「脳と魂

養老 孟司 ・ 玄侑 宗久 著 ちくま文庫



養老 孟司 さんとインテリお坊さんの玄侑 宗久の対談である。
単行本になっているものを、これまた家内が借りて帰ってきたのである。

http://www.chikumashobo.co.jp/special/noutama/

非常にハイレベルの対談である。

養老さんが神奈川栄光学園で中・高をすごしたとは知らなかった。
しかもカトリックの学校である。
その方が仏教の教えを説く。
やはり日本人は仏教の心が入っているのだろう。

玄侑 宗久は恥ずかしながら、今まで知らなかった。
慶応文学部卒で著作も多数。
現在、福島県三春町の臨済宗妙心寺派福聚寺の副住職。


○ 玄侑さんは養老さんの戒名までつけていた。

「爽壁院養風慈弁居士」
養風 虫取り
慈  右脳
弁  左脳

理屈でない世界も弁ずる世界も両方ともに働いていた虫取りさん の意味



○ 芥川 「藪の中」

( 養老孟司)
あれが世界中にインパクトを与えたのは、世界は一神教徒が三分の二だからですね。
それ自体に日本人が気がついていない。
僕が客観性がないと言ったのはそういうことなんですよ。
なぜ、あの映画を、世界中のインテリが見ちゃったかっていうと、
戦後のああいう状況の中で、誰だって、本当のことは何だろうって考えるんですよ。
そこに「羅生門」のような形で問題提起されると、絶対の真実なんてないのかと、ふっと考えるでしょ。
特に西洋人は客観的現実があるっていう暗黙の前提を置いちゃってますから、そこを突かれるわけですね。

 ⇒ うーん。読んでないこともあるがハイレベルな会話でついていけない。
   芥川の本も読んでみようと思う。羅生門は読んだと思うのだが忘れた。

羅生門 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html
藪の中 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/179_15255.html


○ 公私はあるが個はない日本
( 養老孟司)
「公」という字がついた瞬間に、ものすごく私権が制限されるんです。
たとえば東大の総長に事務がまず言い渡すことは「24時間居場所を明らかにしてください」っていうこと。
そうしたら勤務時間ないわけですよ。
日本人は勤務時間ないのが当たり前だと思っているんです。
それは公に個を認めていない証拠ですよね。

(玄侑宗久)
禅のほうの考え方にあてはめると、「公」と「私」っていう意味じゃなくて、われわれにはいくつもの役があると。
とりあえず一つのときには一つの役になりきるのが幸せであるけれども、役を乗り換えるというか、服を着替える
のと同じように、いろんな役を生きなきゃいけない。


○ 個性のなさ

(玄侑宗久)
そうですね。文部科学省、どこから持ってくるのかわからないですけども、
今、彼らのうたい文句は、子どもに個性と自立ですね。これは困るなあと思うんで
すけど。

( 養老孟司)
だから、その個性ってやつですよ。
日本には個の哲学がないところになってその「個性」というものを持ち出してきた
んです。
この間、僕、職安の垂れ幕見て怒ったんだ。
「自分にあった仕事が見つかるかもしれない」ってでっかく書いてあるんだよ。
ふざんけんじゃねえって。俺なんか仕事に合わせるのにいかに苦労してきたか
(笑)
仕事ってのはお前のためにあるんじゃなくて、世の中が上手に動いていくためにあ
るんだから、
てめえに合った仕事なんて、ふざけたことを言うんじゃねえって、
ほとんど小言幸兵衞になっちゃったんだけど。
僕は、一応これでも教育関係の畑なんだけど、暗黙のうちに考えてきたことは、
人間は当てにならないし、変わるものだということですよ。

(玄侑宗久)

仏教でも、それは大前提ですよね。
諸行無常ですから。
人間だけでなく、あらゆるものが状況によって相互依存的に変化しますので、瞬時
として
同じままでうあありえないわけです。



○ 文科省と教師
( 養老孟司)
明治以降、東大法学部卒が1万何千人、一人として義務教育の教師になったやつはいない。
文科省の偉い人は全部東大法学部ですよ。
つまり現場をやっていないやつが現場をコントロールしているわけだから、それでまともな政策ができると
彼らが思っているなら、そのほうがよほど不思議ですよ。
教育っていうのをバカにしているとしか僕には思えない。
個性だの自立だって言うやつは、文科省の官僚をまず辞めたらいいんだよ。
自立すりゃいい。社会で自立するって容易なことじゃないですもん。


○ 名前を変える
( 養老孟司)
やはり節目節目で変えてかなきゃいけないですよね。

(玄侑宗久)
本来自分が変わるっていうのは楽しいことですよね。
それが今では楽しめなくなったということでしょう。

( 養老孟司)
そうです。だってそんなこと夢にも思ってないんだもん。
「私に合った職業」で「本当の自分」ですもん。

(玄侑宗久)
変わらない個性があるんだったら、本当に犯罪者なんか更正できない。


○ 三木 成夫(しげお)の世界
 ⇒ 養老孟司さんが学んだ東大の先生。香川県出身と知って驚いた。
( 養老孟司)
三木さんのとき、いつも教室いっぱいですよ。
東大医学部の生意気な学生がシーンとして聞いているんです。
僕はあれは説教だと思った。
昔の宗教家ってあれだたんだなと思った。
自分は天下の秀才だと思っている東大の生意気な連中が、突っ込まずにシーンとして聞いているんです。
かと言って三木さん、全然難しいことを言っているわけじゃないんですよ。


○ 色と空
(養老孟司)
やっぱり、具体的に分析的な方向っていうのは科学では有効ですからね。システムをよそで分解して、個々別々につぶしていくっていうやり方は、
非常に有効なんですね。つまり今の西洋科学っていうのは否定できない。
だけど、必ず一方でシステム全体を見張る人がいなきゃいけない。
そういう二重構造になっているんですよ。動物はみんなそうなっていますもん。
われわれだって、身体があって意識があるんだから。
全部身体の言うとおりにしているわけにもいかないし、そうかといって意識の言うとおりにしていたら、
何度も言うようにえらいことになっちゃう。
心身のバランスでしょうがっていつも言うんだけど。

(玄侑宗久)
それってまさに「色」と「空」の話ですよね。
仏教的に言えば、さっきも申し上げた、変わりつつ変わらない、
あるいは変わらないからこそ変われる、という二重構造かも知れませんね。
無意識の存在も意識の射程に入れるっていう言い方もできるでしょうか。
いずれにしても仏教や東洋思想には「色」に対する分析的な方法論だけじゃなく、
「空」という全体性への視線がありますよね。
「老子」での全体がタオ(道)ですし、荘子はそれを混沌と呼んだわけですが…。




以 上