「この国の失敗の本質」
柳田 邦男 講談社
これも「失敗100選」の参考図書から読んでみたが、非常によかった。
柳田邦男さんは有名だが、この本を読んで、息子さんが自殺を図ったという心の傷を持っていることを
知った。
そういう人だから(というのは私の経験からのひとつの気づきだが)、感情というか強い想いがはっきりと
出ていると感じ、そしてその主張に共感するのである。
ここが一番心に残った。
p338
ところで、私は25歳だった次男が自ら命を絶つという事態を経験した。
息子が心の病になってから、私は「自分殺し」を真剣に考えるようになった。
河合隼雄氏の言う「死と再生」の道程の真っ只中にいると思っている。
子供というのは自立していくときに「親殺し」をしなければならない。
ファザコン、マザコンにならず、他の誰でもない一人の人間として生きていくためには、
精神的に親を殺さなければ自立できないからだ。
幼いときは十分甘えられる関係が不可欠だが、思春期あたりから「親殺し」をしていかねばならない。
この点では自然界の動物の方が、人間よりもはるかに賢明だ。
小鳥は巣立つとき親に砂をかけて出て行く。
それを親は平然と見ている。
一方、親は同じ時期に「子殺し」をしなければならない。
子離れだ。
現代の若者の若い母親は子どもベッタリになりがちで、相互依存関係が強すぎていろいろ問題が起きている。
詩人の長田弘氏があの「鳥」という小さな文章の中で鋭く語ったようなことが起きているのだ。
このような「子殺し」「親殺し」ばかりでなく、おとなたちは「自分殺し」を行う必要がある、と私は考えている。
「自分殺し」とは何かと言えば、自分を対象化して、自分の価値感を洗いなおすことだ。
今まで生きてきた価値感は上昇志向オンリーではなかったか、
「カネ信仰」ではなかったか、あるいは「優越主義」で人を見ていなかったか、と。
そういう内省的な眼で自分覇離れができれば、何か違った自分を発見できるかもしれない。
そうなれば、日本人の欠陥遺伝子が修復され、日本人の国民性あるいは精神的風土が変わるかも知れない。
T 「私のいのち」は誰のもの
医療関係。患者本位ではなく自分本位(研究、業績)の医者が多いことを嘆き、糾弾。
「これは大変だ」と感じない権威主義。(エイズ安部教授の例)
公害に対しても問題の先送り、不作為を糾弾
公害や薬害に対する行政の対応は、被害者が出ているという厳粛な事実から出発し、
「疑わしきは規制する」という原則を確立せねばならないと説く。
聞くシステムを ⇒ 聖徳太子は同時に7人の言うことを聞き分けたという
精神科医やカウンセラーは葛藤や落ち込みを克服する名案をいろいろ持っていて、それらを患者の状態に
応じて使い分けて助言する専門家だと、一般には考えられているようだが、それは誤解もいいところだ。
もちろん助言することもあるのだが、基本は患者本人が自分について素直に語れるような状態を作り、
その話しを誠心誠意聞くことにある、と言ってよい。そして、長い長い時間をかけて患者の話しを聞いているうちに、
たとえば自分のつらさの原因を、はじめは誰かのせいにしていた患者が、しだいに自分の痛いところへ目をむけるようになり、
考え方を変える必要に気づくということになる。
そういう場合に、精神科医やカウンセラーは、自分が直してやったのだと錯覚して、てんぐになったりしてはいけないと
いう心得を持つようにしているという。
患者が自分で治したのを手伝っただけだというのである。
→ このあたりは息子さんのことでいろいろな精神科の先生とお会いしたことがうかがわれるところである。
・薬害の再発防止
「誰がやったのだ」という発想ではなく、
「なぜ起きたのか」という発想が基本になってくる。
「なぜ」に対する解答を導き出すには、システムの欠陥分析の視点と方法が必要になる。
そして、そういう分析の結果として浮かび上がってくるものは、たんなる背景要因ではなく、
むしろ真の原因であることが多い。
・日本の官僚の不作為
日本の官僚は無謬性を暗黙の前提にしているため、ことなかれ主義に陥りやすく、いったん決めた施策や
方針を、後任者が取り消したり変更したりするのは困難な体質がある。
このことなかれ主義は、官僚をして、成り行きを見守るだけという静観の姿勢をとらせ、
ひいてはとるべき対策を考慮しないという「不作為」の失態を犯すことになる。
