを武器に次の会社に移れる。
しかし特定の業務機能を強調しすぎると企業はバランスを失う危険がある。
・起業家として成功しているか? ⇒ 否という結論
本物の起業家はアーティスト的な性質をもっている。
起業家に必要な献身と信念 : 伝統的なマネジメントスタイル ボスがすべてを熟知
MBAは新しい時代の官僚 : 形式化と集権化
形式化によって人間の行動をコントロールしようとするのが古典的官僚主義の中核をなす
指導原理。そのツールが、計画、システム、業績評価だ。これらはすべてMBA教育で
強調されているものであり、MBA資格をもつマネージャたちにも好まれる。
官僚主義の下で、コントロールとはたいてい紙の上に書き記すことを意味する。
…
それは悪いことではない。問題が生じるのは、コントロールや形式化に傾きすぎたときだ。
官僚的という言葉が侮蔑的ニュアンスを帯びるのはそういう場合である。
組織が非人間的になり、柔軟性を失い、マネージャは現場を知らなくなってしまう。
MBA教育もこの方向に過度に傾斜していると、筆者は考えている。
⇒ まったくの同感である。
・ウェブ型組織のマネジメント
チェーン型 上にポツンと存在する
MBAプログラムで人気があるのも不思議でない
ポーターが言うバリューチェーンはあまりにも有名
ハブ型、ウェブ型
空港や病院、研究所の実験室やプロジェクトチームにはチェーンはない。
組織全体プロセスは直線的ではない。
空港のことをハブ(車輪の中心)と呼ぶのはあながち見当はずれではない。
病院も同じ。建物全体がハブであるだけでなく、さまざまな病院スタッフのサービスを
うける個々の入院患者もハブといえる。
この場合のマネージャはどこにいればいいか、ハブの場合、中心にいればいい。
紙の上でマネージャを「上」から「中央」に移すのは些細な変化かも知れない。
だが実際の組織にとってその違いは非常に大きい。
上ではなく中央にたつと世界がすっかり変わって見える。
女性マネージャは「自分がものごとの中心にいるという人が多い。上ではなく
中心にいる。上からものを言うのではなく、手を差し伸べる」
サリー・ヘンゲル 「女性の利点−女性流のリーダーシップ」
ハブで戦略を策定するためには、マネージャは部下に手を差し伸べなくてはならない。
上から押し付けてもうまくいかない。
ウェブ(クモの巣)型には中心はない。ウェブ組織ではマネジメントはあらゆるところに
存在すべきなのである。
ウェブ型の組織では、コントロールではなくコラボレーション、「上司」と「部下」
の上下関係ではなく、組織内の「同僚」や外部の「パートナー」との双方向の関係が
欠かせない。もちろん正式な肩書きを持つマネージャーは必要だ。
しかし大事なのは、指揮命令より、理解し、助け合うこと。そのためにはマネージャが
ネットワークの中に入っていかなくてはならない。
知識もないのに、リーダーの座に就こうという意志だけもってパラシュートで舞い降りても
うまくいかない。そのチームにどっぷり浸かって、リーダーシップを勝ち取っていくべきなのだ。
● 計算型とヒーロー型
大勢のCEOがこの2つの類型に当てはまる。
それがお手本となる弊害はあまりに大きい。
計算型 頭脳は明晰、野心は無限、感情を理解する能力に欠けている
ヒーロー型 HPのフィオリーナCEO
一番大事なのは株価を引き上げること
● MBAの成績表
CEOの座につくことには成功
問題はトップでの仕事ぶり
失敗の原因はビジネススクール
ビジネスの世界で成功を収めているMBA取得者は、ビジネススクールで植え付けれた
ゆがんだマネジメント観を克服したからこそ成功できた。
MBA取得者たちは、頭がよすぎるし、せっかちすぎるし、自信満々すぎる。
独善的すぎるし、現実からあまりに遊離しすぎている。
白馬に乗って颯爽とやってくるヒーロー型マネージャの多くは、
ブラックホールよろしく、企業の業績を飲み込んでします。
◎ 正統派リーダーシップ
賢明な決定を下し、大きな取引をまとめることではない。
少なくとも、私利私欲のためにそれを行うことでは断じてない。
リーダーシップとは、組織の構成員に活力を与え、優れた決定をさせて業績を高めること。
言い換えれば、人々がもともと持っているポジティブなエネルギーを引き出すことだ。
優れたリーダーは、権限を委譲するのではなく、部下のモチベーションを高める。
コントロールするのではなく、理解する。
決定を下すのではなく、手本を示す。
これをすべて、まず自分自身が組織に本腰を入れ、他の構成員の参加を促すことによって行う。
このために必要なのは、リーダーシップの正統性だ。
つまり、リーダーに従う人たちにただ受け入れられるだけでなく、敬われなくてはならない。
