「井深大の心の教育」 財団法人幼児開発協会
これも和民の渡邊さんの書評に惹かれて読んでみることに。
井深さんは名前を「まさる」と読むのは知らなかった。
イブカダイさんと思ってた。失礼いたしました。
ソニーの創立者である。
教育のことについての20年前の提言であるが、
それがそっくりそのまま現代にも当てはまるし、会社にも適応できる。
ソニーの創業者でしっかり経営理念を謳った人である。
戦後の教育では教育理念が消えうせていると嘆かれる。
米国により儒教の精神、教育勅語これらを完全に否定してしまったことから不幸が起こっていると指摘。
よい人間を作る、知育、体育、徳育のうち知育偏重で
「徳育」が全く置き去りになっている。
会社にも当てはめて読んで、うなずくことばかりであった。
理念なき、対症療法的対応でずっときているとの主張は納得であった。
茂木健一郎の「脳と創造性」を読んで感動したが、
その茂木さんの主張も、かなり井深さんの影響を色濃く受けていることがこの本をよんでわかった。
茂木さんも引用していたこの質問が国会論議だとは知らなかった。
国会論議で草野操氏(元日産工業化学社長、教育問題国民会議委員(当時)が総理に問う
「総理、雪が消えたら何になると思いますか?」
「水になる」
「いや、雪が消えたら春になるのです」
「知識の詰め込み教育だけでは、春になるという答えが出ません。」
夕食後に家族に聞いてみた。
息子に聞くと「水になる」(私もそうでした)
家内は、「そんなの春になるのに決まっているじゃない。」
とあっさりと回答。いやー、恐れ入りました。敬服いたしました。
この家内には、あなたは言うことが理屈っぽいと何度も非難されている私であります。
(反省)
これからの時代は暗記や計算が速いなどといった能力はコンピュータがやってくれるので
価値がなくなる。むしろ、目的に応じて、その知識を上手に使いこなす能力を持った人が
求められている。
(この井深さんの主張を茂木さんが現代において繰り返していたのでした)
● ゲッペルスの19の警告
(これは知りませんでした。うなった。)
1934年、ドイツの宣伝相ゲッペルスがドイツ国民に与えた19の警告。
ユダヤ人勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦(人間の誠実性を低めることにより、現存する国家を内部からむしばんでいこうとするもの)を挑んできていることを察知し、
これに対してドイツ国民は十分に警戒しなければならないと考えた。
今の日本は、「悪しき企て」( ゲッペルスはこれらの19の企てを総称して「人間獣化計画」と読んでいる)
を仕掛けられているわけではないがそうなってしまっている。
エコノミックアニマルと妙に対応する。
愛国心の消滅
悪平等主義
拝金主義
過度の自由要求
道徳軽視
3S(スポーツ、スクリーン、セックス)の奨励
ことなかれ主義の政策
無気力・無信念
義理人情の抹殺
俗吏・属僚の横行
否定・消極主義
自然主義
刹那主義
尖端主義
国粋主義の否定
享楽主義
恋愛至上主義
家庭制度の破壊
民族的歴史観の否定
うーん、今でもほとんど当たっている…。
● 儒教という心の教育があったから、科学教育もスムーズにできた
明治時代 儒教の教えが、明治の偉人たちを心の内奥から支えた。
道徳的・論理的・徳育的な要素が中心となるが、そうした心の側面の教育が同時に科学的なものの見方・考え方の基盤を作った
西洋文化も個人尊重とは言え、宗教教育がしっかりできている。
怠け者として非難する態度はない。
木村尚三郎東大名誉教授
「私たちは1日8時間以上働くべきだという思い込みの中に生きていて、1日3時間しか働かない人、あるいは全く働かないで
貧乏な人に対しては何の同情心もない。むしろそういう人たちを”怠け者”といって攻撃する」
「それに対して、ヨーロッパのほうは、1日8時間以上働く自由も認めれば、1日3時間しか働かない自由、あるいは全然
働かないで生きる自由も認める。全然働かないものは乞食になるが、その乞食に金を投げる人がいる。
