「虚妄の成果主義」 ー日本型年功制度復活のススメー

  高橋 伸夫  日系BP社


詳細は同僚のNKさんがまとめてくれているので、自分がマークした部分だけ書き抜きました。


まずは全体的な感想から。

成果主義はダメで昔の年功制に戻せというのが高橋さんの主張。
その論理については、ある程度納得するが、全体的な時代の相違を忘れている。

これからは創造性が求められる。
創造的な組織、学習する組織を作っていかねばならない。

昔は放っておいても仕事はどんどんあった。
仕事の報酬は仕事、
確かにそうだが、今、そのおもしろい仕事を与えられない時代に入っているのだ。
仕事がある時には高橋さんの論理でいい。

しかし時代が違うのである。
この認識がないのは大学というところでずっといるからだと思う。

○金銭報酬でやる気を失う
 報酬をもらうようになると自由時間にパズルを解かず休憩するようになってしまう。

 つまり、報酬をもらうと、本来おもしろいハズのパズルであっても、
 自由時間を休憩するようになる。

○ 学問的に予想された結末
 「正直言いますけど、先生がセミナーで『究極の人事システムは年功制である』なんて言っているのを聞いて、
内心、何馬鹿なこと言ってるんだろうなんて思ってたんですよ。でもねえ。
今は、昔の人事システムに戻してくれって言いたい気持ちなんです。
何だか、給料の金額になったとたん、むなしいんですよね。
これだったら、『俺がみんなを食わしてやってるんだ』くらいに思ってた方が、幸せだったような気がするなあ。
後輩は私を尊敬してくれていたし、同僚・先輩は私に感謝してくれていましたからねえ。

今は、あの程度の給料格差なのに、何だかねたまれているみたいで、居心地悪いんですよ。
しかもこれで手を抜こうもんなら、すぐさま成績が下がったとか言われて、下手すればリストラですからねえ」

⇒ 当社グループは当期の業績を評価するが、昇進(仕事のおもしろさ)の尺度は
 能力評定でやっており、こちらは従来からのものと大差ない。
 成果主義1本でないところに救いがあるのかもしれない。


○ 動機づけに対する『期待理論』の説明
 1964年になると画期的なワーク・モチベーションの理論が登場する。
動機付けに関する代表的かつ、最も精緻な理論と言われる期待理論である。
もちろんワーク・モチベーションの理論は期待理論ばかりではない。
例えば、人が仕事に対して動機付けされるメカニズムを明らかにしようとする「過程論」に分類されるものだけでも、
公平理論、目標設定理論、自己効力感(self-efficasy)モデルなど、さまざまなものが含まれる。
しかし、その中心が期待理論なのである(藤田2003)

⇒ 自己実現道場のYさんから「自己効力感」という言葉を教えてもらっていい言葉との感を持ったのでその言葉の入ったところを抜き出した。



○ 期待理論提唱者・ブルームの冷静な見解
(a) 期待理論では、ある作業者が現在の職務にとどまるように作用する力は、
  現在の職務の誘意性(効用)の単調増加関数であると仮定されている。
  欠勤・離職(参加の意思決定)と職務満足との関係は、この点を支持する証拠である。

(b) 職務満足が生産性の向上に結びつくかどうかは明かではない。
  なぜなら、期待理論では、職務の誘意性(効用)は、作業者がクビにならない程度に仕事をする確率とは
  関係するかもしれないが、多くの場合、作業者の可能性をはるかに下回る遂行レベルで十分に職務を維持
  できるし、実際、調査された作業者はそうだったと思われる。
  事実、生産性(生産の意志決定)と職務満足の間には関係がない。

⇒ この結論には納得である。給料は職務満足にはなるが、生産性向上の動機付けにならないということ。
  このあとのハーズバーグらの衛生要因の分析でさらに理解が進む。


