「棟梁」
小川三夫 聞き書き 塩野米松 文芸春秋
http://www.asahi-net.or.jp/~de3m-ozw/0toukai/ishioka/ishi02.htm
この本は、尊敬というよりも主張を支持している丹羽宇一郎さんが薦めていたので
読んでみることにしたのであった。
日本の匠の世界に続く伝統である親方と弟子。
この世界を教えてもらった感じだ。
本人が書いたのではなく、話しを聞いてまとめている(聞き書き)という本であり
珍しいなと思った。
小川さん自身は決して筆不精というのではなく、西岡棟梁との手紙のやりとりを
すべて残していることに驚いた。きれいに残されているので、昔の方は本当にも
らった手紙を
本当に大事にしているのだなあ、とつくづくと感じた。
西岡棟梁もこんな若手に丁寧に手紙を出すのはえらいと思った。
ただ、手紙のコピーを見たのはこの本ではなく、この本で紹介されている「木のい
のち、木のこころ」の方だった。
その紹介の部分はこうだ
日本に留学していた韓国人も弟子にとった。
「木のいのち木のこころ」を読んで弟子になりたいと連絡してきた。
棟梁 技を伝え、人を育てる
⇒ いい言葉ですねえ
第一章 西岡棟梁との出会い
小川さんは高校卒業後、五重塔の宮大工にあこがれて入門を希望するが、
なかなかお許しが出ない。
それより何より 仕事がない! この仕事では食っていけない
そして 年がたけすぎている
そもそも高校出てからでは自我ができてしまっており難しいという。
世間をろくに知らないんやけんど、生意気になって、反発したり、速くものを覚え
たがったり
小細工をしたり、近道を考えるようになったのでは無理
道具を使えるようになってから来い ということで
家具屋そして仏壇屋を経験して島根県の日御碕神社での仕事をやってみろというこ
とになって
3年後にやっと弟子入りとなった。
この小川さんの思いはすごいなあと感心する。
また西岡棟梁もえらいと。
第二章 修行時代
第三章 鵤(いかるが)工舎
俺は自分が弟子をとって、任せるようになると、西岡棟梁がどう思って俺を見て
いてくれたか、ようわかったわ。ありがたいもんや。しかし、こういうことも言葉
にして言ったことはないで。言わんでいいんや。
まあそれが親方と弟子や。
棟梁からの恩は、弟子に返すんやな。それが務めや。
⇒同じ言葉を岡野さんからも聞いた。
「自分のしてもらったことを、これからの人に返す。」
岡野さんはそう書いている。
人のやらないことをやれ
岡野 雅行 ぱる出版
http://homepage2.nifty.com/shigamatsu/Book/okanomasayuki.html
第四章 「育つ」と「育てる」
・それは大きな自信になるやろな。若い者も自分たちだけでやったんだから。
無理じゃないかと思っているものが出来ていくんで、力が出るんだ。
育つというのはそういうことや。
がみがみ言ったり、コツを教えても、あの自信と力は湧いてこない。
自信に裏付けられた技は強いで。怖いものなしになるし、やればできるって考えら
れるようになるからな。
やれるかどうかなんて考えることは必要ないんだ。どうやったらできるかを考
え、やりながら次を見通すんだ。
・「育ててもらおう」と思ってもここではできん。
俺は育てることはできん。ただ、本人が「学びたい」「育ちたい」と思えば、それ
は手に入れられる。
しかし、うちはみんな真剣だけに厳しいぞ。十年かけて自らを育てるんだから一刻
も惜しい。
無駄にはしたくない。そう思っているんだ。
俺が用意するのは、共同生活のできる宿舎と現場だ。
ここで育てばいい。
一緒にやっていれば、自分の意思さえあれば技は身につく。
技は、長い鍛錬と自己規制の後に身体に形成されるものや。
結局は誰も教えてくれない。
自分で自分を「育てる」ということや。
その環境と機会を与えるというのが、人育ての方法やないか。
その育つ芽を変な方向に向けなければいいわけであって、俺たちの仕事や技は教え
たってわかんねえから、
それは見せておけば自然に良くなるんだよ。
・下手くそな仕事を見ても、「ありがたい」「がんばってくれ」って言うんだな。