薬害エイズ事件で、非加熱血液製剤の回収や二次感染を防ぐための告知の指導などの積極的な対策を
とらなかったのは、まさに日本型官僚の「不作為」の典型というべきだろう。
U 大災害と共存の条件
・関東大震災の際にいち早く情報発信したことによって各国の援助が直ちに受けられたことは知らなかった。
神奈川県警森岡二朗警察部長が多数の避難民を率いて東京湾に泳いで逃げた
そして、貨物船に救助され船舶無線を使って大阪府知事宛に横浜市全滅の第一報を打電。
これを福島県太平洋岸にある磐木無線局の当直電信技師米村喜一朗氏が世界に伝えるべきニュースと判断して
アメリカ西海岸のRCA(Radio Corporation of America)ロサンゼルス局に当てて短い電報を打った。
そしてRCAからAP通信に伝えられ12時間後には世界各国に伝わった。
そして全世界から救援がただちに行われたのであった。
◎災害発生の情報を速やかに世界に伝達することの重要性
◎国際的な救援活動の重要性
・本当の意味での専門家は、現場を最大の教科書として、学び続ける人であろう。
法律や規則や役所が作った災害対策の中には真実はない。その意味では、記者やジャーナリストが
災害地に取材に入って直感的に感じる素朴な危機感の方が、むしろ正しい場合が多いように思える。
→ 手前みそのような感もうけるが、柳田氏は本当に多くの災害現場に行っているのである。
災害に当たって、今一番求められているのは、予測を超えた事態へのイマジネーションである。
→ これは正しいと思う。
・災害のなかの女性問題
この文章は読んでショックだった。
「ウィメンズネット・こうべ」が編集した「女たちが語る阪神大震災」(木馬書館)からの引用。
日本の社会がいかに「会社」中心であったか。
震災から1週間も経たないうちに大阪市内に単身者用の住まいを用意して、夫たちを単身赴任させ、
いまだに余震が続く被災地に家族を置き去りにしたのも会社。
男たちは交通機関が寸断された中を10時間近くもかけて何とか会社に出かけて行き、
そのまま会社で泊り込みをして何日も帰ってこない。…
取り残された妻たちが精神的、肉体的にどんなに大変な生活を強いられ、不安に苦しんだか。
停電のためエレベータの使用できない高層マンションの水汲み作業は、どんなに重労働だったことでしょう。
余震の続く中、独りぼっちで家に残された不安感から体調を崩した女性も多く、
通じない電話の前に何時間も坐り続けていた女性の話しも印象に残っています。
特に幼い子どもを抱えた母親たちには、自分自身の不安感と同時に母である自分が子どもを守らなければいけないという
プレッシャーも強かったようです。
そのために幼児虐待に近い状態もかなりあったようでした。
最近若いお母さんたちから、せめて1週間の震災休暇を夫たちにとって欲しかったという声を聞きます。…
現代では、いったん災害という状況に置かれるや、男たちは家の被災状況や家族の状況などおかまいなしに
会社の業務命令に従わざるを得なくなる。
そして報道の表面に映し出されるのは、復旧作業に全力を注ぐ男たちであり、会社のために大行列にもめげず
電車やバスを乗り継いで出勤する男たちなのだ。
→ 対照的なのが先日話しをきいたアメリカの対応。
カトリーナで原子力発電所を泊り込みで守った社員の家族には、遠方の安全なホテルを与え
社員に安心して仕事に打ち込めるようにしていたことであった。
こういう配慮はしっかりできるようにならないとダメだと思った。
V 効率追求社会の事故と人間
・生活診断法
三池炭鉱事故の患者を追ったレポート
熊本大学遺伝医学研究施設疫学部教授 原田正純氏 著
「炭じん爆発 三池三川鉱の一酸化炭素中毒」(日本評論社、1994年 16480円)
被害者と家族は障害そのものに苦しむだけでなく、社会的に侮辱されるという二重の苦しみを味合わされるのだ。
原田氏あとがき
(この本に書くだけの仕事ができたのは)私が医者であったと同時に、だれよりも医者以外の人に恵まれて
いたからである。もちろん、人に恵まれるのは研究室のなかに坐っていてできるものではない。
水俣病でも、三池炭じん爆発によるCO中毒でも、私はそれを単なる症状群としてでなく、
病める人間として、さらに人間をとりまく人々、社会の病態としてとらえようとして診察室や研究室から
飛び出していったからだと思う。
・ハイテク時代こそ人間中心の発想を
コンピュータ導入で自動化が進んでいくときの人間の能力とは?
