環境セミナー見学会 (2008年4月25日)

四国電気協会主催の環境セミナーに参加した。
産業廃棄物の豊島問題は香川県民として知ってはいたが詳しいことはほとんど知らなかった。
現場を見る機会があるというので喜んで参加した。

                  

この地図は全日本民医連のhttp://www.min-iren.gr.jp/syuppan/genki/158/genki158-06.htmlから拝借した。
このページで豊島問題の概要がわかる。


やはり勉強になった。
住民運動の中心だった児島さんが「語り部」として熱く語ってくれた言葉は
ひとことひとこと胸に突き刺さるものがあった。

最初に直島へ行き、午後豊島に渡ったが、とにかく児島さんの語りをまずは書いておこう。

詳細は香川県の豊島問題ホームページを参照されたい。

説明者は豊島の農家の児島晴敏さん

当年とって60歳! には見えないぞ?と思ったら「10年とって」なので70歳
本日は2班に分かれての見学ツアーで、もう一班の方は砂川さんという方。
児島さんは、石井さんのピンチヒッターということであったが、何の何の。
元議長であり熱い人だった。

四国電気協会の正岡さんと中間処理施設の1階で記念撮影。
逆光になったので補正している。
正岡さんは2回目であり児島さんとは顔見知りであるが、なぜか児島さんからは「平岡さん」と呼ばれていた。
(敢えて訂正はしていませんでした)



          


廃棄物とは何か?
誰もいらないもの

シュレーダーダスト(自動車の破砕クズ)
業者が500円で買ってきたので「有価物」!
合法的に見えた不法投棄

あんな男にやらせたら大変なことになる!と住民は知っていたので反対運動をしたが
前川知事の時に許可が出てしまう。

100箇所座談会で香川県全部の市町村に訴えに回った。

島の人口は 3500人 ⇒ 1100人

人材が都会へ流出してしまった。
われわれは島外からいらんゴミを持ってきて、大事な人材を都会へ出してしまった。
一番大事なのは人材だ。


県が悪い 知事が悪いと言っていたが、住民運動をして勉強になった
自分たちが悪かったのだと気がついた。
県議会議員に自分たちの意見を伝える代表者を送っていなかったのだと気づいた。
それで12年前に若手の「石井とおる」さん(現在50歳くらい)県議へ出そうと運動した。
そして晴れて当選
残念ながら前回の県議選では3選はならなかったが、県議を送り込めたのは大きかった。

 ⇒ 石井議員を調べてみた。

平成15年の名簿にありました。現在は48歳ということですね。

小豆郡
石井 亨 (43歳)
小豆郡土庄町豊島唐櫃
3040番地45



環境問題の勉強をして「過疎の地」への立地ということで原子力にも同じように感じる。
都市に作れないので過疎地へ押し付けた
(⇒ これはゆっくりご説明したかったが時間がないのでやめておいた。
 少なくとも伊方町の多くの人々に伊方発電所は愛されていると信じている))

能力のないものは経営者に 能力があるもは労働者になれと父が言ったことを
守って農家をやってきた。

話しはまったくヘタだったが、住民運動を通じてずいぶんと話しができるようになった。
先日は名古屋の中学校 550人の前で話しをしてきた。

豊島の産廃の大部分は「シュレッダーダスト」
 (廃車の廃棄物→ http://www.pwmi.or.jp/yougo/s-16.html、http://soc1.h.kobe-u.ac.jp/gakusei/imai/teshima.html
豊島問題が自動車リサイクル法のきっかっけになった。
そういうことで住民としては感慨深いものが」ある。

豊島問題では21社「排出者責任」を認めて3.7億円の処理費用を拠出した。

香川県が 1.7億
住民が  1.5億  これを住民運動資金に充当できた (お金が合わないけど…、こう聞いた)




● “現代の鬼平”と呼ばれる中坊公平弁護士んの存在がとても大きかったことを強く感じた。
 児島さんの話しの節々に中坊さんの言葉が登場する。

◎ あんたら金あるんか?
弁護団結成のときに中坊先生が住民に言ったことばである。

あんたら金あるんかね。住民運動には金がかかる。

金を出せ
金がないヤツは知恵を出せ
知恵がないヤツは身体を出せ
それもないやつは …
泣け!!