鬼から神様へ変身や。
しかし、これは大変や。
自分がやったら、もっと上手にできるんやからな。だから、上に立つ者の大事なこ
とは、忍耐や。
これがなかったら人の上にはたてない。
⇒ 忍耐 これは人を成長させるためには大事なことである。
・きびきびして無駄のない現場には活気があって、どこか余裕があって、楽しげ
で、共通の雰囲気があるんだな。
それは一緒に飯を食って、一緒に暮らしているから、互いが考えることが言葉で言
わなくてもわかるからだと思うよ。
⇒ 宿舎での共同生活の必要性はここ。最近の個人主義を小川さんは許さない。
・何しろ俺たち宮大工の仕事は、図面を見せて、まだ物が出来上がっていないの
に、お金をもらって木を注文するんや。
それも数億円という単位や。施主さんとの間にあるのは信頼だけや。失敗は許され
ん。
そうでいて、現場は弟子育成には欠かせない場所だ。
現場がなかったら弟子は絶対に育たない。
その現場を任せるのや。
任された者も早すぎたらつぶれるし、施主さんに迷惑がかかる。
それは絶対にしてはならないことや。
しかし、任せる時期が遅かったら人は腐るで。
現場の棟梁となったら、技はもちろんやが人をまとめられなくてはならん。
自分の後輩だけやないからな。
年上の他の職種の人とも付きあわなならん。
腕がいい、道具が使えるだけではどうしようもない。
木を扱うにも、人を扱うにも度胸がいるもんや。
仕事度胸というのは無謀とは違うからな。
困難に負けずに、やり通すという力や。
それを実行するのが度胸や。
第五章 不器用
・急がなければ不器用な子でも一つ一つ納得がいくまでやって階段を上がっていく
んや。
鵤工舎ではそれを待てる。こうした子は上手になってくれたら強いわ。
安心してその仕事を任せられる。根が不器用やから嘘をつかないし、仕事もそう
や。
こういう子は多少でも満足できる物をもとめて根気良く努力するからな。
よく西岡棟梁も言っていたな。
「不器用の一心に勝る名人はない」と。
身体や手というもんは言葉のようにはすぐには浸みこまんもんや。
覚えるのにも時間がかかるが、手や身体に記憶させたことはそう簡単に忘れん。
時間をかけて覚えることは何も悪いことではない。
さっさかさっさかやって上っ面だけを撫でて覚えたつもりになっているのは使えな
いわな。
・俺達、宮大工の造る建物は時間と闘わねばならん。
それに勝って、自然の中で立ち続けるには、そんな要領のいいことではすまないん
だ。
千年の時間でものを考えたら、何も急ぐことはない。
じっくり、確実に。
そういうことは人間を作るのにも出るな。
慌てて、急いで人間を作ろうと思っても無理や。
急いで、即席で作ったら、人間だって無理が出るのと違うか。
今の教育はそんなふうに見えるわ。
・しかし、時間を与えて、金をやり、技を磨いても、本人がどこと目指すかで技は
変わってしまうんだ。
例えばだが、百年後の工人の顔を思い浮かべながら仕事をするのか。
施主も喜び、工人自身も嬉しいと思う、今の仕事をするのか。
財布の中身を満たす仕事をするのか。
どれでもいいんやが、その目指すもので、どこまでの技が磨けるかが変わってくる
んだ。
俺達の造っている建物は少なくとも、二百年、三百年はこのまま持つ。
二百年、三百年後に弱ったところが出てきたら、解体して修理をすればいい。
解体できるように造ってあるんやから。
その時に、解体修理に当たった工人達が、昭和や平成の工人をどう見るかや。
俺は、そういう人達と話のできる仕事をしておこうと思ってるんだ。
第六章 執念のものづくり
・さしがね合わせ
大工が一番先にやることはさしがね合わせや。
何十人と大工が来るやろ、そのときにはさしがね合わせっていうのを昔はしたんだ
よ。
みんなが集まったら、まずはさしがねを持ってこいといって、寸法も直角も合って
いるか、
それを検査して、使ってよろしいといって始めたんだ。
そんじゃなかったら、とんでもない話しだ。
さしがねもずいぶんと違うもんやぞ。
基準になるものだからといっても俺達は信じねえよ。
こういうことは何でも物を作るときの基礎や。
人が集まって物事を始めても、元が違うんじゃ話しものならんやろ。