マネジメントの意志以上に重要なのは、マネジメントの資格なのだ。
● 法的堕落
「頭のいい人間が過大評価されている」可能性についてグラッドウェルは書いている。
エンロンは人材重視の発想を持っていながら失敗してしまったのではなく、人間重視の発想を
持っているがゆえに失敗したのだとしたら?「人材神話は、人間が組織を賢くするという前提に
立っている。実際はその正反対だよ」とグラッドウェルは言う。
第7章 新しいMBA
ここを筆者は強調したくて前段にこれまでのMBAの弊害について詳しく糾弾していた。
筆者自身は受講したことはないと断った上でその評価分析をしている。
◎ 実務経験のある「参加者」が自分の学習について設計と実行の面で大きな責任を持つことが
重要なポイント。理論を詰め込むやり方も、体系的なものを教えるには向いているかも知れない。
しかし、マネジメントは体系的なものではなく、そうした受身の方法ではマネージャーにとって
学ぶべき点はほとんどない。積極的な学習を行うためには、学習者が新しい考え方を自分の経験
の領域に引き込んで、それを実践と結びつけ、現実の文脈に照らし、自然に活用しなければならない。
・ イギリスのビジネススクールの例
1 仕事の場で何らかのアクションラーニングを課す
(GEのワークアウトもそう)
注 この種の例では往々にしてラーニングの練習ではなくアクションの練習になってしまう
⇒ 当社では逆でアクションにつながらないのが問題だ
2 「自己管理型学習」などの名目で、参加者に大幅な責任を委ねるというもの。
「キャンパスではなく職場が学習の中心」という発想
第8章 企業のマネージャ育成
INSEAD(欧州経営大学院)教授 ハインツ・タンホイザーの言葉
私たちはみな、自分にあわせてマスカスタマイズされたアクションラーニングを必要としている。
○ マネージャ教育ではほとんど育成を行わず、マネージャ育成ではほとんど教育を行わない。
不幸なことと言わざるを得ない。マネジメント教育とマネージャ育成が最も強力に機能するのは
この両者が連携したときからだ。
☆異動させて、助言して、見守る
困難に直面すると、新しい能力を取得・発達させる以外に選択肢はほとんどない。
そこで「内側からの発達が起きる」という。この認識を前提にマッコールは
「第一の法則」を導き出した。
「能力開発を他人が代わりにやってあげることはできない。自分自身でやらなくてはならない」
「第二の法則」
自己開発を促すために、あえて困難を課すことも可能。特にその人の能力の限界を超えた厳しい
仕事をいろいろ経験させる。
苦境が学習の機会になるのは、「自分の限界を教えてくれる」からだ。
マッコールはこう述べている。
「マネージャーたちは、失敗の経験、すなわち袋小路に入った経験、スタッフを解雇せざるを得なかった
経験、辛酸をなめた経験について語った。その経験をきっかけに、自分を見つめ直し、自分の人間性、
ねばり強さ、欠点についてじっくり考えたマネージャーが多かった。
◎ ゴジャール教授のプログラム
INSEAD(欧州経営大学院)
1年間にわたる国際的なプログラムで異色である。
△ AVIRA
アウェアネス、ビジョン、イマジネーション、レスポンシビリティ、アクション INSEADの5日間プログラム
講義やケーススタディはなく、ディスカッションのテーマには、今日のビジネスリーダーの
最新の関心事や参加者が提起した具体的な問題を取り上げる。
アスペン研究所でも同様な内容で1週間のエグゼグティブセミナーを開催している。
以下詳しくは書かないがタイトルだけ挙げておこう
・CCMD カナダ政府官僚の半年間56日のコース
●アクションラーニングの弊害
流行を追いかけることに余念のないマネジメントの世界では、いまや真剣なプログラムは必ずなんらかの
アクションの要素を取り入れているようにも見える。
おかげで、ただでさえ忙しいマネージャーたちは、同僚と一緒にプロジェクトに取り組まされている
ことでますます忙しくなっている。
◎ マネジメントの経験を積んで自信が持てるようになり、ゼネラルマネージャへ移行可能な段階まで
来たときこそ、徹底的なマネジメント教育を受けて、マネジメントの側面に触れるのに最適な時期
なのかも知れない。
シニアマネージャに昇進した人にとっては、広い視野で社会・経済問題を取り上げる短期間のコース、
テクニックより知恵に重点を置くコースが一番役に立つ可能性がある。マネージャとしての地位が
高まるにつれて、「サイエンスの要素を備えたクラフト」という性格の強かったマネジメントに、
アートの要素が強まってくるかも知れない。
その具体的方法を以下の章で書いている。
● マネジメントは「不自然」な行為?
