「東芝原子力敗戦」

  大西 康之 文藝春秋



   

内容紹介
米原発メーカー買収をきっかけに、解体の危機へと追い込まれた東芝。
経産省の思惑、国策にすがる幹部、暴走する原子力事業部員の姿を、社内極秘資料を元に描く。
『文藝春秋』等掲載に加筆修正して単行本化。


本書への情報提供者は、サラリーマン全体主義にうんざりして立ち上がった勇気ある人々であり、
彼らがいなければこの本が生まれることはなかった。
 → 生情報を得てなければ決して書けない内容が多々あった。

☆WH買収の入札は3度行われた

これは知らなかった。2回が普通。最初は冷やかしの会社をハネルためで、2回目が真剣勝負。
東芝はこれを約2700億円で落札していた。
しかし数日後WHから三菱が大幅な積み増しをしたいということで3回目を実施することに。
これはフェアーじゃないんじゃないかな。
このおかげで6600億円にまで膨れ上がったたのは三菱も悪者ではないだろうか。
東芝にはこの事実は気の毒ではあった。


しかしこれ以降も佐々木社長となって次々に海外企業の買収を行い失敗の連続。
東芝社内で「のりピーの買い物依存症」と揶揄されていたらしい。


(則夫の「のり」に、東芝の社内用語で「社長」を意味する「P=プレジデント」をつけて
「のりピー」)

東電のスマートメータがらみでランディス・ギアを買収したが、仕様が合わずに失敗というのは
こんなとこまで手を出して悪あがきと映って見えていた。

ガバナンスは一体どうなっていたのかと信じられない思いであった。

P133 東芝の原子力事業部門がかなり早い段階から(遅くとも2013年には)WH減損を「避けられないもの」と認識していた。
普通の会社であれば、その認識は経営トップも共有していたはずである。
にもかかわらず、経営陣は原子力事業への投資を続けた。
ウラン鉱山、フリーポート(LNG)への出資や、
後に触れるS&Wの買収である。
損失を隠蔽するために、新たな損失につながるリスクを知りながら投資をする。
これは背任ではないか。

・WH社のS&Wの買収は「毒を食らわば皿まで」(P177)に書かれているが
 係争中の訴訟が明らかになることによろWHの減損問題が大きくクローズアップされるのを避けるために
 ボロボロのS&WをCB&I社から買収して黙らせたものであり、これって本当に背任にあたるのでないかと
 思ってしまう。
 これが新体制になってから行われたのだからガバナンスがまったく効いていないではないのか。



●チーム仙石
経産省の今井秘書官、嶋田氏は名前をよく聞いていたが、仙石氏とは同期入省の仲であったことを初めて知った。


・原発事故の収束以外で喫緊の課題は東京電力の処遇だった。
決算の期末となる3月末が近づいていた。
すぐいにでも資本を注入しなくては、東電は債務超過に陥って倒産してしまう。
それでは被災者への賠償をする主体がなくなる。
公的資金の注入で東電を実質国有化し、存続させる方針が決まった。
仙石はそのために原子力損害賠償機構を立ち上げ、事務方のトップである事務局長に
経産省の嶋田隆を充てた。嶋田は当時、与謝野馨経済財政担当の秘書官をしていたが
仙石が与謝野に頼んで1本釣りをした。
仙石は嶋田と同期の経産官僚、今井尚哉と日下部聡にも声をかけた。
今井は当時、経産省資源エネルギー庁の次長、日下部は内閣官房国家戦略室に出向して審議官を務めていた。
1982年入省組の3人は「仙石3人組」と呼ばれた。


・志賀重範会長の再婚
 WHのお目付け役として送りこまれた志賀だったが、WHの経営陣を全く制御できなかった。
「せめて英語だけでもなんとかしたい」と考えた志賀は、現地で英語と日本語に堪能な通訳兼秘書を募集する。
採用されたのは、Fという女性だった。
志賀は重要な会議や出張にも必ずFを連れていくようになり、
やがてFはWHの中で「秘書以上の存在」になった。
二人は結婚し、米メジャーリーグ、」ピッツバーグ・パイレーツの選手が隣人という豪華マンションで
華やかな新婚生活を始めた。
志賀は既婚で3人の子どもがいたが、ピッツバーグに赴任する前に離婚しており、
Fとの結婚に問題はない。
だが、Fの振る舞いには問題があった。
英語が堪能なFは(エッツ日本人だったのか…)WHの生え抜き経営陣と親密となり、
WHにとって都合のいい話を志賀に吹き込むのであった。


●デロイト・トーマツの粉飾指南
 → 高い倫理観を持っているはずの会計士が、なんと新日本の監査をするぬけるためのコンサルティングをして高い報酬を得ていたとは
   絶句であった。
   監査役としてトーマツの会計士さんと付き合ったが、その会社のトップと思しき連中がこんなことをするとは信じられない気持ちだ。
   トーマツの方の声を聞きたいと思っている。