それを信じて作業してたら、恐ろしいことやで。
さしがねを直すのは、叩いたり、ヤスリでこすって合わすんだよ。
だから、さしがねを買うときは絶対に内側に入り込んでいるやつも買わなくちゃだ
めなんだ。
それは中をちょんちょんと叩けば九十度に開くやろ。
開きすぎのは、詰めることができねえからな。
さしがね合わせって、今はしねえな。
だいぶ正確になってきたからな。
それでも俺は、今でもちゃんと直すし、うちの子らにも直させるよ。
そういうもんじゃないかな、職人ていうのは。
昔の人は鉋(かんな)の台が真っ直ぐだなんて、誰も信じていないから自分で直したんだ。
砥石だってそうだ。みんな真っ平らを作り直す。
直さなくちゃ削れないし、刃物も研げないよ。そういうもんや。
だから、物を作るやつはいろんな既存のものを信じてないよな。
他人も信用してないよな。
しかし、ある程度になったら任せるということを覚えなくちゃいけねえけど、基本はそうや。
第七章 任せる
・山の材の話をテレビでやっていて、曲がっているために全部出せないんですよっ
ていう話をしていたよ。
曲がっていたっていいと思っていたけど、そういうことなんだ。
機械に掛かんねえから、面が通らねえからだ。面が通らなければもう扱いにくいか
らいらねえわけだ。
これは材だけの話やないで。人間にも社会にも言えることや。
芯を決めて使うというのがなくなった。面のいいやつだけを集める。
同じ規格を集める。これでは癖のあるやつははじかれる。癖を生かしてやれば、強
くおもしろい物ができるのに、
そういうのは捨ててしまうんだな。
結果的に、独創力がなくなって、競争に負けることになるんだ。芯を見つけ出
し、芯の通った仕事をすることは
大事なことだで。
・形は不揃いでもいい。それをどう使うかで、うまく使いさえすれば、丈夫な建物
になる。
これだったら材を無駄にしないで使える。
癖や曲がりを生かして使っていける。
これが木という自然素材のいいところや。癖や曲がりをみんな捨ててしまうという
考えでは、あかんな。
曲がりや癖は才能みたいなもんや。それをどう生かしてやるかが大工の仕事だっ
た。
第八章 口伝を渡す
・「木は方位のままに使え」
「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」
山に生えている木は動くことができない。
根付いたところで育つわけだ。
どうしても環境や土壌から制約をうける。ずっと西風が吹いているところなら、枝
はそれに逆らってちゃんと
しようとする。それが木の癖になるんやな。
また日の当たる方向の幹には枝が出る。木は葉を伸ばして大きくなろうとするから
や。
そういう場所の木は一方に節が多い。こうした木は建物にするときに、日の当たっ
ていた方をそのまま建物でも
日の当たる方向に使えということだ。
寸法で組まずに癖で組めというのは、寸法で組み上げるのやったら大工は誰でもで
きるわな。
木には生えていた場所やなんかで癖があることは話したわな。
その癖をうまく生かして建物を造れというんだな。
・木に癖があるように人にも癖がある。
その癖を見抜いて、生かしてやるのが務めや。
山を見て木の癖を知ることができるし、木は寝かせておけば癖が出てくるからわか
る。
人はそうはいかんから、俺達は一緒に飯を食い、暮らし、仕事をしているわけだ。
そうしたらその人の癖がわかる。
癖は才能やからそれは生かさなならん。
木でも若い木は暴れる。年齢のいった木は暴れない。
全く人間も同じや。
・「百工あれば百念あり、これを一つに統(す)ぶる。これ匠長の器量なり。
百論一つに止まる、これ正なり」
「百論一つに止める器量なき者は謹み畏れて匠長の座を去れ」
・「人に任せ、人に譲ることで、伝統の技を生きたものとして伝えていけ」
・材がないという事態は逼迫しておるのや。
自分の国の文化財の一つ守れずに、世界に誇る木の文化だと大きな声では言えん
やろ。
技は継いでいける。それだって材料あってのことや。
遅いかもしれんが、放っておくわけにはいかん。
せめて今でもできることはしなくてはならんよ。
それが俺の一番の心配事や。
以上