ということで、リチャード・ボヤツィスはMBAプログラムの役割を強調し、
マネージャは外科医同様、不自然な行為をするために学校で準備を受ける必要があるけれど、
実務を通して訓練を続けなくてはならない外科医と違って、学校を終えればマネージャの仕事が
すぐ務まると言いたいようだ。
ここに筆者がこの本を執筆しようと考えたきっかけになる懸念材料が最もはっきり現れている。
もし、マネジメントが本当に不自然な行為だとしたら、MBAプログラムには何らの問題もない。
2年間教室で勉強すれば、それでもう「プロフェッショナルらしく」マネジメントを行えるはずだ。
しかし、マネジメントが自然な行為だとすれば、不自然な教育は不自然なマネジメントを生み出し、
マネジメントの実務を歪めてします。
⇒ 同感である
第9章 マネジメント教育の構築
定石1 マネジメント教育の対象は、現役マネージャに限定すべきである
MBAプログラムは当初、入学者の選考を自薦に委ねていた。
入学希望者が応募し、ビジネススクールが入学者を選び、卒業生は「追い越し車線」に
乗って社会に出て行く。この順番を逆にして、ある業界なり組織なりで実績を残すことを
入学の条件にすべきではないのか。そうすれば、ある程度謙虚な気持を持った人たちが
教室に集まってくることになる。実務経験のある人間は、自分が何を知らず、何を知る
必要があるかをわきえているからだ。そうした態度こそ、真剣な学習の前提条件ではないか。
リーダーになるためにには天性の素質が必要なのか、それとも後天的にリーダーを育てること
が可能なのかというのは、繰り返されてきた問いだ。MBAプログラムはリーダーを「育てる」
ことを目指して設計されているが、ここで提案するのは、すでにリーダーに就いた人の成長を
後押しするというアプローチだ。
⇒ 納得感がある
定石2 教室ではマネージャの経験を活用すべきである
定石3 優れた理論は、マネージャが自分の経験を理解するのに役立つ
定石4 理論に照らして経験をじっくり振り返ることが学習の中核をなす
新兵訓練キャンプは、兵士を訓練し、行進をさせ、命令に従わせる場。立ち止まって考える
訓練はしない。
しかし、今日のマネージャが切実に必要としているのは立ち止まって考えること。
マネージャは、一歩後ろに下がって、自分が日々どっぷり浸かっている経験について
徹底的に省察すべきなのだ。
…
学習者は、特定の企業や業界など同じ「コミュニティ・オブ・プラクティス(実践の共同体)」
の場合は、お互いコミュニケーションを取りやすいという利点がある。
異なる企業や業界、職種の人々を集めた「コミュニティ・オブ・ラーニング(学習共同体)」で
学ぶことにも利点がある。
理想的には、この2種類の共同体を組み合わせること。
そうすれば、考え方の似た人たちとも省察できるし、考え方の違う人たちとも省察できる。
定石5 コンピテンシーの共有は、マネージャの仕事への意識を高める
定石6 教室での省察だけではなく、組織に対する影響からも学ぶべきである
定石7 以上のすべてを経験に基づく省察のプロセスに織り込むべきである
「講義」
「吸収」を促す
学期末のテストで中身を吐き出すと、ほとんど失われ、本当に吸収されるのは
ごくわずか
「ケーススタディ」
「実行」とみなされるがむしろ「適用」
学生という器に水を満たすのが講義とすれば、学生を水のそばに連れていくもの
「アクションラーニング」
「実行」を含むもので、ケーススタディよりも省察の素材になりうる。
しかし、その経験は所詮人工的なものに過ぎず、省察の機会も限定的にとどまる。
これにくらべて「経験」に基づく省察は、他の方法をうまく活用して省察の題材を得る。
講義からは理論、ケーススタディからは他人の経験、プロジェクトからは新しい経験を取り込む。
そしてこのアプローチの本当の強みは、マネージャーの自然な経験も取り入れられることである。
プログラムの参加者は自分の経験を他人に話したいし、ほかの参加者の話を聞きたいと思っている。
このプロセスを通じて、マネージャたちは実にたくさんのことを学べる。
◎ 教えることvs学ぶこと
・学びたいという気持ちはいつもある。だが、他人から教えられるのは絶対にごめんだ
(英国首相 チャーチル)