人間の徳性は総合判断と創造性だと思います。しかし、これまでの機械システム開発の歴史を振り返ってみると、
性能を上げることを最優先してきました。機械システムの革新に人間はやっとの思いでついてきた感があります。
そのため、人間がもっとも不得意とする「単調労働」が増えてきたわけです。
なかでも機械を見守るというモニター労働に人間を押し込んできたわけです。
システム開発に携わる技術者は、たいていが工学的発想で機械優先の設計に陥りがちでした。
これからは、機械システムのなかで働く人間のいきがいや意欲を考えて、技術開発しなくてはいけない。
数量化できない人間的な部分を設計に組み入れていかなくては、設計技術者の自己満足に終わってしまいます。
いくら自動化が進んでも、そこで働いている人間が退屈であっては事故の誘因になりかねない。
現実に、退屈だから、ちょっと変わったことをやってみようとして起こした事故もあるのです。
これからの自動化は、人間の総合判断力を優先して、単調なモニターは機械に任せていくというように、
これまでの発想を逆転しなくてはいけません。
W 現代に通じる失敗の本質
このところ続発しているエリート官僚や企業幹部の不祥事における当事者たちの対処法や行動原理は
半世紀余り前の帝国陸海軍のエリートたちと本質的に変わっていないなと実感するのだ。
その意味で、この国の指導層はいまこそ戦争の時代の大失敗を総復習する必要があると思う。
・ゼロ戦コンセプトの成功と失敗
注目しなければならないのは、機体の強度や防弾ということが設計仕様に入っていないことです。
どういう戦闘機を作るかというコンセプトの中に、機体強度も防弾も入れられてなかったのです。
それはパイロットの命を守る対策が二の次にされたことを意味します。
これに対してアメリカ海軍の艦船は、すでに日米開戦前に実戦配備されたグラマン社製のF4ワイルドキャットの
ときから、機体強度と防弾を重視したものになっていました。
そしてF6Fは防弾が絶対落とせない性能要求であった。
@ アーマー・プレイトというパイロットの背後を守る鋼板
A 燃料タンクを防護する技術で、弾丸が貫通しても燃料が漏れたり、発火しないようタンク周りをゴムでシーリング
パイロットが戦死すると飛行機を一機失いよりも大きな財産を失うことになる。
日本軍はこの発想がなかった。
アメリカは空中戦が大規模に行われるところには必ず救助のための潜水艦を配備。
空中戦の後も不時着して漂流しているパイロットがいるはずだということで、
飛行艇や偵察機で捜索し、見つけると救助。
パイロットがどんどん失われていく日本に対して、アメリカはどんどん救助されて復帰する。
戦争が進んでいくとこの差がはっきりと出た。
ゼロ戦とF6F戦闘機のどちらがいいかという問題ではなく、
どういう戦闘機を作ろうとするのか、フィロソフィーが違う。
アメリカは、重量は重くなってもパイロットや燃料タンクの保護をして、その代わり、エンジンのパワーを
つけてやればよいという従来からの設計方針を変える必要は感じなかった。
「もっと、もっとパワーを」それが勝利につながった。
・資源の有無の差はあった
マクロ経済的な目でみても、日本の設計思想としては、極めて限られた条件の中で意味を持つパラダイムによる
性能追求でしかなかった。こういうことは今日の日米経済戦争あるいは技術開発競争などを見ても、よく感じることです。
日本は日本の社会の中で、あるいは日本の技術思想のなかで、高品質、高性能のものを作ったけれど、
しかしそれは本当にアメリカや世界のなかでも通用する評価なのか。
どこかひとりよがりの落とし穴があるのではないか。
何かあるひとつの前提条件のなかで、これで世界一だ、世界のマーケットを席捲したんだなどと思ってあぐらをかいていると、
とんでもないことが数年のうちに起こるのです。
・精神主義対科学的合理主義
日本軍は隊員に、とにかく肉弾で突っ込めと命じていたのに対し、米軍は数理統計、物理学、そういったものを導入して
