「TPMで人が変わる
−大阪ガス酉島製造所3000日の苦闘−」
伴 稔也 大阪ガス株式会社 生産部
スーパーシックスシグマの取組みの企業調査の希望が遂に叶った。
2007年3月2日 大阪ガス泉北製造所を訪問した。
そもそも大阪ガスさんには「技術者発想を捨てろ」の本を読んで
その取組みを知りたいと思って2005年7月に申し入れていた。
それが伊方発電所との交流研修の形になり、3月2日は第2回目の交流研修日であった。
その午前中に、お話しを聞くことができたのであった。
スーパーシックスシグマの前にガス製造所でのTPMがあってこそなのである
とのお話しを渡部第一工場長からお聞きした。
そしてこの本をどうぞということでいただいたのであった。
○ 技術サポート
大阪ガスでスーパーシックスシグマの取り組みを聞いたときに、渡部工場長から
酉島でのTPMを語らなくてはならないと強く言われ、本をいただきました。
その酉島での3000日にわたるTPM活動を知りました。
この中で、初期の清掃活動から次のステージに入ったときに
酉島の作業員がガス営業マンと一緒に供給先を訪問して問題解決をはかる
(ガスの種類を減らしてもらう活動でWin−Winを目指す)ことをやっていました。
昭和50年代にこんなことをやっていたなんて驚きでした。
渡部さんがTPMとは人員削減と言った意味が本を読んでわかりました。
これはコークスガスから天然ガスへのシフトで酉島製造所自身がなくなってしまう
(そうなるのですが)という大きな危機感の中での取り組みでした。
この中で印象的だった言葉がありました。
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「私は日頃機械を扱っていますので、ちょっとそちらの設備を拝見させていただいた上で、
もう一度お話をさせていただきたいんですが」
言いながら、樫内はちょっと笑ってバッグから鉛管服と工具を取り出した。
「この通り用意はしてきました。現場の方に案内していただけませんか」
もう還暦を過ぎていると見える社長は、上着を脱いで鉛管服に袖を通す樫内の姿を、
頭から足の先まで見やり、樫内が最初に渡した名刺を改めて丹念に眺める。
「ふうん、あんたがうちに入れてもうてるコークスを作っとんか」
と言って案内してくれたのである。
この結果122あった銘柄が半数の68にまで減り、選別ラインも8から2になったのである。
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私自身、この大阪ガスのTPM活動を見ますと、TPMという言葉から受けていたイメージが随分変わりました。
業務プロセスを改善することなんだなあ。
TOCと通ずるところがあると感じたのでした。
そして大阪ガスの現場の人は、
「今、自分は何を、どのように為すべきか」を所員自ら考え、行動してゆくようになったのであった。
個人の達成感を重要視し、個人の感動を最大にするTPM
これは酉島製造所が閉鎖されると決定された後も続くTPMであった。
「しっかり運転、きっちり停止、最後の仕上げだ、酉島だ!」
こういうスローガンを作るのが大阪ガスさんは上手だ。
そして阪神大震災との遭遇。
被災地でガスメータを回収に回る部隊の話しが最後にあったがこれが非常に印象的であった。
ガスメータは高価でありこれを回収せねばならなかった。
今にも崩れそうな建物の中までも入っていく。
被災者の方々のコミュニケーションもしっかり取った。
みんな自ら考え、自ら動いたのであった。
素晴らしい。
TPM成功のポイントは、「危機感」の共有だ。
そして「性善説」にたって部下を信じること
多くの責任と権限を委ねることが基本にあるのだから。
「取り巻く環境を含めた現状認識」と「その職場をどういう方向を目指して運営していくか」
だけは、全員の認識が共有化されていなければならない。
このため幹部は経営データなども全員に開示し説明するのである。
人件費のデータまで酉島ではオープンにした。
酉島製造所における業務所掌のピラミッドは、事実上まるでだるま落としのように、
ひとつ、あるいは二つ低くなっていったのである。
→だるま落としの表現がとても気に入った。
TPMは部分最適から全体最適へ段階があがる。そうなると所掌を越えて改善が行われるのである。