・わたしの経験から言うと、まわりから口出しされないとき、学習はとてもうまくいく
(フォード自動車幹部 ナンシー・バドレー)
・私に必要なのは、自分が楽しく感じることについて大勢の前でうまく話すコツだ
(あるビジネススクールの教授)
・教えるという行為は、その性格上、その主体と客体の双方を均質化する。一方、学ぶと
いう行為は、主体と客体を自由にする
(ウォーレン・ベニス著「リーダーになる」より)
・学習は建設のプロセス。学んだことを組み立てるのは、学習者の役割である
(I・W・ガンギズ T・T・エリオット著「認知的戦略指導の全校的導入」より)
・教えられることは大嫌いだ。でも学ぶことは大好きだ
(筆者のプログラムの参加者の感想)
⇒ 自分で気づいて自然に学ぶのが理想 という感じだが
私は教えることによって学ぶことが大きいと思っている。
4番目の言葉がそれに近いかと思うがインパクトが弱い
50歳を過ぎれば教えることによって学ぶのだ
というのが私の言葉だ
定石 8 カリキュラムの設計、指導は、柔軟なファシリテーション型に変える
従来のやり方をひっくり返すべきだ。カリキュラムのデザイン、教室の座席配置、
教授陣の役割など
これまでの主に指揮命令的な仕組みをもっとファシリテーション的な仕組みに変え
ていかねばならない。
一言で言えば、「教育」を推進するのではなく、「学習」を支援するようになるべきなのだ。
本物のマネージャを教育するためのガイドライン
1 詰め込まない
2 詰め込まない
3 詰め込まない
4 それぞれのセッションにおまけの時間を1時間設ける。
ただし、担当教員にはギリギリまで言わない。
5 教えすぎない。参加者は教員から学ぶのと同じくらい、お互いから学ぶべきである。
6 参加者に理論を使って自分自身のテーマを考えさせる
7 臨機応変で臨む。有意義な議論は続けさせる。
必要に応じて、予定の内容を減らしてもいい。
8 じっくり話を聴く
9 じっくり話を聴く
10 じっくり話を聴く
マネジメントの仕事は計画、組織化、調整、統制であると、アンリ・ファヨールが書いたのは
1916年のこと。その後20世紀を通じて、マネジメントに対する社会の考え方は大きく変化してきた。
最近は、組織を知識労働者の柔軟なネットワークとしてとらえる見方が強くなっている。
それなら、そのようなマネジメントのあり方に沿うように、マネジメント教育も行うべきなのではないか。
つまり、組織で関与方のマネジメントをさせるように、教室でもマネージャの関与を増やす必要がある。
第10章 マネージャの育成
(私のまとめた概要)
筆者がカナダ、イギリス、フランス、インド、日本の仲間と取り組んでいる
IMPMプログラム(国際マネジメント実務修士課程)について紹介されている。
手前みそもあると思うが、これまで述べてきた問題点を解決すべく取り組んでいる
プログラムでなかなか面白いと思った。
各国をそれぞれホストとして実施することや、マネージャ同士が2週間協同するという
(ピアレビューに近い)こと、それぞれの地の文化や宗教そして哲学を理解するという
内容であり、これなら国際的なマネージャーが養成できるという感じであった。
日本は一橋大学、神戸大学、北陸先端科学技術大学が協力し、日本の参加企業は
富士通と松下である。
興味深い試みと写った。
以下に本文の抜粋
・ 地理上の基本設定−本当の意味での国際性
「グローバル」ではなく、「マルチカルチャラル」
・ 構造上の基本設定−バランスの取れたパートナーシップ
・ 概念上の基本設定−マネジメント志向のマインドセット
・ 方法上の基本設定−省察志向の教室
アポトロフィ型テーブルの使用 「体制転覆的な学生民主主義の揺りかご」
平坦の教室にいくつもの丸テーブルをおき、そのテーブルには小さな補助席がくっついている。
決まった正面はない。
第11章 マネージャの育成(2)5つのマインドセット
第1モジュール−自己のマインドセット(省察のマインドセット)
イギリスのランカスター大学
精神的、歴史的、商業的、文化的省察を行う
省察とは玉ねぎの皮をはぐようなもの。むけばむくほど新しい層が顔を出す。
この玉ねぎには次のような層がある。
社会(歴史、経済、倫理、精神性)
組織(文化、構造、知識)
人間関係(他人との関係、クグループとの関係)