極めて合理主義的な考えでそれに対処していったという対比です。
こういったアメリカの科学主義・合理主義に基づく作戦展開を、精神主義を吹き込まれた当時の日本の若者たちは
知る由もありませんでした。
アメリカの海軍歴史資料センターに行き、いろいろ当時の記録を調べてみますと、
「Anti-suicide Action Summary」つまり「自殺行動に対する作戦の概要」というタイトルの戦闘報告があります。
それらの記録資料を見ますと、そういう分析が詳細に書いてあり、特攻機一機一機がどのように突っ込んできて、
それをどう避けたかというのが記録写真つきで詳細に報告されています。
そこに私は、日米の精神主義と合理主義の違い、あるいは戦略・戦術策定の基盤となるパラダイムの違いを、
まざまざと見せつけられる思いがしました。
・ミッドウェー海戦
図上演習とは、作戦遂行にあたって直面するであろう障害を見つけだして、それを克服する方策を考え、あるいは、
最悪の場合でも成功の可能性があるかどうかを検証するために行うものである。
重大な障害が生じたとき、それでは都合が悪いからといって、その障害を「なし」にするのでは図上演習の意味が
なくなる。
太平洋戦争全体における主要な作戦の準備経過を見ると、作戦策定において、敵の出方を自分の都合のよいように
設定するというのは、日本海軍における体質あるいは通弊になっていた。
…
勝者を滅ぼすものは、外敵よりも内なる慢心であることを歴史上の数々の興亡物語は教えているが、日本海軍も
ミッドウェー海戦でまさにその轍を踏んだのだ。
…
リーダーたる者は、ひとつのプロジェクトの決断を下すときには、予想されるリスクに関し、無視しうるか得ないかを
可能な限り検証しておく責任があるのだが、ミッドウェー作戦では、それが欠落していたのだ。
淵田、奥宮両氏の「ミッドウェー」は、他の文献と共通する問題点以外に、
@ 戦争指導者の無定見
A 国民性の欠陥
を重視し、特に「国民性の欠陥」の具体的中身としては、
「合理性を欠く。セクショナリズムで視野が狭い。因襲から容易に抜け切れない。すぐに思いあがって相手を見下げる」
といった点を指摘している。
・現場で考える重要さ
御巣鷹山慰霊登山途中の石碑 1994年アメリカ国家運輸安全委員会(NTBS)委員長の言葉が刻まれている
<御巣鷹の尾根登ザンで、私は霊感を受けました。
途中、私たちはいつも沢沿いに登りましたが、私には、なにか水の流れが、私たちに語りかけ、
登山を励ましてくれているような気がしました。
そして私たちの願いは、あの御巣鷹の尾根で、又、他の7つの大陸の全ての墜落現場で、
亡くなられた方々への想いが、こんなことを二度と起こさせまいとする私たちの努力に、
いつまでも力を与えてくださることです>
・カリスマ支配の怖さ、ナチとオウム
ナチス・ドイツに先を越されては大変だという理由で亡命ユダヤ人科学者たちがアメリカで原爆開発を提案。
20世紀の経験を通して明らかになったのは、科学も科学者も無条件で賛美される対象でなくなったということ。
科学者がただひたすらに研究に専念していれば、人間の幸福につながる成果が得られるのだというのは、
現代では妄想に過ぎず、科学者が国家とかイデオロギーとか宗教の要請に応じて、自らの専門性を発揮しようとすると、
その努力は人間の殺傷という「悪の華」さえ生みかねない危険な時代になったのだ。
科学者ひとりひとりが、「こういうことは人間としてしてはいけない」という自己抑制の意識を持たねばならない。
・福祉汚職の構造と官僚の価値感
薬害エイズ事件と福祉汚職は、見かけ上の構造は違うように見えるが、根源的なところでは、今の時代ならではの共通性がある。
今の時代とは、戦後半世紀にわたってモノトカネの成長を目指して、ひたすら努力してきた日本人の到達した時代
(バブル経済の時代はそのクライマックス)という意味だ。そして、2つの事件の根源的な共通性とは、
権力を握った官僚の行動の根底にある「価値感」の問題を指している。
官僚の行動の指針となる「価値感」
