「帝王学」 指導力、参謀学
山本七平 文芸春秋
貞観政要を読むためにこの本を借りたのだが、そのほかにも指導力、参謀学について書かれており
勉強になった。
読後記は簡単に済ます。
◎ 指導力[宋名臣言行録]の読み方
宋名臣言行録は昨年読んだが、
本書では君子と名君たちを時代を追って解説してくれたので、非常に理解が進んだ。
王安石の改革が失敗したのは理念はよかったが人がついてこなかった
この本を読むきっかけとなったIさんに、
王安石と司馬光のどちらが好きか聞くと、王安石という答えだった。
宋の君子は非常にまじめな人ばかりであり、それを支える臣たちも素晴らしい。
創生より守成が難しいということもよくわかる。
太祖は中国一の名君だ、勉強しなさいとIさんに言われたのであるが
太祖は非常に守成のことを考えいろいろな施策を行った。
なんと言っても趙普の諫言をよく聞き入れていた。
詳しくはこちらのHP「智の館」で読みやすく紹介されているので引用しておく。
http://homepage1.nifty.com/hihasui/sou0.htm
宋王朝の創業者は太祖(趙匡胤)。在位は960年から976年。
二代目は太宗。在位は976年から997年。
三代目は真宗。在位は997年から1022年。
末期にあたっての王安石の改革の失敗は「人事力」がなかったためだと山本さんは書いている。
・少々皮肉を言えば、王安石自信もこの試験(科挙制度)の秀才であったから、やはり学究的であり、他と違う点は
彼が「政治学者」であったという点である。
政治学者は政治家ではない。呂蒙正なら、一目で彼(呂恵卿:王安石の腹心として活躍。王安石が反対派の攻撃によって辞任に追いやられたとき、後事を託された。
しかし、権力に眼がくらみ謀略をめぐらし、神宗の信頼を失い左遷された。「智の館」より引用)の欠点を見抜いたであろう。
それは、宰相の必須条件、すなわち「人事」の能力である。
人事力、人を見る力が最も備わっていたのが呂蒙正であると山本さんは書いている。
唐宋八大家(韓愈、柳宗元、欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曽鞏、王安石)に入ってはいないが、自分も見習ってみたい人物だと思った。
◎ 参謀学[孫子]の読み方
今、NHKの大河ドラマで武田信玄の「風林火山」が始まっているが、
孫子の兵法では「風・林・火・山・陰・雷」と言う風に言われていることを知った。
疾きこと風のごとく、ゆるや(徐)かなること林のごとく、 侵掠すること火のごとく、動かざる事山のごとく、知り難きこと陰のごとく、動くこと雷の如し。
「風林火山」は余りにも有名なのでその部分は説明の必要はないと思うが、
前文と後文は案外知られていない。
すなわち、「戦闘は敵をあざむくことで、有利な位置にたって主導権を握ることを目的として動き、分散・集結で兵力を自由自在に変化させるもの」
であるがゆえに、「風林火山」であることを要する。
そして、「知り難きこと」暗闇のようで、行動を起こせば雷のように威圧する。
そして、「村里を襲って物資を兵に分配し、土地を奪ってそれより生じる利を与え、軽重を考えて行動する。
まず、「迂直の計」を知るものは勝つ。
これが戦闘法である。
孫子の兵法は究極は戦いをしないで平和的に解決することにあると感じた。
宋が長く続いたのも外部の敵に対してそういう解決策を指向したからかなとも思った。
孫子の結論
漢文は大の苦手なので、山本さんの翻訳部分を写しておく。
戦争に巧みな将軍はまず道(道、天、地、将、法)を整備し、
次に形に基づく法を守るから勝敗の主導権を持ちうる。
形とは一面では地形であり、地形の法とは、
(一)戦場となるところの距離・広狭・高低
(二)そこへ集積しうる物量
(三)物量を活用しうる兵数、
(四)彼我の兵数の比較
(五)それらを正確に計って勝利を得る
というのは戦場となる地への距離・広狭・高低で物量が決定され、物量で兵数が決定され、その兵数と敵の兵数との比較がなされ、
この比較から勝敗が決定されるからである。
それゆえ、勝つ軍隊は重いおもりで軽いおもりを計るようなもの、
敗ける軍隊は軽いおもりで重いおもりを計るようなものである。
勝つ軍隊が民を戦わせるのは、山のダムから一気に深い谷底に水を落とすようなもので、
これが戦闘場の形である。
勝つことは原則どおりにしているから、ごく自然にそうなったように見え、
そこで何もしなかったように思われる。
「善く戦う者の勝つや、智名無く、勇効なし」で、作戦の天才とも言われなければ勇気・功績があるとも言われない。
○ 勢編−組織は勢いに乗れ
彼らが臆病で消極的なら、その「法」を「勇」に転ずる形」、すなわち新しい形の洞穴陣地を作ればよい。
強弱は「形なり」である。
新人類に斜面を転がり落ちるような「勢」を生じさせる「形」は必ずある。
これを探求するのが参謀の役目であり、その案を検討して実施に移すのが司令官の任務である。
それをやれば新しい「勢」を生ずる。それを企業競争に転ずればよいわけで、
こうするのが「之れ勢いを求めて、人を責めず」」であろう。