仕事(マネジメントの仕事、自己のマネジメント、時間のマネジメント)
自己(経験、スタイル)
第2モジュール−組織のマネジメント(分析のマインドセット)
カナダのマギル大学(筆者の大学)で分析に取り組む
第3モジュール−文脈のマネジメント(世間知のマインドセット)
このモジュールでも大勢の参加者の人生が変わる。
開催地がインドとなる。
参加者は文脈について学ぶだけでなく、このインドという土地の文脈も実際に体験
する。
インド人はともかく、それ以外のすべての参加者にとって、ここで過ごす日々は大
海原の
向こうから押し寄せてくる津波のように強烈な体験だ。
まったく別の世界がそこにある。
このモジュールの土台にあるのは、異なる世界に触れれば自分自身の世界に対する
理解が深まり、
もっと世界が理解できるようになるという発想だ。
地球は遠くから見れば均質の球体に見える。同じように、グローバリゼーションと
いう考え方は、
世界を遠くから見ることを促す結果、私たちに均質な行動を取らせる。しかしマネ
ジャーに求められるのは
そんな行動だろうか。
近くで見ると、地球は遠くから見たときとまるで違って見える。地球上には、実に
さまざまな世界が
存在する。マネージャはもっと世界を知るべきではないか。実務面でも理論面でも
もっと人生の経験を
積むべきではないのか。自分の生きている世界への理解を深めるためには、自分の
世界にとどまることなく
異なる世界や文化、習慣を知る必要がある。T.S.エリオットの有名な詩の一部
を借りれば、
旅の出発点に帰還し、その土地のことを本当に知るためには、探求をやめてはなら
ないのだ。
このような思考様式が世間知のマインドセットでえある。
このモジュールのマネジメントのテーマは「境界線上のマネジメント」
生物学の発見によれば、境界上の数々の興味深いことが起きている。
たとえば陸と海の接する狭い場所では「ダイナミックな環境に触れることにより、
数知れない種類の
生命体が生れる」。
境界地帯には、緊張も生れる。
「牧草地の植物層は、森林地帯に近づいて厳しい環境に直面するようになる」
土壌が変わるし、日照も減る。樹木や低木との競争にもさらされる。
「要するに、境界地帯には豊かな生命が存在する可能性がある反面、それぞれの生
命体が自力で
戦わなくてはならないのだ」
この点は、境界地帯で働くマネージャにも言えることだ。
CEOとセールスマネージャはもちろんのこと、組織外の世界と関わる部署のマ
ネージャすべてに、
これはあてはまる。境界地帯のマインドセットは、率いることよりも結びつけるこ
と、
統制するより説得すること、実行するより話をまとめることを意味する。
そこでこのモジュールでは、人脈づくり、ネゴシエーション、利害関係者とのやり
取り、異文化間
マネジメントなどを取り上げている。
第1モジュール 「内側を見る」
第2モジュール 「外側を見る」
第3モジュールは「内側を見るために外側を見る」こと
ある意味でこのモジュールは、内面的な省察と外面的な分析を統合させる場と言え
る。
世間知とは、分析と省察を環境の中で行う能力と言い換えてもいいかもしれない。
第4モジュール−人間関係のマネジメント(協働のマインドセット)
日本で行われる。日本の「場」を理解し、マネジメント観に目を開かせる。
日本的なリーダーシップのスタイルは「背後に退いたリーダーシップ」だ。
「なるべく大勢の人間がリーダーの立場に立つ」ことを目指す。
ある参加者が言ったように、日本のマネージャはバーテンダーならぬ「場のテン
ダー(場の世話役)」
なのだ。
第5モジュール−変革のマネジメント(行動のマインドセット)
フランスのINSEDで変革のマネジメントについて学ぶ。
第11章 マネージャの育成(3)− 職場における学習
2週間の研修モジュールの間にもさまざまなプログラムが用意されている。
・リフレクションペーパー
モジュール終了後に作成する省察レポート
興味深い概念とふんだんな経験に触発されて自分の内面をのぞき込むという行為
には
非常に大きな意義がある。(それに精神の健康にもいい)
これこそ、マネジメント教育の目指すべきことだと、筆者は考えている。
・チュータリング
