トヨタ生産方式(大野耐一 著)
? 昭和48年のオイルショックさめやらぬ昭和53年に書かれた書物であるが、低成長経済下で記されたものであり、現代に通じるものも多いと思われる。なお、著者は明治45年生まれであり、故人である。
? トヨタの課題は、多種少量生産で、いかにして原価を下げるか。トヨタ生産方式の基本思想は「徹底したムダの排除」であり
・ ジャスト・イン・タイム(豊田喜一郎氏の思想)
・ 自働化(豊田佐吉氏の思想)
が二本柱で、「かんばん」はジャスト・イン・タイムを達成するための手段である。
? 【ジャスト・イン・タイム】
従来の考え方:前工程が後工程へ物を供給する
ジャスト・イン・タイムの考え方:後工程が前工程に必要な物を、必要なとき、必要なだけ取りに行く
→前工程は引き取られた分だけ作ればよい
→作りすぎの防止、最終の組み立てラインだけに生産計画を示す
→在庫がなければ倉庫は要らず、在庫管理も不要。日本人は農耕民族で、米を作り蓄え、自然の災害に備えてきたが、現代の工業ではそれから脱却して狩猟民族にならなければならない。
→平準化が極めて重要
【自働化(ニンベンのある自働化)】
「自動停止装置付きの機械」のこと。これがないとちょっとした異常で、不良の山を作ってしまう。これがあると、正常に機械が働いているときには人は不要で、異常でストップしたときに初めてそこへ行けばいいから、一人で何台もの機械が受け持てる。アメリカでは、職能別の組合があり、一つの会社にたくさんの組合が入っており、旋盤工は旋盤しかやらない。
→この考えを発展させて、人手作業による生産ラインでも、異常があれば、作業者自身がストップボタンを押してラインを止めるようにした。
「なぜ」を5回繰り返し、ものごとの因果関係とか、その本当の原因を突き止める。追求のしかたが足りないと、同じトラブルが再発する。
意味のないムダな作業を除くことは、作業者一人一人の働きがいを高めることに通じる。
「新しい機械を買ったら調子の良いうちに大量に作り、故障に備える」は今なお広く深く定着した考えであるが、機械の故障を前提として在庫を持つことを考えるなら、機械の故障を未然に防ぐことを考えるべき。
ムダがムダを呼んでいく悪循環は、生産現場のいたるところに潜んでいる。
【例】作りすぎ→過剰在庫→倉庫建設→運搬作業者雇用→リフト購入→在庫管理に人手間→さびが発生する部品も→倉庫から取り出され、使用する前に検査・手直し→在庫管理のためコンピュータ導入→欠品が生じれば、さらなる生産設備増強→更に在庫増・・・
高度成長から低成長へ経済のペースが変わったのだから、借金を返して自己資本の充実を図らなければならないと声を大にする人がいるが・・・→高度成長期にこそ、そのような体質にしておくべき。他人が量を増やせば気が気でなくなり、真の能率を問うことなく機械を増やし、売り上げは伸ばしたが利益率は一向にのびなかったとしたら、経営以前の話。
大きな生産量をいかに少ない人数でやるか。工数ではない。→「省人化」→「少人化」
オイル・ショック後の減産により、増産時には隠れて見えなかった「自働機は定員で動かされていた」という問題に直面。フル生産の時二人で動かしていたものが、50%減産時に一人で動かせないということ。この定員制の打破に取り組んだ。5人のラインで1人休んでも4人で作れるが、量は8割になるという体制。レイアウト・作業訓練、設備の制約の改善など積み重ねが重要。
作りすぎによる不要在庫を発生させないために、いたずらに量産機械を導入することを避けた。時流に押し流されることなく。
よく売れる部門を持たされるよりなかなか売れないで弱っているところと取り組んだ方がやりがいがあると考えるのだが、現実はそうでもなく、そのような硬直した考え方が産業社会に巣くっているのは、困ったことである。
古人は「納豆」と「豆腐」をわざと入れ替えたという。「豆が腐った」と書いたのではだれも「なっとう」を食べたがらないが、「とうふ」ならば白くてきれいだから「豆腐」と書いてもだれもまさか豆が腐ったものだとは思わないだろう、ということで反対に用いることにしたとか言われる。日本人独自の発想法に学びたい。
フォード GM トヨタ
流れ作業・大量生産 多種多量 多種少量
大きなロット、まとめて作る 部品の共通化 小さなロット、段取り替えをすみやかに
廉価な基本的輸送手段 より豊に変化する大衆高級車 日本の実情にあった多種少量。多種多量ならなおいい。
以 上