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NINOさんは18日に中山で東京組にお世話になるようです。 よろしくお願いしますね。
さて、 勝海舟の「氷川清話」の読後記をまとめていたところですが、 ちょうど今、話題で不評の定額給付金の麻生内閣とはキメ細やかさがゼンゼン違うなと 思ったところがありましたので、その部分だけ掲示板に載せておきましょう。
・江戸の衰退を防ぐ 世間では不景気だなどと嘆じて居るが、これは上に立つ人の心がけ一つでずいぶん救済の方法もあるものだ。 おれが江戸城引渡し後の始末を付けたときは、なかなか今日くらいのことではなかった。 江戸は大阪などとは違って、その繁昌は何も商業が盛んだとか、物産が豊かだとかいうのではなくて、 ただ諸大名や旗本が大勢住んで居たからだ。 それゆえ幕府が一朝瓦解すれば江戸は忽ち衰微して、百万の人民は明日から喰うものがない騒ぎだ。 しかし幸いに遷都の議も行われて、土地もあまり衰微せず、横浜も開港場になったから、そこへ移って 商売を始めるものも出来、どうかこうか餓死は免れたが、しかしその当時おれもずいぶん困ったよ。 その中でも殊更困ったのは、いわゆるならずものの連中で、彼らは窮すればどんなことでもやりかねない ものだから早くなんとかしなくてはいけない。そこでおれはかねてこの社会の親分を調べ上げておいたから、 自分でそれを尋ねて行って、子分を動かないように頼み込んだ。然諾を重んずる点においては、流石に あの社会はえらいもので、宜しい受合いましたといったら、それはもはや大丈夫のものだ。 しかし幾らならずものだといっても食はないでは居られぬから、それぞれ手当ての金は上からくれてやったのだ。 それから待合とか、料理屋とか、踊りの師匠とか、三味線の教師とか、一番世間の景気に関係するところへは、 またそれぞれ金をくれて、今日に困るということのないようにしてやった。 こういう風にして、とにかく世間を不景気に陥らせないように防いで、さて一方では銘々相当な職業に ありつかせるように奔走してやったから、江戸も衰えるどころではない、段々に繁昌してきたのだ。 その骨折というものは、とても一通りの事ではなかった。 たとえば貧乏人に金をくれてやるのでも、下手をするとかえって弊害を増すばかりだから、ちょっと人の 気がつかないような風にうまくくれてやるのだ。その呼吸はなかなか難しいが、まあ旗本のお歴々が零落して 古道具屋をでも始めていると、夜分など知らないふりでそれを冷やかしに行って、1品か2品か言い値で 高く買ってやるとかいう工夫だ。そうすると、この人も自然商売に面白みが出来ていつとなく立派な商人に なるのだ。金もこういう風にうまく使えばよい。
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