「精鋭」  

 今野 敏  朝日新聞社


   


今野敏の作品は後味が良い。
家内がファンでこの新刊を借りてきて読んで、よかったよと渡してくれたので読む。

警察モノが今野作品で、キャリア警察官僚やインテリジェンスものを読んでいたが
今回は新入警察官柿田君の物語であった。

警察へ入ってどのように育てられるのかその教育システムの中身がよくわかった。
そして機動隊、SATという特殊な組織のことまでも。
それにしてもナンデこんなに知っているんだろうと驚いてしまう。

柿田は2年目には「機動隊」へ、そしてさらには「SAT」訓練を受けて成長して
いく様も
驚きの展開であった、そして違和感もなかった。今野マジックか。

精鋭とは「SAT」のことを指しているのだろう。
特殊急襲部隊(とくしゅきゅうしゅうぶたい;Special Assault Team)

3年がたってSATの正式メンバーとなって1年たったときの回顧の言葉が物語っ
ている

柿田はこれまでのことを振り返っていた。
所轄の地域課に配属されたとき、小学校3人組が捨て猫を交番に持ってきたことが
あった。
あのときは、どうしていいかわからず、困り果てた。
休日に映画館で、痴漢を捕まえたことがあった。
余計なことをしたのではないかと、ずいぶん考えたものだ。
機動隊に入るまでは、迷いの連続だった。
やっぱり、機動隊は水があったようだ。
こう言っては他の機動隊員に失礼かもしれないが、柿田は大学時代の部活の延長の
ような気持ちだった。
近代五種も、今となってはいい思い出だ。


◎「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」
ラグビーから学んだこの言葉の意味を柿田が機動隊の隊長に答えた言葉は腑に落ち


・一人一人の技術が確かでなければ、チーム全体としての作戦をうまくこなすこと
ができません。
 これがワン・フォア・オール。
 そして、チームとしての作戦が的確でしっかりしていないと、個人個人の技術を
生かすこともできません。
 これがオール・フォア・ワンです。

 →会社でもまったく同じではないだろうか。


感心したのが警察と軍隊の違い
そして訓練の意義だ

珠玉の言葉であった。

自衛隊員一ノ瀬(習志野第一空挺団)

「昔、沖縄の有名な空手の先生が、こう言ったそうだ。
『長年修行して体得した空手の技が、生涯を通して無駄になれば、空手道修行の目
的が達せられたと心得よ』と…」
「それが武道の稽古の精神だと、俺は思う。そして、それが自衛隊の訓練に通じる
と俺は考えている。」

柿田はようやく一ノ瀬が言おうとしていることを理解できた気がした。
確かにスポーツの練習と武道の稽古は違う。
スポーツの練習の目的はひとつだ。
試合に勝つため。それ以外にない。
それは一流のアスリートだろうと、草野球の選手だろうと変わりはない。
柿田は一ノ瀬に言った。
「スポーツはゲームだから勝つことに意義がある…。でも、武道はそうじゃないとい
うことですね?」
「俺はそう思う」
「でも、勝負にかたなけりゃ、死んじゃうかもしれないんですよね」
「勝たなくてもいい、負けなけりゃいいんだ。そして、俺は勝負というものの考え
方が、スポーツと武道では
違うという気がする」
「どう違うんですか?」
「例えば、柔道も剣道も試合では、戦うことを強制されるわけだ。
選手は戦わなければならない。そうでないと、試合が成立しないからな。
戦わない選手がいると、相手が不戦勝となってしまう。
だが、武道では戦わなくてもいいんだ。勝負の最高の境地は、戦わずに勝つことだ
というからな」
「あ、それ、よく言われますね。でも、自分はよくわからないんです」
「よほどの達人でないと、その境地には至らないだろうからな。でも、さっきの沖
縄の偉い先生が言っていたことと、
おそらく同じことなんだと、俺は思う」
柿田はうなずいた。
「なんとなくわかる気がするんですが…。それから武道って、何か素養というか、た
しなみというか……、
そういうイメージがありますね。柔道や剣道の心得がある、といういい方はします
が、
野球やラグビーの心得がある、といういい方はあまりしませんからね」
「そう、身を守るための心得だ。自衛隊の訓練は、まさにその心得だと、俺は思っ
ている、だから試合は必要ないんだ」

『稽古は実戦のように、実戦は稽古のように』
まさに、俺たちは、実戦の心構えで訓練している。
それだけで十分なんだ。


吉田茂総理の防衛大学一期生の卒業生に向けての言葉 昭和32年

『自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存
亡の時とか、
災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君たちが日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい』



柿田「何のために、耐えているんですか?国のためですか?」
一ノ瀬「近いけど、違うな」

「近いけど、違う…」
「そう、国のためじゃない、国民のためだ」

「俺たちは、国のお偉いさんを守るために戦うわけじゃない。
国の体制とか、そういうこともあまり考えたこともない。
ただ、日本国民の誰かが助けを求めていたら、俺たちは、いつでもどこでも飛んで
いく。
その覚悟はできている」

柿田は、自分でも驚くほど、一ノ瀬の言葉に感動していた。




SATの訓練に戻っても柿田はこの言葉を胸に刻んで訓練に臨んだ。

「訓練は実戦のように。実戦は訓練のように」
そして一生懸命稽古したことが、生涯無駄になることが、稽古本来の目的だ、とい
う空手家の言葉も
忘れてはいなかった。

先輩の言葉
「俺たちが呼ばれるのは、最終的な局面だ。だから失敗は許されない。
敗北も許されない。俺たちは、最後の砦だ。
それはつまり、日本の最後の砦であることを意味しているんだ」
柿田は、そこまで考えたことはなかった。
SATが失敗するということは、日本がテロに屈するということなのだ。
もうSATの後はない、自分たちが最終手段なのだ。
それを理解していれば、訓練がいかに重要かがわかるだろう。
そして訓練に臨む心構えも、おのずと変わってくる。


軍隊と警察の違い 藤堂の解説

戦うという意味が違う。
軍隊のように、相手を撃ち殺すという意味じゃない。
テロリストを制圧して検挙するために戦うんだ。

それが日本の警察だ。
だからある意味では軍隊以上の能力が要求される。

すなわち、余裕をもって対処するだけの能力

相手を撃ち殺すだけなら、それほどのスキルは必要ない。
射撃の腕だけあればいい。
相手を生かしたまま制圧して検挙するとなると、相手をはるかに上回る実力が必要
となる。

そして軍隊とは別の判断力が求められている。
兵士が上から言われるまま、作戦を遂行すればいい。
だが俺たちは同時に、状況を自分自身で見極めることも求められている。
なぜなら、俺たちは兵士じゃなくて警察官だからだ。


これで柿田はもやもやが晴れてスッキリしたのであった。

 → 私自身もスッキリしたし、敬意を持った。

以 上