「その時機長は生死の決断」
 桑野 偕紀、 前田 壮六、 塚原 利夫     講談社


機長の危機管理と同じ3人の著作である。
桑野先生と知己を得て意見交換をすることとなったので、
サインをもらうためこの本と機長の危機管理の文庫本を購入したのであった。

この本は機長の危機管理に比べればかなり内容的には充実度が低かったものの
そんなことは言っておれない。

2006年10月31日に桑野先生とは意見交換が実現した。
(報告書は公開できません。希望の方はご連絡くだされば検討いたします)

桑野さんには「機長の危機管理(文庫本版)」とこの本にサインをいただいた。
これは宝物である。
そして桑野さんは私の名前をわざわざ書いてくれたために2冊とも間違えたのであった。
 
この本の中では、最も印象深かったのが前田機長の片脚着陸の件であった。
ちょうどこの件についてJR東日本のSさんとのやりとりがあるので引用しておく。
 
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Friday, April 20, 2007 5:22 PM
 
私は知的論者の結論を机上のもので終わりにするのではなく、その十分の一でも
現場の社員がその成果をだせる手助けができたら最高のセカンドライフだと思っています。

今私は来月行うJR東日本就職10年目の社員向けての講演資料を作成しています。
彼らはそのほとんどが現場第一線の社員たちで年齢的にも30歳前後であり、企業に
とっても中堅社員として期待している集団です。しかし彼らはちょうど仕事にも慣れ
てきてある意味で情熱もさめ、漠然とではあると思いますがこの先どうしようかなっ
と悩む時期でもあると思います。この時期は企業にとっても社員にとっても最も大切
な人材育成期間でもあります。

まだゲラの段階ですが私は最初に三つの飛行機事故のVTRを流して講演に入ろうと
考えています。

ひとつは1979月7月21日に起きた当時の東亜国内航空(TDA)のYS−11
機が羽田空港に胴体着陸した事故です(ニュース映像挿入)。この飛行機を操縦して
いたのは塚原利夫氏で当時30歳でした。塚原氏とは平成15年10月16日に「航
空運行システム研究会」の主催により、多くのパイロットの皆様や整備関係者が白河
の研修センターにあります「事故の歴史展示館」を訪れ、この時にご案内しながら塚
原様ともお会いして安全に関する議論をさせていただきました。(著書:機長の危機
管理)塚原様は人格識見とも大変素晴らしい人です。
 
(四国の井崎注記挿入) 注) TFOS安全運航の研究会 (黒田理事長) http://www.tfossg.com/
二つ目は2007年3月13日に起きたANAの高知空港胴体着陸の事故です。
機長は36歳で彼は機内で「十分に訓練を行っていますので
ご安心ください」と機内放送して乗客のパニックを防ぎました。(乗客の証言)
この時に塚原氏もテレビにゲスト出演しておりました。

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(四国の井崎返事)
胴体(片脚)着陸事故の様子を語ってくれていたこの本は読みましたが
塚原さんのこの事故が一番印象に残っています。
乗客が記念写真をとったりした場面がすごいなと思いました。
桑野さんと同じく日本ヒューマンファクター研究所のメンバーですね。
歳もそれほど離れていないのでお会いしたい人です。

http://www.jihf.com/staffs.html

 
 
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そして最後は海外での飛行機事故です2007年3月7日ガルーダインドネシア航空
機がジョクジャカルタ空港に着陸する際、オーバースピードに気が付いた副操縦士が
機長にそのことを伝えたらコックピット内で口論となり、結果としてそのままの速度
で着陸しオーバーランをして乗客21名が死亡した事故です(飛行機が炎上している
ニュース映像を挿入)
私もインドネシアで仕事をしていたときにこの航空会社を何回か使いましたが、当時
この航空会社はいつかは必ず事故を起こすなっと感じていました。ただインドネシア
という国全体が安全に対する関心の薄さも背後にありますが。

この航空機事故を出した理由は「パイロットの仕事も皆さんの仕事も安全な作業を行
うためには、最後の決断は自分で考えて、自分で判断をして、自分で行動を起こすこ
とだ」だから普段から危険に気づく・危険を排除する・危険を回避する・そして最後
に危険を乗り切ることを身につけていかなければならないと言う結論を導き出した
かったのです。

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新しいですね。恥ずかしながら知りませんでした。
○さんは本当に新しいデータをすぐ取り入れるところがすばらしいです。
いつも感心しています。

これはアサーションの問題ですね。
札幌のS医師のヒューマンエラー事始はご覧になりましたか?
これはすばらしかったです。
S医師も現場主義の方です。
私は交流会の前に全部読み感銘を受けました。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kotohaji/


一例としてアサーションのところを引用しましょう。
アサーション
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kotohaji/HF/HF2nd/bangai_2nd_10.html

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本から離れてしまったので本の内容に戻ることにしよう。
 
○ 離れ業の片脚着陸  YS−11
 
1979.7.11
  羽田発南紀白浜行き東亜国内航空(当時)381便のYS-11が離陸後、後部左車輪が故障で出なくなり、羽田に引き返し半胴体着陸。幸い、乗員乗客は全員無事。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
 
同級生Kが副操縦士であった。塚原さん自身が大学中退で早く飛行機に乗り始めていたからそういうめぐり合わせになったようである。
塚原さんにとっては、このフライト自体、欠員出たのでピンチヒッターであった。
 
「なぜ自分ばかりが?」という思いはあったが、
神が与えたもうた試練と受け止め、何にでも立ち向かう覚悟、何度もあった故障や気象に恵まれなかった経験から
すでにできていた。 ( ⇒ えらいなあ、見習おう。私も前向きの精神は持っていると思っている。)
 
 
☆ 片脚が出ないことが決定的となり、燃料を使い果たすまでの時間に、なんと操縦室の見学希望者を案内する。
 
 
「見せ場を作るんだ。こっちが慌てることなく、ごく平静でいる状態を見てもらえば、お客さんも安心するだろう」との思いから機長の提案。
 
ほとんどの乗客が顔をのぞかせた。K副操縦士は乗客に脚下げレバーや表示灯の意味を詳しく説明。
塚原機長もジョークをまじえて乗客とのコミュニケーションに努めた。
乗客は初めて見る操縦室で、所狭しと並べられた計器やスイッチ類に驚くやら、
180度を超える展望パノラマに感激するやら、はたまた記念写真を撮るやら、まるで遊覧飛行さながらのひと時であった。
 
この間 30分。
 
そして、なんとこれから行う決死の着陸操作を「ジェットコースターの1,2分を楽しんでください」とアナウンス。
度胸が据わっていると感心。
 
胴体着陸よりも難しい片脚着陸にトライ。それはアイソトープを積んでいたことも影響していた。(こんなところで原子力がつながるのかと苦笑)
 
着陸成功後、操縦室のドアを開けると、乗客から大きな拍手が沸き起こり、
握手を求められた。中には記念撮影をするグループもいたほど、乗客には緊迫感はなかった。
 
⇒ 思わずこちらも拍手したくなった
 
 
 

このほかに印象に残った事例がもうひとつある。