「友情」 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」

   山中 伸弥/著 平尾 惠子/著  講談社


 
【内容紹介】
告げられた余命は3カ月。生還か、永遠の別れか−。
大人の男たちが挑んだ極限の闘い。
2016年に53歳で亡くなった平尾誠二の「最後の1年間」を、闘病生活を支えた山中伸弥と平尾夫人が語る。
『週刊現代』の対談も収録。
 
        

第一部が山中さん
第二部が恵子夫人
第三部はきっかけとなった週刊現代の対談記事(2010年9月;未公開部分も含む)である。


第一部では山中さんはいかに平尾誠司に男として惚れていたのかということがよくわかった。

平尾流 「人を叱る時の4つの心得」
@ プレーは叱っても人格は責めない
A あとで必ずフォローする
B 他人と比較しない
C 長時間叱らない


第二部の恵子夫人の手記が印象的で涙を誘った。


平尾さんが奥さんのことを「ケイちゃん」と呼ぶのが素敵だなと思った。
50歳過ぎての妻をちゃん付けで呼ぶなんて。
さすがスマートな平尾さんならではである。

平尾さんの暗証番号は02??
なんと、恵子夫人と初めて会った日のことだったと。
これはすごいなと思った。
本当に夫人のことを愛していたんだな。


山中さんは平尾さんに憧れを抱いていて、そして対談。
すっかり親しくなったのは、山中さんが対談の後で食事に誘ったからである。
平尾さんは決して自分からはそういう誘いはしなかったので一期一会になると
恵子夫人が書いていた。

そして二人の距離を一気に縮めた出来事とは
ノーベル賞受賞後に、神戸製鋼の無理な講演依頼(講演者の日程違いがわかって急遽の要請)を
会社からの依頼で平尾さんからお願いしたら空いていると受諾してくれたこと。

「ここまでの人なんや」と主人は感じ入り、
「けいちゃん、普通、これは断るで。勉強になるわ。自分でも初心に戻れる」


告知された翌日、主人は考えた末に、
「山中先生にちょっと相談するわ」
(他の人には胃潰瘍で説明を通す)

・主人が昔読んだ「男の切れ味」(小堺昭三著)
 その本には、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門氏の言葉として、
「倒産、投獄、大病を経験しなければ一人前の経営者とはなれない」と書かれていました。
私が山中先生にその話をしたら
「恵子さん、僕もその本を読みました」と先生がおっしゃいました。
あとで主人にその話をすると、
「だから今、こういう大病をして、試されているのかもしれへんね」と言いました。
 
  (→ この本読まないといかんな)

免疫療法を選択。
これは同級生からも聞いていた。
最後の望みの綱はこの免疫療法だと。
そして幸運にも治験に臨むことになったのだが、2回で打ち切られた。
それを山中さんは非常に悔しがっていた。

治験のあとは自費でのオブジーボ療法に。

日本が強豪南アフリカを勝った直後、山中先生が病室を訪れ、
「平尾さん、頑張りましょうね。次のワールドカップは日本やし、絶対に一緒に見に行きましょう」
ベッドの上で起きていた主人はそれには答えず、ただ笑っているだけでした。
その時は、すでに覚悟を決めていたんだと思います。
できない約束はしない人だから、こんな時でもそうなんだ。
きれいごとじゃないんだ。 と胸を衝かれました。


2016年4月にはもうダメかという状態から奇跡的に復活し、
その後家族との時間も取れたようで、家で過ごして外食にも出かけている。

でも遂に9月に容体が悪化。
10月20日に帰らぬ人となった。
でもその前日にはアメリカから帰国した山中さんとも話ができているし
最後の最後まで意識があったというのはスゴイと思った。

闘病生活は13か月。
きっかけの前夜に山中さんと会食していたのも偶然ではなかったと思うと
恵子夫人は手記の最後に記している。



第三部の対談での印象に残ったフレーズ

同級生で花園で活躍していた平尾氏に憧れて大学で柔道部からラグビー部へ(3年〜5年)。
山中さんのお父さんが同志社大卒で平尾氏の大学時代も親しみを持っていた。

山中さんの座右の銘「人感万事塞翁が馬」 (私と一緒や、確か山中さんの著書でも見たっけな)

・僕が定期的にアメリカに行くのはそういう情報を掴むためなんです。
向こうの研究者とEメールやビデオ会議をするだけでは、なかなか情報が入ってこないので。
フェイス・トゥ・フェイスでワインでも飲みながら話すと、初めて教えてくれることもいろいろあるんです。



◎ チームワーク 平尾さんのこの言葉が残った
 チームワークという言葉の概念を日本人に訊くと、だいたいの人は
「助け合い」と、きれいに回答しはるんですね。
どっちかというと美しく語る。
でも、チームワークというのは、実はもっと凄まじいものやと思うです。
一番素晴らしいチームワークは、個人が責任を果たすこと。
それに尽きるんですよ。
そういう意識がないと、本当の意味でのいいチームはできない。
もっというと、助けられている奴がいるようじゃチームは勝てないんです。

強い時のチームっていうのは、助けたり助けられたりするヤツは一人もいない。
どの選手もプロフェショナルとしての意識が非常に高くて、
本当に貪欲に挑み続けて、できなかったらそのことに対して最大限の努力をしていく。
それが一人一人の選手が持たなければいけないチームワークとしての姿勢だと思うんです。


(おまけ) 平尾氏の講演を監査役全国会議(神戸)で聞いている。 その時はイマイチだった。
      山中先生との対談のような話が聴きたかったのだが、昔話に終始していたのが残念だった。
     2014年10月8日