 東芝はWHの減損問題で核心に迫ろうとしていたE&Yの目を逃れるため、デロイトに頼った。
 東芝は陰でデロイトを知恵袋として、監査法人E&Y、新日本と戦っていたわけだ。
 メールからは、監査の手法を知り尽くしたデロイトが、E&Yと新日本がが崩せない「工作」を、
 東芝の財務部に授けていく様子がうかがえる。
 
 ・2012年の夏にはデロイトがDS社関連のデータが入ったUSBメモリを紛失する事件まで起こしているが不問としている。

 新日本の関係者は、デロイトの存在を知った後、「それで合点がいった。東芝の財務部だけであんな巧妙な粉飾ができるわけがない」と
 怒りをあらわにした。
 デロイトの名前は、ほとんど報道されなかった。
 当局からの処分も受けていない。
 そして驚くべきことに不正発覚後も、東芝のデロイト依存は続いている。
 現在、東芝監査委員会の委員を務める佐藤良二は、2007年から2010年まで有限責任監査法人トーマツの包括代表、
 シニアアドバイザーを務めていた。
 佐藤は東芝社長の網川が出席する記者会見はほとんど同席し、東芝を擁護する発言を続けている。


●原発メーカだから潰せない
 →さもありなんと理解

・日本の粉飾決算の歴史で屈指の、2300億円という利益の水増し規模にもかかわらず、
 東芝は上場廃止になっていない。
 ライブドア事件で同社が手を染めた利益水増しは、わずか50億円。
 それでもライブドアは上場廃止になり、創業社長の堀江貴文は、2年半の実刑判決を受けた。
 「ベンチャーは罰せられ、大企業は罰せられないのか」という評判は根強くある。
 証券取引等監視委員会委員長の佐藤賢一は、「東芝を刑事事件として立件すべき」と
 何度も検察に具申したが、検察は佐渡の任期中、ついに動かなかった。
 官邸から「東芝はまだ大きい一件を抱えている」と牽制があったからだと噂されている。
 大きい一件とは、おそらくのちに明らかになるWHの倒産のことだろう。
 WH倒産が現実のものとなった今、今度は東芝本体が倒産の危機に瀕している。
 経営の失敗は犯罪ではないが、会社に損害を与えると知りながら無謀な投資を実行したら、
 決算数値を改ざんさせたりした経営者がいるとするなら、彼らは背任に問われるべきだろう。
 経営危機と粉飾決算は表裏一体、そうであれば、刑事事件として強制捜査を進め、
 真相を解明する必要がある。
 立件を拒む何らかの圧力があるとすれば、それもまた大きな闇と言わざるを得ない。

・2016年に入り、東芝にのれん代減損問題が浮上してくると、官邸の態度が変わる。
 「産業革新機構にシャープと東芝を同時に支援する力はない。シャープはホンハイに買わせてやれ」
 産業革新機構を使った東芝救済の絵を描いているのは、内閣総理大臣秘書官の今井尚哉、
 経済産業政策局長の柳瀬唯夫ら、原発推進派の経産官僚だとされる。
 国策を担う東芝の経営危機は、彼らにとって「憂うべき国難」である。
 重みはシャープの比ではない。


●BNFLの二の舞
 本体の不振をごまかすかのように巨額買収を続けたBNFLの姿は、東日本大震災の後、
 原発推進で無謀な買収を繰り返した東芝とうり二つである。
 追い詰められた経営者は洋の東西を問わず、華やかな買収で内側の腐敗を隠そうとする傾向がある。
 案の定、巨額買収で負債を膨らませたBNFLは資金繰りに行き詰まり、2005年7月にWHの売却を決意する。
 東芝はWH買収から10年で同社を持ちこたえられなくなったが、BNFLは約7年で音を上げていた。
 BNFLは2009年までに解体され、主要な事業部門は他社に売却された。
 英国は原子力の要素技術を保持するために国立原子力研究所を立ち上げた。
 原子力事業の国有化である。
 BNFLがたどった道は、東芝の将来を暗示しているようにも見える。


●東京電力
 → 東京電力のことについても後半に若干触れられている。

・福島第一原発事故の後、実質国有化されている東電が、中部電力よりも格上というのはおかしな話だが、
 自己を客観化できない東電守旧派は、未だに「我々が電力業界の盟王」と思い込んでいる。
  (JERAの設立に関して)
   
・東電を頂点とする絶対的ヒエラルキー
 原子力業界の技術者には、東電を頂点とする絶対的ヒエラルキーがある。
 東大工学部で原子力を学んだ中で、一番優秀な学生は東電、その次が「東電の正妻」といわれる東芝、
 そのまた次に日立や三菱重工が入る。

 → まさに私の同級生では6名が東電、4名が東芝に入社している。
   苦笑である。

・川村さんは先輩??
 → えっ、原子力工学科卒だったのか??
   
