「私が見た最高の選手、最低の選手」
野村 克也 東邦出版
新刊である。
家内が図書館から借りてきた。
野村さんがプロ野球に入ったのが1954年。
私が生まれた翌年のことなのか。
巻末にその1954年からのノムさんのボヤキ付き歴代ベストナイン
の付録がついているが、昔はよくプロ野球を見ていたのでなつかしい。
本文の方では、最高の選手はいいが、最低の選手については
そんな悪文ではなく、そんなに問題はないように感じた。
価値観、人生観の違いもあるので、評価が低い選手もプライドは
傷ついてはいないだろうと安心した。
いくつか記憶に残ったフレーズがあるので書き留めておこう。
清原選手
ホームランバッターとしての素質は私や王をはるかに凌いでいたと言っても
過言ではない清原が、欠点を克服できず(内角が打てない)、王はおろか私の
本塁打数も超えることができなかった。
このことを思うと「欠点が長所を消す」というのは、その通りだと思う。
「長所を伸ばすには、短所を鍛えろ」である。
やはりこれが正しい。
宮本選手
宮本にとって、ゴロを転がす、右方向へ打ち返すということ自分がチームに求められていることだった。
すなわち「出塁率を高め、進塁打を心がける」ということだ。
そして守備を磨くこと。
反復練習が己を磨いていく。
「平凡の非凡」という言葉がある。
平凡な練習にも意味があり、その意味を理解して努力を重ね続けていくことは、
誰にでもできることではない。
それはもはや「非凡」なのである。
宮本にとっての「平凡の非凡」は、「ゴロを打たなきゃ、右へ打たなきゃ」という
バッティング練習だった。私の指示を信じ、「監督さんの望むような選手にならなきゃ、
使ってもらえない」と自覚して、ゴロを打つ練習を徹底したのだろう。
その結果が2000安打である。
「プロとは徹底することである」ということを、私は宮本から学んだ。
高井選手(阪急の代打の切り札、代打ホームラン27本は日本記録)
阪急は上田利治監督に代わり、1976、1977年には西本監督がなし得なかった
打倒巨人を2年連続で成し遂げた。高井メモには投手のクセだけでなく、二塁手のポジション、遊撃手の河埜和正らの守備でのクセや、長嶋監督がベンチで出すサインのクセまで
解読されていた。いつの間にか高井は「自分が生きていくため」だけでなく、「チームが
勝つため」にメモを残していた。
阪急は長い間Bクラスに甘んじていたが、スペンサーの加入でチームは間違いなく変貌した。スペンサーメモが高井メモになり、黄金時代の阪急のバイブルになっていったのだ。
川上監督
川上のミーティングは、「人間とは」という人格形成に関わることが多かったという。
これも私の考え方と一致している。
仕事を行うに当たっては、「なぜその仕事をするのか」を考えることから始めなければ
意味がない。なぜ仕事をするのかという問いに答えるには「なぜ人は生きるのか、生まれてきたのか」をかんがえなければならない。
それを考えて初めてチームにどうやって貢献するのか、どんな仕事をすれば給料が増えるのかという具体的目標に行き着く。持ち場に徹することができる。
→まったく共感する。ウン、ウン。
現在の監督像
現在の野球は、前述したように似たような戦術をとったうえでの「風」頼みの側面が強い。
12球団が、個性が失われた金太郎飴のような野球から脱却するには、自ら「野球とは」
を確立した監督の存在が不可欠になるだろう。
野球観が確立していれば、戦略、戦術の選択の根拠も胸を張って説明できる。
監督の責任感は、確たる野球観なしに生まれない。
それは野球に限らず、一般企業でも一国の政治でも同じことだ。
言行不一致や朝礼暮改は許されないが、それぞれの価値観がぶつかり合うことで、組織がよりよく、より強くなることもまた、事実である。
→深く納得。
そしてノムさんは弟子の、宮本と稲葉が監督で対決するのを見たいと書いている。
この2人は監督の条件を備えていると。
監督として権威を保つための条件を以下の4つだと考えている。
@
能力=判断力、組織力、指導力など
A
信頼=正直、誠実、謙虚などの人柄によって形づくられる
B
知恵=経験や知識から湧き出る知恵をもって助言すること
C
愛=子を愛する親のように、厳しさも込めて選手に接する
そして、最後の結びの文もよかった。
2014年にプロ野球は80年を迎える。
沢村栄治が静岡草薙球場でベーブルースやルーゲーリックらと互角にわたりあったのは
1934年のことであった。18試合を戦って全敗したなかで、童顔の少年投手が見せた
快投に、当時のファンは未来を夢みたのである。
人は星に向かって手を伸ばすという。だが、手を伸ばした先にある星は、最初からそこにあったわけではない、人知れず努力をし、短所を克服し、長所を伸ばし、ライバルとの競争に打ち勝って初めて、誰の目にも輝いて見える星として、いまようやく空にまたたいているのだ。そんな未来の星になる選手たちも、いま泥にまみれて一心不乱に練習している、経験を積んでいる。
本書が、プロ野球の歴史を振り返るきっかけとなると同時に、星を目指す若者たちの指針になってくれれば、幸いである。