「そうか、おまえは働かない生き方を選択したのか。それじゃおれが少し助けてやろう」という気持ちから金を投げるのだ。
そういう、一人ひとりが生き方を選ぶ自由は、わが国には全くない。全体がひとつの価値感の中で生きていて、
そこから外れたものを非難する。物の考え方にたいする”思いやり”がこれほど乏しい国民は珍しいのではないか」
⇒ がーーん。おっしゃるとおり。
会社の価値感を浸透させねばと思っているが、社会全体から言えば、上記のような思いやり(考え方)は必要なのかな。
これまでこんな考え方をもったことはなかった。
思いやりはあると思っているが、怠け者、働こうとしない者への非難めいた気持ちはゼロにはならないなあ。
反論もあると思うが、木村氏の主張をヨーロッパやアメリカが日本をどう見ているかという視点でとらえ返せば、
たいへん有益な問題提起になっていると思う。
私たち日本人は、自らの国民性に根ざした”思いやり”をどう育て、どう表現していあkなければならないか。
この問いは、だれもが一度は真剣に熟考してみなければならないものだと私は思います。
現在のわが国の教育システムには、欧米に見られるような宗教教育にあたるものはない。
合理主義的な知的教育一辺倒の学校教育は、いまや世界的に破綻をきたしている。
◎ 人間をつくる教育を目指して
⇒私は、会社においてよき社会人を輩出することを目指してという風に考えております。
日本人に創造性をどうやって育てていけばよいか?
これからの世界では、わが国はもはや欧米の技術を模倣することではなく、
日本人自らの創造的努力によって、日本だけでなく、世界の発展と繁栄を実現してゆくことが望まれている。
あと半分の教育 すなわち「人間づくり」教育が必要
物質中心の国から、心の国へ
日本人が大事にしなければならない”日本人の心”とは
合理主義的な”心”と同時に、さらにその根底に儒教的な”心”が働く
本当の日本の”心”が、
木村尚三郎東大名誉教授「精神の鎖国主義」に逆説的に示されている。
「世間さまがあるからこそ、自分がこのような生き方ができるんだという気持ちは、昔は日本にもあった。
”おかげさまで”という言い方がそうである。これは、神、仏におかげでということなのだが、神、仏の背後には
事実上、世間さまというものが表現されていた。(中略)
昔から日本でもあった謝恩の観念は、いまやすっかり忘れ去られてしまって、自分たちの努力だけで経済大国を
実現したかのごとき思い上がりもあり、ひとりよがりの考え方を世界にまで及ぼそうとしているかのように見える。」
◎ これからは人徳で評価されなければならない。
⇒ 納得
このあとは幼児教育、しつけの重要性、そして母親の教育の重要性を訴えている。
(追加)
福沢諭吉の学問のすすめが明治政府の教育理念に
理科・科学中心の「実学」思想
文明開化の思想 とにかく目に見える現象面や文明や文化の側面の獲得だけに注力が注がれた
エンジニアリングのできるスペシャリストの養成 それが明治教育の起こりだった
(この背後には漢学・儒教教育が存在していたのがよかった)
その後、日本の近代化教育が、何よりも教育の効率や業績といった現象面での成果を第一の目標とし、
反面、わが国に伝統的に存在していた「人間をつくる」という教育理念が、しだいに忘れ去られ、
あげくの果てには見失われていったのである。
また、戦後の日本の教育には、欧米流の個人主義から出発した理念がその根底にあって、どこかわが国の国民性には
なじまない、無理なところがあった。
⇒ まったく今の企業不祥事の続発の背景には、こういった人つくりの教育理念が失われていたことが
あるのだろう。残念ながら井深さんの20年前の警笛が現代でもそのまま生きている。
効率・業績一辺倒から「人つくり」を企業も目指さないといけないのではなかろうか。
そういう観点から教育の自由化もあり、企業が教育界に入っていっているのは
もう文科省だけにまかせておけない、危機感の現われではないかと思う。