官僚は戦後間もなく新憲法が作られたとき、公僕と呼ばれた。
国民一般の立場に立ち、国民一般のために公務を遂行する僕(しもべ)という意味だ。
しかし、日本の社会が経済成長に向かって走り出し、モノとカネばかりを肥大化するにつれて、
官僚の意識のなかからは公僕という文字は消え、立身出世が価値感の中心を占めるようになってしまった。
官僚は国会議員や会社社長や団体理事長などになるための特定席になった。
会社や団体に「天下り」すると、十年間の役職報酬と賞与の総額は、官僚30年の給与総額を上回るという魅力。
・戦後システムを立て直す必要条件四つ
(やわらかい権力主義)
審議会などの座長とメンバーを選ぶのは、諮問する側の官僚自身であって、官僚の意図する結論をひっくり返すようなメンバー構成にはしない。
このようにして官僚は、政策立案にはいつも民意を反映させているという民主主義の仮面をつけていることができる。
だから、官僚による権力の握り方というのは、往年の軍部のような、軍服を着た剥き出しの暴力的なものでなく、紳士服を着たやはらかいもの
−「やはらかい権力主義」と言うべきものなのだが、そのシステムは実に巧妙に出来ている。
(チャレンジャー爆発事故)
1986年のスペースシャトル・チャレンジャーの爆発事故に対して、大統領直属の特別調査委員会が組織され、NASAの意思決定機構を
はじめとする組織の欠陥が徹底的に解剖されて、NASAのトップや幹部の更迭や組織の大幅な改革が実施された。
日本の政府は事件や失敗が生じたとき、調査しないのではない。
一応調査はするのだが、
@ 自らが解剖台に乗らねばならない立場の省庁が調査の指揮をする場合が多い(被告が裁判官の席に着いているといえる例さえある)
A 関係省庁の意思決定過程やその機構の欠陥が分析されることはほとんどない
B 関係者とくに組織の幹部の責任が問われるようなところへは踏み込まない
というはっきりとした傾向があり、結局、官庁はあのミッドウェー海戦で大失態をした連合艦隊と同じように安泰でいられるのだ。
このような傾向の背景には、証言というものに対する個々人の姿勢の問題もある。
アメリカ社会では、事件の関係者が自分の判断と行為についてきちんと証言しないと、人格が疑われるのに対し、
日本の社会では、うっかり事実を証言し、ムラ社会の親分や仲間を傷つけるようなものなら人格を疑われ、
そのムラ社会で生きていくのが困難になるのだ。
◎ 提言4つ
(1) 調査とは何かについて明確あ理念と方法の裏づけをもった「失敗の調査システム」の確立
(2) 「素人が前面に出るシステム」をあらゆる場面でつくること
(3) 情報公開の原則を確立すること
(4) 動乱の猛者よ輩出せよ
・この日本をどうすればいいか
(戦後幻想の消滅)
日本人はこの半世紀ズーっと、価値感や人間評価に関して様々な幻想を抱き、その幻想のなかで経済と生活の発展を求めてきた。
その第一は、モノを豊かにすれば人間は幸せになるという幻想であり、
第二は、中央官庁などの公的組織の要職にあるエリートたちは天下国家のために公僕として働いてくれているという幻想であり、
第三は、立派ビルを構えた大企業は堅実な経営によって発展しており、そこの社員は人格識見ともに優れているという幻想である。
結婚披露宴で 新郎がいかに一流企業の優秀社員であるか 新婦の父親がいかに一流企業の重要ポストに就いているかが強調される。
日本人の価値感の一面 (欧米のささやかであたたかい披露宴パーティと比べるとよくわかる)
・唯物論からカネ信仰へ
敗戦後、占領軍による公職追放で上の方の首が飛んで、戦中は天皇の戦士だった若い世代が、戦後社会をつくる任務を負わされた。
当時、40代、30代の世代が官僚や企業の指導者となったのだ。彼らは天皇制の下に精神主義でやってきたことが敗戦に
つながっただけに、そのやり方は間違っていたと反省した。
アメリカはなぜ強かったか、それは科学技術と合理主義だということで、囲碁、科学主義・合理主義といういわば唯物論
が幅をきかせるようになった。