泣くことくらい人を動かすものはない。
我々も100箇所回って涙ながらに訴えた。

児島さんは孫が13人もいるそうだ。
孫の世話をしているが、赤ん坊は泣いてなんでもやらせてしまう
ミルク、おむつ、だっこなど。
泣くことは大きな力になる。

そこで出来た我々住民の方程式だ。
方程式  100万=1300+X
      香川県民=住民 世の中、日本全国の支援者、協力者

同じことを書いているページを見つけました。
やはり児島さんから聞いておられました。
「悦子の日々便り」から引用
http://www.muse.dti.ne.jp/~hiroba/hibi0605gatsu/hibi20060507.htm

 「私は、最近になって、こんな方程式を考えてみたんです。100万=1300+X・・・これ何かわかりますか。豊島の運動がここまできた、一定の解決をみたことの方程式です。運動は力関係で決まります。100万は、香川県の人口100万人のことです。1300は豊島の人口1300人。香川県を動かすにはこれだけではとても足りない。Xがあったからこそ動いたんです。Xというのは、環瀬戸内海会議や弁護団、豊島ネットワークやほんとうに数え切れないほどの全国の、いや、世界の人たちの力が結集してくださった。我々1300人に大きなXが力を足してくださった。そういう方程式です」。
 ほんとうにそうだなあ、と思う。私も、環瀬戸内海会議の一員としてこの島に足を運ばせていただいたけれども、そして、児島さんは、その私たちの小さな力に過分な敬意を表してくださったけれども、私たちは、全国の人々の支援、応援があったことをよく知っている。すごい方程式である。


◎ 住民運動とは水の中に石を放り込むようなもんや。
最初は何にも見えないけれど、放り込み続けていればいつかは必ず水面に出る
その出てきた石が沈まないように、水中にある石が支えているいるんや。
それが住民運動や


◎ 打ち上げ会での一喝
公害協定成立の打ち上げ会でも中坊先生の言葉
ここまで出来たのは、公害委員でもない、あんたらがやったのとも違う

総理大臣が動いたからや!
橋本龍太郎さんは岡山出身。

大川真郎さんによると
橋本総理の奥さんがあんな可哀想な住民を放っておいていいの?
と言ったとか。
住民は5人づつ県庁の前で抗議の旗を持って立ち続けていた。
  
ちゃんと調べてみい! と住専問題のときにキャリアの官僚に命じたとのこと。
その結果、香川県へ圧力をかけて決着をみた。

我々住民の運動が奥さんの目に留まったことが引き金であることから、
中坊先生にそう言われたけれども住民がやったという思いはある。

豊島産業廃棄物不法投棄事件―巨大な壁に挑んだ二五年のたたかい

東京へ出かけて訴えに行ったとき、東京の人ははみんなビラを受け取ってくれた。
そして、その日の夕刊では全社一面トップで報道してくれた。
これに感激した。
議長はガンを押してバスで東京へ。新幹線を使ってくれと頼んでもガンとして

県庁の人間は我々を避けて遠回りして入館していた。
寒い日に暖かい缶コーヒーをもらったのがどれほど有難かったことか。


◎ 歴史の批判に耐えられるか否かだ (これは児島さんの思いだったか?)
 歴史をしっかり勉強して欲しい
人間は同じことを繰り返している
問題は、今でなく、将来、歴史の批判に耐えられる決断!をしたかどうかだ。

☆ ボートこぎは前を前を見ていない、うしろを見てこいでいる

80年前 三菱マテリアルが誘致に来たとき、豊島の有力者は断った
豊島の人は雨水で生活している。
将来、煙で住めなくなったら困る。
という決断を下したのであった。

それはもったいないということで、直島の町長が後を追いかけて誘致したのであった。

直島では現在、飲み水は岡山からパイプを引いている。

歴史の批判に耐えられるか?
そうは言っても、自分としては「そのとき一所懸命にするしかない」というのが児嶋さんの結論


(見学会が終了後マイクロバスで豊島一周ツアーに案内してくれたときの話し)
豊島では水田 100丁あった。
今は30〜40丁
島の割には米が取れる

福武美術館構想もある
美術館はレベルの高い人が来るというので期待している。

佐渡の講演会に先日行ってきた。
大きい島でビックリした。日本で二番目に大きい島だそうだ。
一番は沖縄本島。

「佐渡島を世界に誇れる島にしたい」という言葉を受けて、児島さんはこう言ったそうだ。

「自分で誇れることが大事じゃ、わしはこの豊島を誇れる。
自分で誇りを持てること、持つことが一番」

ガーン!この言葉は非常に沁みた。
人の評判でも何でもない、自分がどう誇るか、誇れるかが一番なんだ。
私も強くそう思った。