パキスタン旅行記

2001年8月、WANO東京センターのコンタクトパーソン会議出席のためパキスタンへ出張となった。
コンタクトパーソン会議は年に春、秋の2回。1回は東京であと1回は海外という案配。
1996年には韓国の会議に出席しており、2001年春と含めこの会議は3回目となる。


2001年8月27日(月)
成田 → 北京 → イスラマバード


成田空港は1992年以来であり、第二空港ターミナルは初めて。
パキスタン航空はJALウィングに入っていた。

今回は帰りのタイ航空以外はすべてエコノミー。








恐怖のパキスタン航空。と言われており心配していた。
とにかく水に気をつけろ、生野菜は食べてはいけない。
それは飛行機から同じ。

乗り込む前に水のペットボトルをしこたま買い込んで乗り込んだ。

















       
   
   北京でトランジット??
   と言いつつ機体から出ることを許されない。
   2時間程度冷房も切れた機内で缶詰とはきつい。

   成田から乗ってきた中国人はほとんど降りた。
   これですいてくるかなと期待していたらそんなことはなかった。

   イスラマバードから最後はカラチまでいくパキスタン航空。

  私の横には中国人が乗ってきた。
  ペンを貸してくれといって何か書いていた。

  後で知ることになるが中国人はパキスタンでかなり商売をやっているようだ。

  中古以上の廃車のような日本車がかなり走っていたが、日本人はほとんど見かけない。
  ブローカーとして中国人が暗躍していると感じた。




イスラマバード空港到着。

日本との時差は4時間。
空港では写真は撮影禁止。
飛行機からバスに乗ってビルまで移動だが、バスの戸が開けっ放しなのにはビックリ。
冷房車ではなく、暑いので締めた日にはたまらんということかと思った。




ラワールビンティのホテル。
パキスタンでは最高級にランクされる。
ホテルへ現れる現地の人も上流階級をうかがわせており、女性も美しかった。


チェックアウトでは担当者が1名しかおらずに時間がやたらにかかった。
フロントにはたくさん人がいるのにチェックはやってくれず、仲間同士で
おしゃべりしているのには参ったな。








8月28日(火)

 2日目の午前注はは会議の行われるブールバンのホテルまでのマイクロバスでの移動。午後からコンタクトパーソン会議である。
 
   パキスタンでは車にけばけばしく化粧している。

  しかもたくさん人が乗っている。こちらは前が九州、後ろが東北電力の方。

 高速の入り口でも売り子が寄ってくる。  


かなり高原まで来ている。牛が歩いている。 


  マイクロバス車中。私の前は北海道電力。後ろは電発。


 ブールバンのパールコンチネンタルホテルでのWANOコンタクトパーソン会議。私自身は1996春(韓国)、2002春(東京)についで3度目の出席。
古くはWANO設立のため1990年5月アトランタINPOの理事長と電事連の折衝時に同席したことがある。

                 


    アルファベット順で並ぶので私の左がパキスタン原子力委員会、右が台湾電力。



  パキスタンでは女性との写真は御法度であるが、電中研の磯田博士(左)のあつかましいお願いに美女が応えてくれてのツーショット。
 私もご相伴に預かりご機嫌。

       

 
パールコンチネンタルはパキスタンでは最高級ホテル。それでもお酒は飲めません。
パキスタンはイギリス領地だった。イギリスの高官のリゾート地、ブールバン。近くにゴルフ場もありましたが、とにかくイギリス人のため以外の場所は
貧困しか見えないというパキスタンだった。
貧困でも彼らは別に不満に思うことなく淡々と生きているという風でもありました。

         

  


8月29日(水)

朝6時30分、ホテルの近くのヘリポート地点まで散歩。この散歩でも警察の護衛がついています。

    