参加者の地元で行うチュータリングは、プログラムをカスタマイズする役にも
たっている。
「挑発的で厳しいチューター」と一緒に学んだ参加者は多くのものを吸収する。
またチューターは参加企業とプログラムの橋渡しにもなれる。
・セルフスタディー(自己学習) 第1、第2モジュールの間で実施
・マネージャ交換留学 第3、第4モジュールの間で実施
国と勤務先の異なるクラスメートが二人一組となって、交互に1週間づつパート
ナーの組織を訪問する。
この効果留学が有効な理由のひとつは、全員がゲストとホストの両方を経験する
ことにある。
ゲストは質問を投げかけることを通じて学習し、ホストは「どうしてそんなこと
をするんですか?」
といった素朴な疑問に答えることによって学習する。「「なぜ、なぜ、なぜ」と
質問を浴びせてくるので
それに答えなくてはならなかった」とある参加者は述べている。
アクションラーニングが直感的で行動本位だとすれば、マネージャ交換留学は視
覚的で観察本位。
この種の学習は暗黙的性格が強く、なかなか言葉で表現しずらい。しかし、参加
者たちは、
この経験が充実したものだったと強調している。
・ベンチャー 期間全体を通じて行う
IMPMに参加しなければ取り組まなかったこと、あるいは異なるやり方で取り
組んだと思われることを
報告
・メジャー・ペーパー(ミニ論文) 最終モジュール終了後に執筆する
IMPM終了後に希望により修士号を取得できる。
筆者は学位でなく「学習」が重要との認識で反対であった。
しかし、学位の取得が学習を強化することにしだいに気づいた。
「宿題をちゃんとやらないと卒業できないよ」と言われておびえる子供とはわけ
が違う。
修士号が自然にご褒美になって、参加者と教員の間に成熟した関係が確立される
のだ。
モジュール期間以外での学習への取り組みがまったく違うとのこと。
第11章 マネージャの育成(4)− 学習のインパクト
<題材の共有>
・モトローラの参加者(2期生)はクラスメートを誘ってそれぞれの出身企業の同
僚に電子メール
を頻繁に送り、モジュールで読んだ課題文献を紹介するようにした
・カナダのロイヤルバンクの参加者(2期生)は、モジュールで学んだことを会社
の同僚に教える
「オープンハウス」を始めた。
・松下電器では、会社の正式な制度として、モジュールで扱ったテーマについて、
プログラムに
派遣した社員が同僚たちと話し合う「フライデーフォーラム」を開催している
<方法論の実践>
・ロイヤルバンクの3期生は、課題文献の「組織設計のマネジメント」に記されて
いたアイディアを
取り入れて、ベンチャーの課題として「分権型組織」への移行を実践し、さまざ
まな中央のスタッフ機能
をカナダ各地のライン部門に移管した。
・モトローラのグループはマネージャの交換留学で受け入れたルフトハンザ航空出
身のメンバーに触発
されて、独自にルフトハンザへの訪問を行うことにした。
<行動の変革>
・さまざまなビジネスを展開してきたインドの企業家は、ベンチャーの取り組みと
して、
ヘリコプターのチャーターサービスを発案。やがて、それを格安航空便ビジネス
へ発展させていった。
<新しい枠組みの展示>
・BTの3期生は、第3モジュールのリフレクション・ペーパーに代えて、社内ス
ピーチの原稿を
提出した。「世間知をもっと身に付け、グローバルな視点を持つ方法を示すこ
と」がこのスピーチの
ねらいだと語っている。
○ 上級リーダーシップ・プログラム(ALP)
IMPMの短期プログラム
料金もテーブル単位(定員は最大6名)
ALPでの対象は個人でなくチーム
第1 「内省的リーダーシップ」 内面を見る ヨーロッパ
第2 「結合的リーダーシップ」 周囲を見る アジア
第3 「触媒的リーダーシップ」 未来を見据える 北米
もっとも特筆すべき点は、従来のプログラムのように職場でプロジェクトに取り組
むのではなく、
教室でテーマを話し合うことだろう。この違いはマネージャーの本来の業務を学習
の手段として
活用する点でマネージャ育成の画期的な変革と言えるかもしれない。
筆者に言わせれば、第1世代のマネージャ育成が講義とケーススタディ、
第2世代型が職場でのアクションラーニングとすれば、第3世代型は現実の問題に
基づく省察型の
学習なのだ。
以上