「西郷隆盛と大久保利通」
NHKにんげん日本史 理論社
上司(I常務)から大久保利通を見習えと言われていたが、
大久保利通については??であった。
そこで本を読まねばと思っていたので家内に頼んでいた。
すると小学生が返却してきたこの本を借りてきてくれたのであった。
30分ほどで読み切ることができ、それなりの智識を得ることができ助かった。
イラストや写真もふんだんであり、非常に理解しやすかった。
小さいときから偉人の伝記は好きであった。
このシリーズで、また別の人のものも読んでみようかな。
西郷隆盛とは鹿児島薩摩藩の下級武士の家柄で大久保が3歳歳下の幼馴染。
明治維新で活躍した2人。
情と理でいえば、情の西郷、理の大久保という感じか。
和服の西郷、洋服の大久保。
欧米を2年間視察して学んできた大久保の視野は大きく広がっていた。
二人の活躍した背景には藩主島津斉彬の存在が大きい。
鎖国の日本でグローバルな視点を持てたのも、
薩摩藩が沖縄を通じて中国とも密貿易を行い、西洋の発展を学んでいたからであった。
殖産産業、富国強兵の明治の理念は、斉彬に拠るところが大だったのである。
そして斉彬は下級武士の中から西郷の能力を見抜いて抜擢する。
西郷は意見具申をしており、これに目が留まった。
西郷は大久保とともに「誠忠組」の中心となり、日本の改革に使命を感じたのであった。
しかし斉彬は亡くなってしまう。
西郷が自殺未遂で表舞台から去った後、大久保は理念実現のために、新藩主久光に接近を試みる。
このときに囲碁を学んで、囲碁好きの久光の相手をして取り入ろうとしたのであった。
このような努力のことを学べとIさんに言われたのであった。
「直接的に攻めるのだはなく、いろいろ工夫してまずは取り入ってもらわないと
自分のやりたいことができなくなるぞ。
自分を捨ててでも、相手に合わせることを考えてやりなさい。」
という教えを受けたのであった。
この本では碁の話は言い伝えであり本当のところは定かではないと、ちょっと否定的に書かれていた
感はあったが、クイズにも入れていたので、やはり大久保利通にははずせない話題であろう。
明治維新後では大久保と西郷は、「征韓論」でぶつかり、
その結果、不満武士のリーダーに祭り上げられた西郷が、望まない戦争「西南戦争」に至り
自決の最後を遂げることになる。(51歳)
そして大久保も暗殺されてしまう。(49歳)
無念の思いであったろう。
しかし命をかけて、この日本の改革を行った2人の志と行動は、後輩によって完成されていくことになる。
ただ富国強兵の面で大久保がプロシアから呼んできた軍人は失敗だったようである。