○ 職務不満足を予防する「衛生要因」
@ 職務満足に、達成、達成に対する承認、仕事そのもの、責任、昇進が要因として現れる頻度は顕著に高く、
  特に、後の3つ(仕事そのもの、責任、昇進)は態度変化の持続性の点でより重要である。
  しかし、これらの要因が、職場不満足感を述べる時に、事象として現れることは非常にまれであった。

A 職務不満足事象には、これとは全く異なる要因が出てきた。つまり、会社の方針と管理、監督、給与、
  対人関係、作業条件である。これらは、今度は職務不満足をもたらすように作用するだけで、その逆は
  ほとんどなかった。


  ……

  このように、動機付け衛生理論で主張されているような結果が繰り返し確認できるという事実は、
 きわめて重要である。すなわち、給与や作業条件という従来動機付けの中心に考えられていたものが
 実は衛生要因にすぎなかったことになり、それに代わって見いだされる動機付け要因が、自分の行っている
 職務そのものと直接的な関係を表しているということは、きわめて象徴的である。
 それが一体何を意味しているのか。ハーズバーグ自身は、動機付け要因は、仕事において自らの先天的潜在能力に
 応じて、現実の制限の内で、創造的でユニークな個人として自分の資質を十分に発揮したいという自己実現の
 個人的欲求を満たすことこそ満足感になるのだと解釈している。(Herzberg et
al.,1959. P114)

⇒ 私が昨年気づいたこと、実感したことと同じ結論であった。


○ マズローの否定
 マズローの考え方は、「衣食住足りて礼節を知る」的な趣もあり、日本でもウケタ。

 しかし、実際のところは、何か実証的な根拠があって主張されたわけではない。いわば「思想」「アイディア」
 あるいは「仮説」とも呼ぶべきものであった。この「仮説」としてのマズローの欲求段階説に対しては、
 これまで数多くのさまざまな検証が試みられてきた。しかし、その試みはことごとく失敗している。
 つまり確認できなかったのである。1970年代には、マズローの欲求段階説には科学的根拠はないとの
 結論が出されている。(Wahba & Bridwell,1976)

⇒ 科学的根拠がないからダメというものではないだろう。
  この仮説は私は強く支持する。

○ ゲーム理論「囚人のジレンマ」 、コンピュータプログラムですら協調的
高得点をあげたプログラムは以下の性質を持っていた。
非常に象徴的な事実である

◎ たったひとつの性質 「紳士的(nice)」であること

姑息でないこと。自分からは決して裏切らないことを意味している。
つまり、相手を試したり、時々つまみ食いをして一時の利益を求めると、
それから後の強調関係が崩れてしまい、結局は長期間協調関係を維持し続けていたよりも得点が低くなって
しまったのである。
それに対して紳士的なプログラム同士は、相手が裏切らない限りは強調しつづけるので、互いの平均得点を
高めあった。
そして裏切られた時の対応の仕方によって、それぞれの紳士的プログラムの全体的な平均点が決まった。
好成績を挙げた紳士的なプログラムが持っていたその場合の性質とは、

◎容赦すること(forgiveness)であった。

これは根にもたないこと、すなわち、相手が裏切った後でも、再び強調することを意味している。

つまり、@「紳士的であること」、A「容赦すること」が示唆していることは、
「@現在の目先の利益やA過去の裏切りへの復讐を選択してはいけない」ということである。
現在でも過去でもないとすると、残っているのは未来である。
未来についてはどうしろと言っているのだろうか。
結論から言ってしまえば、「Bこれからの将来の強調関係をこそ選択すべきである」ということになる。
過去の裏切りにいつまでもこだわり続けず、目先の利益を追うことなく、将来の強調関係を選択すべし。
そうしないと、相手の一度の裏切りが果てしない報復合戦を呼び起こしてしまい、長期間の泥沼の悪循環の
果てに共倒れになってしまうことになる。
かくして、コンピュータ・シミュレーションの中でも「協調」行動は生き延び、繁栄していったのである。