東電にとっては最大の経営課題は、福島の廃炉である。
 それを考えると、東大工学部で原子力を専攻した川村の知見は捨てがたい。
 數土は川村一本に絞り、説得を始めた。

 → 同窓会名簿で調べてみたら名前はない。
   ウィキペディアで調べたら
   1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。
   専攻ではなく研究テーマだったのだ。


●田窪
プロローグでいきなりこの人の名前が出てきてきょとんとしたが、
東芝の原子力政策のフィクサーだった男である。
初めて知った。
東芝電力システム社の首席主監(チーフ・フェロー)
田窪が率いる原子力事業開発営業部は、原子力事業部がある本社27階の1つ上、28階にある。
社員は人気アイドルグループAKB48をもじって、田窪部隊を「TKB28」と呼んだ。

プロローグでも述べたように、欧米の経済犯罪は、主に個人の利益を目的に実行される。
日本の経済犯罪は「会社のため」に行われることが多い。
東芝破綻の原因を作った原子力事業の暴走。
その中心にいた田窪や、国策として「原発パッケージ型輸出」を推し進めた今井は、
それによって私的経済的利益を得てはいない(得ていたら犯罪だが)。
田窪は「会社のため」、今井は「日本のため」になると信じて減私奉公したのだ。

「悪は悪人が作りだすのではなく、思考停止の凡人が作る」by アーレント (「ザ・ニューヨーカー」)
ナチスのホロスコープという人類史上最悪の残虐行為を引き起こしたのは、
アイヒマンを含む「思考停止した凡人たちだ」と主張した。
アーレントが言う「凡人」にはナチスの暴走を見て見ぬ振りをした一般のドイツ人や、
ホロスコープに協力したユダヤ人も含まれた。

 → まったく同感である。
   これこそ失敗の本質である。
   マズローの5段階欲求の2番目の安全欲求に関する不適切行動に
   「変化を恐れる保守性」「権威への無意味な恐れ」「思考、行動の停止」
   がある。
   それにしても苦笑したのは田窪が勉強会もよくしていたのだが
   教材には第二次世界大戦での日本軍の敗戦を組織論で分析した
   『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』や、
   オリンパス、大王製紙、ライブドア、カネボウなどの粉飾事例を取り上げた
   『最近の粉飾 その実態と発見法』だった。
   
このところを読んでいてK相談役のことが浮かんだ。
昔、私自身がK社長に言った言葉を思い出した。
「K社長は会社のことでなく日本のことを考えているんですね」と。
田窪も今井のレベルとはまったく違うレベルの壮大なものに感じていた。
それは筆者の大西さんが原子力の推進にかける土光社長の思いに感じたものと同じと思った。


●官僚は責任を取らない
官僚が企業経営に介入することの問題点は、官僚の匿名性にある。
官僚とは国家試験に合格した公務員であり、国民に選ばれた議員や株主に選ばれた取締役のように、結果責任を問われない。
すでに東芝の歴代3社長と二人の財務担当役員は、古巣の東芝から32億円の損害賠償を請求されている。
議員の失敗が明らかになると落選する。
しかし、官僚は犯罪や不祥事を除けば、どんなに失敗しても個人の名前で責任を問われることがない。
「国のため」と言いながら無責任に大きな絵を描き、失敗のツケは企業や国民に押し付ける。
東芝という140年の歴史を持ち、19万人の雇用を抱える名門企業を吹き飛ばしたのは、
紛れもなく「原発輸出」という「国策」である。
西室も西田も佐々木も「土光」になりたかった。
そのために「国策」の遂行に躍進した。
しかし、土光は国にへつらって経団連会長にしてもらったわけではない。
土光が土光たりえたのは、
「国を支えるのは自分たち経営者である」という強烈な自負があったからに他ならない。
土光なら、官僚の誘惑など言下にはねつけたはずである。
土光なら、自分の部下に粉飾決算などというしみったれたマネをさせることはなかったはずである。


◎ テスラの思い
 →東芝の経営者との対比で最後の最後に書いていた
 
 テスラにも厳しい時代があった。
 2012年頃、開発費がかさんで資金不足に陥った。
 昨日まで無料だったミネラルウォーターが1本1ドルになった時、多くの社員が「危ない」と感じた。
 その時、南アフリカ生まれのCEO、イーロン・マスクが、1本のメールを社員に送った。
「あなたの上司のためではなく、人類の未来のために働いてください」
 マスクは地球温暖化による人類の滅亡を危惧し、一刻も早くガソリン車を地球上から消し去ることを目的にテスラを興した。
 経営が厳しいとマネージャーの思考が止まり、目の前のコスト削減に走ってしまう。
 会社が生き延びるためには必要なことだが、
 マスクは「こんな時こそ何のために俺たちがここにいるのか考えよう」と呼びかけたのだ。
 「身も心も会社に捧げろ」というサラリーマン全体主義は、思考停止の凡人を量産する。
 今や日本の大企業はアイヒマンだらけである。