科学技術の振興によって生産力を高め、モノを大量生産すれば、国は栄え人々は幸せになる、と。
しかし、科学技術というものは、人間の心とか愛とかは二の次にして、もっぱらモノに目をむける。
堅実なモノづくりは大事なことなのだが、事業売り上げが拡大するうちに、企業人は次第にモノの生産そのものよりも、
金額で表される経営指標の数字の拡大に関心の重点を移すようになった。
それは「カネ信仰」につながっていく。
それでも戦争と貧困を知る世代のエリートの大勢としては、
この国をなんとか豊かにしようとか、とにかく食えるようにしようとか、文化国家にしようといった目標があり、
たとえ私的利益を考えるにしても、生涯所得を大きくするとか、地位や名誉をいかに獲得するかといった意識が
人生観を支配するほどではなかった。
・戦後世代の価値感
生活全般にわたって飢餓感は薄れていき、よりうまい料理、より高級な衣装、より高級な住まい、
よりハイクラスのレジャー、より高い地位と名誉、より高い出世を子どもに託す教育投資、
といった欲求に突き動かされて、気がつけば、モノ信仰、カネ信仰の大行進を始めていた。
日本型企業社会においては、企業が利益を増やし事業を拡大することが、これら個人の欲求を満たすことに直結していた。
とりわけ企業の部長や役員になると、業績は数字で評価されるから、自分の地位と所得を一層上げるためには、
数字を絶え間なく大きくしていかなければならない。
こうしてカネ信仰社会は、エリートたちを数字に狂奔するべくマインドコントロールするほどになったのだ。
・長田 弘氏 「記憶のつくり方」(1997年)のなかの「鳥」という回想文
少年時代に鶸(ひわ)を飼っていたが、修学旅行の留守中に、母がエサを与えすぎたために、
鶸は食べすぎて止まり木から墜ち、死んでしまった。
母は飢えの時代を生き延びた人だった。
飢えさせてはいけないという善意で、エサを与えすぎたのだった。
長田氏はその文章の最後を、こう結んでいる。
<「ゆたかさ」の過剰も「善意」の過剰もまた、生きものを殺しうる。(中略)
それは、ほんとうは飛びたかった鳥だった。必要な飢えによって飛ぶ鳥。しかし、不必要なゆたかさによっては、
どこへも飛べない鳥だった。>
・臨床心理学者の河合隼雄氏所感(行革審議会委員)
私は自分の専門である心理療法のことを思い出した。
国も個人もよく似たところがある。
内部にいろいろ矛盾を抱えており、そう簡単に割り切った答えは出てこないのだ。
一人の人間が変わるのは実に大変である。
一人が変わるためには周囲も変わる必要があり、その間に何らかの衝突や争いがあるのは当然と考えていい。
心理療法家というのは、そのような衝突の起こるのを待つ仕事をしている。
夫婦、親子、友人などに間に火花が散る。
死ぬとか殺すとかの言葉も出てくる。
何かが本当に変わるためには何らかの「死と再生」を必要とする。(中略)
会議でもしばしば激論が取り交わされた。
これは当然のことだ。各委員が自由に発言し、総理も要所要所で切り込むような鋭い発言をした。
相当な緊迫感があったが、これも一人の人間の変わる状況に似ていた。
激しいぶつかり合いなしに人間は変わらない。>
・価値感の転換を
世紀末の今、日本は明らかに過渡期に入っている。
そのなかでわれわれは価値感の転換を迫られているのだ。
「モノ」「カネ」拡大志向から「心」優先への転換
「上昇志向」から「役割志向」への転換
多くの日本人が気づき始めている。
モノの豊かさを追うなかで忘れてきた「心」の問題と真正面から向き合い、
自分は何のために生きているのか
自分の生きがいとは何なのか
と真剣に考えるようになったのだ。
戦後「生きていてよかった」という映画があって、それが時代の言葉にもなった。
今は「何のために生きるのか」「自分らしい人生を生きているか」と問う時代になった。
しかし、生きがいとか使命感は人それぞれに違うから、自分で考えなければならない。
大変な精神作業だ。
この後で冒頭の「自分殺し」につながっている。
以 上