食事はビールは飲めません。香辛料がきつく暑いのでビールが飲みたかったですね。ヒジョーニ。
生水や野菜サラダも取らずひたすら耐えていたけど、2日目の晩に少し食べたアイスクリームが当たったのかおなかを壊してしまった。
不覚。下痢止めの薬は持って行っていたのでなんとかしのぐ。
2日目の午後、3日目は長い間車に乗らねばならないので脂汗が…。
おなかを壊したせいもあってきつい香辛料のにおいが苦痛に。
日本に帰ってからもカレーの臭いをかぐとゲッツとなってました。

  


マリーへの買い物(28日会議終了後に、やっぱり警官の護衛つき)

   


   子供がすぐに寄ってくる。通訳K田嬢と。


夜はパキスタン原子力委員会主催のディナー。ホテルの中庭でバーベキュー。

  

  

  我々のテーブルでは私の他にも東電の委員がおなかを壊したというので
  写真の2人のアイスクリームを食べさせているところ。

  不安そうな表情??

  でもなんともなかったそうです。













8月30日(木)

3日目はオリエンテーションプログラムとなっているが観光旅行だ。

ガンダーラ遺跡のタキシラまでマイクロバスを走らせる。
例によって警察の車が前後を護衛してくれてのものものしい移動だ。
3000m近い高原を走る光景は日本ではないスケールだ。
このような場所にも送電線がしっかり走っているのに感心。  

             


最初に止まった場所は猿がいる地点。日本ほどはなついていないようだ。

     


次はトイレ休憩でイギリス人の別荘後。

       





  



  高地ではガスが発生してすぐに天候が変わる。晴天であったのこんなにガスに覆われるた
  時もあった。

       



        

     眼下には大きな川が(水は流れてない)


  
  昼食のホテルの出口で。(ここもインターコンチネンタルホテル)。
  しっかり警察が待機してくれてます。

  高原ドライブ中も管轄の警察が違うのか、何度も交代していました。

  ほんと我々の観光のための護衛なんて悪い気がしました。

  昼食時にはビールが飲めた。といっっても疑似ビール??

     
                                                     



 長いドライブの末、タキシラに到着。
 途中運転手が道を間違えたので余計にかかったみたい。

 シルカップ遺跡を。スケールが大きい。きれいに遺跡が残っているところがすごい。
 夕刻になってきたのでアッラーのお祈りの音楽が流れてくる。

     



      


この後は博物館へ。
  

   

      中は写真厳禁で私は撮ってませんでしたが関係者からもらいました。

      頭のないブッダ像がいくつもありました。

   

 
私は中国、関西、中部、東北の面々とイスラマバードからラホール空港へ。
何せパキスタン航空はもうイヤ。
ラホールからはタイ航空のバンコク行きがあるのです。
関西地区の人間はバンコクから関空行きに乗るのです。

タキシラで40分遅れたのでマイクロバスではなく別の車でぶっ飛ばす。

        

まずはイスラマバード。
なかなか搭乗手続きをしてもらえない。

トイレへ行くとこのような光景が。(下の写真)

不気味なので大の方で用を足したところ、これはお祈りの前に足洗い場だそうです。
ホッ、よかった。    詳細はこちら 






ラホール空港にはプロペラ機で。
暑い、暑い。
蒸し風呂のようだった。

タイ航空は深夜便になるので、ここだけビジネスクラスにしてもらってました。
ということでビジネスクラスのラウンジに。

ラホールで買い物しようと思ったが、免税店には何もなし。
ここのラウンジも受付の女性が私用電話を長々としてサービスの悪いこと。
ビールは当然なし。


  

ここらあたりでもう深夜近い時刻。


ラホールからタイ航空でバンコクへ。

バンコクで4時間程度待って、タイ航空とJALの共同運航機で関西空港へ。

最後のJAL機に乗った時にはほっとしました。

関空では念のため検疫を受けてから出国しました。

その後、9月11日にあの恐怖のテロが。
イスラマバードが何度も出てくるようになったのにはビックリしました。
もうパキスタンへ行くこともないでしょう。

貴重な経験でした。