「オーデュポンの祈り」
伊坂幸太郎 新潮文庫
変わった作品だった。
私は重力ピエロよりもこっちの方が面白かった。
まったく異次元の世界で繰り広げられるお話。
でも引き込まれていく。
カカシが喋る。それも未来をお見通しの案山子(名前も優午とついている)で、150年昔に作られたものだと。
信じがたいが、その非現実が身近に感じられてくるほど読んでいると引き込まれるのである。
見事だ。
小説なので中身がわかってしまってはダメなので多くは書けないので少しだけにしておく。
「理由になっていない」と言って射殺する島の仕置き人「桜」
伊坂作品でイヤなのは、簡単に人を殺すところである。
また異常人格者的なワルが必ず登場してくる。
そのあたりがどうしても好きになれないのである。
情のある山本一力作品の方が安心できるのは歳を感じてしまうなあ。
この違和感を見事に説明してくれたのが、この本を薦めてくれたKさんである。
そのやりとりを掲載させていただく。
K> やはり伊坂氏の著書のベースにあるものは、浦沢氏の著書のベースにあるものと似ているのでしょうか。
K> 私たちの世代は、どうやらこのようなものを好んでしまう傾向にあるようです。テレビゲームなどの影響でしょうか。
Q このようなもの?
わかったようでわかりません。
もしよろしければもう少し説明していただければ幸いです。
A 私が考える『このようなもの』とは、
○不幸(殺人、暴行など)を題材にしたものなものを好んで読む。
現実が平和すぎるため刺激を求めているのでしょうか。
刺激と言うには不謹慎ですが・・・。
○死が身近に感じられず、バーチャル世界のものになっている。
なので、重たいテーマを軽々しく取り扱い、四国の井崎さんの
「わかっているのか?」に繋がるのだと思います。
○本質よりも、表面のかっこよさを好む。
よく分からなくても、専門用語が並んだりすると格好良く
思えてしまいます。(重力ピエロの遺伝子の話もそうです。)
○自分が無く、多数に影響される。
多数が良いと思うものは、自分の考えによらず良いと考える。
逆に自分一人だととても不安になってしまう。
------------------------------
この本で知ったこと
「リョコウバト」については全く知らなかった。
本タイトルは鳥類の博物画家として有名なジョン・ジェームズ・オーデュボン
から取っているのであるとわかった。
途中でインパクトのある登場の仕方をしたが、最後につながるのであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%90%E3%83%88
「支倉常長」も知らないと思っていたら以前検索していたことが判明。
何で調べたのか忘れてしまった。
支倉常長(はせくらつねなが)
(1571?―1622)
伊達政宗(だてまさむね)の家臣で、慶長(けいちょう)から元和(げんな)年間に、ローマ法王庁に使節として派遣された。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%94%AF%E5%80%89%E5%B8%B8%E9%95%B7/
150年前どころか400年も前の人だったのかあ。
伊坂さんは春(春にちなんだネーミングが多い)、動物、音楽が好きなようだ。
舞台が仙台の近くの「荻島」というのも東北大学出身の井坂氏らしい。
地産地消が言われて久しいが、作家も自分の地元(千葉県出身だったが…)を大事にする人は好きである。