「宋名臣言行録」
丹羽隼兵 PHP研究所 1995年2月
ヤフーbooks 書籍紹介より
歴代中国の統一王朝の中で、唯一の「弱兵・経済大国」宋王朝。
創世期の名相趙普、異例のスピード出世で知られる呂蒙正、
新法派・守旧派の熾烈な権力抗争を生んだ王安石と司馬光…など、
現代の日本同様、文官優位の時代にあって、
宋は名臣と呼ばれる数多くの人材を輩出してきた。
『貞観政要』とならぶ為政者の必読書として知られる名著を繙き、
現代における経営者・管理者の要諦を学ぶ。
上司のI常務から渡されて読んだ。
どうも漢文は苦手である。
これは学生時代からのこと。
ただ、この本、丹羽さんが注釈を入れてくれて読みやすくはなっているものの
ちょっと違うんじゃない?と思うところもいくつかあった。
淡々と書いてくれたほうがよかった。
いろいろな名臣がいるなあ。
みんながみんな清廉ではなかったようで酒飲みもいるし、派閥抗争もあったようだ。
しかし名臣は本当に国のことを思い君主にしっかり意見を述べており
また帝もそれを取り入れていた。
残ったものを書き記しておく。
・喜怒をもって賞罰をするな(趙普)
刑をもって悪を懲らし、賞を持って功に報いるは、古今の通道なり。
かつ刑賞は、天下の刑賞にして、陛下の刑賞にあらざるなり。
あに喜怒をもってこれを専らにするを得んや。
・部下の呼び方ひとつで……(曹彬)
小吏に接するにも、また礼をもってし、いまだかつて名をもって呼ばず。
・宰相には読書人を(竇儀)
すなわち学士陶穀・竇儀(とうぎ)を召す。
奏して曰く、蜀の少主、かつてこの号あり。
鑑は必ず蜀中の鋳るところならん。
上、大いに喜ぶ。
よりて嘆じて曰く、宰相となすは、すべからくこれ読書人なるべし。
これより大いに儒臣を重んず。
・目の粗い網をかぶせよ(呂蒙正)
幸門は鼠穴のごとし。
なんじこれを塞ぐべけんや。
ただその尤なるものを去りて可なり。
?工(こうこう)・楫師(ゆうし)まことに少しく販鬻(はんいく)することありとも、
ただ公を妨げなくば、必ずしも究問せざれ。
官物の入ること、捐折(えんせつ)に至るなきを冀(ねが)いて可なり。
(解説)水運の従事者に、官の積荷を抜き取って横流ししていたものがいた。
太宗は少々くすねるからといって、公務を妨害することにならない限り厳しく追求するなとの指示。
小人の密告も取り合うなということとも通じる。
今のコンプライアンスの時代ではとても許されないだろうが、こういうおおらかさもいいと思う。
粗い目と細かい目の網の使い分けは、時によって必要。
この時代は宋朝の諸施策がようやく軌道にのりかけた頃であった。
・聖人君子にも弱みあり(王旦)
王旦は非常に優れた宰相であったのだが、帝が余計なことを考えてしまった。
なんと妾を買ってやれということで無理やり押し付けた。
そういう欲はゼンゼンなかった王旦であるがやむなく承知。
それ以来、王旦はみるみる体力が衰え、わずか数年先にはこの世をさることに。
また装飾品にも色気を持ち出す始末。
まったく余計なお世話というものである。
この話しが非常に強く残ったなあ。
・賢人は何を恐れるのか
人間の社会的地位は、登山とよく似ている。
登山では、登頂するだけではなく、無事下山して初めて成功。
高位の人ほど、退くタイミングが難しい。
現在でも、下りそこなって醜態をさらしている御仁がまま見受けられる。
・ゆるやかで簡素な行政。(欧陽修)
放恣をゆるやか、手抜きを簡素とするなら、行政は滞って、人民はそのしわよせをこうむる。
心がける行政とは、過酷な押し付けをしないこと、
簡素な行政とは、煩雑なたらい回しをしないこと。
欧陽修は、いくつかの群の知事を歴任したが、業績や評判などは気にかけず、
ゆるやかで簡素な行政をもっぱら心がけ、人民に慕われた。
欧陽修は役人の能力ややり方がどうであろうと、人民から慕われる役人がよい役人だとも言っている。
・君子は智名なく勇功なし(范鎮)
退官した後、名声が高まっていることを憂いての発言。
「君子とは、意見を聞き入れられ計策は採用されて、天下の憂患は芽のウチニつみとるもの、
したがって、人々はその恩恵に気づかず、巧名を云々されることもない。」
「孫子」軍形篇にも「善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし」とある。
真の戦上手は、勝ってもその智謀は人の目につかず、その勇敢さは人から賞賛されることもない」
・地位に対する考え方(范鎮)
范鎮は、高位にあって人望も厚く、宰相の地位も目前というところで、進言が入れられぬからと言って、
あっさり職を投げ出し、以来二度と出仕を肯(がえ)んじなかった。勇なき者にこんなまねは決してできない。
以下の話しはちょっと違うと思う。
筆者のレベルを疑問視する。
昇進の内示を受けた際、
「これより上のポストに就くと、仕事に追われて趣味の鮎つりをする時間がなくなる」
こう考えて、結局辞退したという。
これって「釣りバカの浜ちゃん」じゃないの。
自分の使命感というものがないので私はこういうスタイルはいいとは思わない。
こういう人がいることは認めるが。
・小人の言に耳を貸すな(呉育)
小人の内部告発には耳を貸すなということ。
この趣旨のことは別のところでも書いてあり、印象に残った。
・水清ければ魚住まず(呂蒙正)
「水清ければ魚住まず、というように、人間もあまり厳格すぎては、人が寄ってきません。
だいたい、小人の腹のうちなど、君子にはすべて読めるもの、大きな度量をもって包容することで
すべてはうまくおさまる」
・学問する6つの目的(司馬光)
即位間もない神宗に上奏
精神修養のポイントは3つ
仁義を会得すること
明察力をみがくこと
威厳を身にそらえること
また治世のポイントは3つ
公平な人事を行うこと
信賞であること
必罰であること
(おまけ)
自己実現道場のやりとりから
2006.10.4
S>私が譲れない部分だったので、ストレートに表現しました。
S>キツイのは覚悟の上でした、スミマセン。
S>ご理解いただきありがとうございました。
Sさんの短い返事が嬉しかったのは当然ですが。
今回素直に反省できた理由は、
上司からこれを読めということで
「荘名臣言行録」 丹羽隼兵 PHP文庫
を読んでいたからかも知れません。
諫官(かんかん)が何度も登場します。
中国の高位高官の職位。帝の過失を諫める官職
死を賭して主君に忠言する。
嘘をつけない人であり,無私の人そのものある。
私は何も帝のつもりではないですが、
的確な忠告が目を醒ます。
Sさんのストレートな表現は諫官そのものであったように感じました。
それですーっと反省した次第であります。
・諫言あって名君あり(司馬光)
というのがありました。
・諫言と誹謗の違い
というのももあり。